1.パウロ皇帝に上訴する
・パウロは2年間カイサリアのローマ総督府に幽閉された。パウロを処刑する根拠はなく、逆に釈放すればユダヤ人が騒ぐからだ。「あなたはローマで私を証しせよ」(23:11)と約束された主は沈黙しておられる。パウロにとっては試練の時だった。しかし、主は事態を打開される。総督の交代により、状況は動き始める。フェリクスが総督の地位を追われ、後任総督のフェストゥスが赴任した。ユダヤ教指導者たちは新総督に、「パウロをエルサレムで裁判にかけよ」と求めた。
―使徒25:1-3「フェストゥスは、総督として着任して三日たってから、カイサリアからエルサレムへ上った。祭司長たちやユダヤ人の主だった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいとフェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。」
・ユダヤ人たちはパウロをエルサレムに送還させ、途中待ち伏せて殺害しようと企んだが、新総督からカイサリアに来て訴えるよう勧められ、企みは頓挫した。
−使徒25:4-5「ところがフェストゥスは、パウロはカイサリアで監禁されており、自分も間もなくそこへ帰るつもりであると答え、『だから、その男に不都合なところがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、私と一緒に下って行って、告発すればよいではないか』と言った。」
・フェストスが始めた裁判で、ユダヤ人たちはパウロの罪を訴えたが、具体的に何一つ立証できず、逆に訴えられたパウロが堂々と無実を主張する皮肉な結果となった。
−使徒25:6-8「フェストゥスは、八日か十日ほど彼らの間で過ごしてから、カイサリアへ下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロを引き出すよう命令した。パウロが出廷すると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちが彼を取り囲んで、重い罪状をあれこれ言い立てたが、それを立証することはできなかった。パウロは、『私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません』と弁明した。」
・新総督フェストスも前総督フェリクスと同様、ユダヤ人の歓心を買おうとして、パウロにエルサレムでの裁判を勧めたが、パウロは皇帝への上訴を希望した。
−使徒25:9-12「しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った。『お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、私の前で裁判を受けたいと思うか。』パウロは言った。『私は皇帝の法廷に出ているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存知のとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことはしていません。もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します。そこで、フェストゥスは陪審の人々と協議してから、『皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとへ出頭するように』と答えた。』
・パウロは前に進むためであれば、カイサリアでの長い幽閉にも耐えた。しかし、事態が後戻りするのであれば、合法的手段を活用して、道を開く。パウロの上訴により、福音が帝国の首都にまで広がることになった。パウロがロ−マ皇帝への上訴を決意したのは、エルサレムで裁判が行われれば、当然、ユダヤ人たちの恣意で不正な裁判が行われると考えたからだった。しかし、当時のローマ皇帝はキリスト者迫害者として悪名高い「ネロ」(在位54-68年)だった。彼の許で裁判を受けるのもまた危険な行為だったが、パウロはあえてその道をとった。田中正造が足尾鉱毒事件で明治天皇に直訴してその場で取り押さえられたように、パウロの上告も賭けに近いものであったかも知れない。
2.パウロ、アグリッパ王の前に引き出される
・新総督に挨拶するためにユダヤ王アグリッパ二世が訪ねてきた。彼はヘロデ大王のひ孫であり、祖父ヘロデ・アンティパスはバプテスマのヨハネを殺し、イエスの裁判にも臨席した。父ヘロデ・アグリッパは使徒ヤコブを殺している。ヘロデ家は初代教会とは因縁の家系だった。そのアグリッパに総督フェストゥスがパウロのことを相談する。
−使徒25:13-16「数日たって、アグリッパ王とベルニケが、フェストスに敬意を表するためにカイサリアに来た。彼らが幾日もそこに滞在していたので、フェストゥスはパウロの件を王に持ち出して言った。『ここにフェリクスが囚人として残していった男がいます。私がエルサレムへ行った時に、祭司長たちやユダヤ人の長老たちがこの男を訴え出て、有罪の判決を下すように要求したのです。私は彼らに答えました。「被告が告発されたことについて、原告の面前で弁明する機会も与えられず、引き渡されるのはロ−マ人の慣習ではない」と』」
・フェストゥスはパウロとユダヤ人を法廷で対決させた経過をアグリッパ王に説明した。
−使徒25:17-19「『それで、彼らが連れ立って当地へ来ましたから、私はすぐにその翌日、裁判の席に着き、その男を出廷させるよう命令しました。告発者たちは立ち上がりましたが、彼について、私が予想していたように、罪状は何一つ指摘できませんでした。パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きているとパウロは主張しているのです。』」
・フェストゥスの説明で、パウロに興味をもったアグリッパ王は裁判に出席を希望した。
−使徒25:20-22「『私はこれらのことの調査の方法が分からなかったので、「エルサレムへ行き、そこでこれらの件に関して裁判を受けたくはないか」と言いました。しかし、パウロは、皇帝陛下の判決を受けるときまで、ここに留めておいてほしいと願い出ましたので、皇帝のもとに護送するまで、彼を留めておくように命令しました。』そこでアグリッパがフェストゥスに、『私も、その男の言うことを聞いてみたいと思います』と言うと、フェストゥスは、『明日、お聞きになれます』と言った。」
・翌日、盛装したアグリッパ王とベルニケをはじめ、千人隊長たち、町の長老など多勢を裁判に同席させ、自らの権威を誇示したフェストゥスは、裁判を公正に行うと宣言した。
−使徒25:23-26「翌日、アグリッパとベルニケが盛装して到着し、千人隊長たちや町の主だった人々と共に謁見室に入ると、フェストゥスの命令でパウロが引き出された。そこでフェストゥスは言った。『アグリッパ王、ならびに列席の諸君、この男を御覧なさい。ユダヤ人がこぞって生かしておくべきではないと叫び、エルサレムでもこの地でも私に訴え出ているのは、この男のことです。しかし、彼が死罪にあたるようなことは何もしていないということが、私には分かりました。ところが、この者自身が皇帝に上訴したので、護送することに決定しました。しかしこの者について確実なことは、何も陛下に書き送ることができません。そこで、諸君の前に、特にアグリッパ王、貴下の前に彼を引き出しました。よく取り調べてから、何か書き送るようにしたいのです。』」
・苦境に立たされたパウロは、堂々と無罪を主張した。それを為さしめたのは彼の信仰である。イエスは苦境に立った時のあるべき信仰を教えている。
−マタイ10:17-20「人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。また、私のために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しすることになる。引き渡された時は、何をどう言おうかと心配してはならない。その時には言うべきことは教えられる。実は話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語って下さる父の霊である。」
・パウロはローマの法律に反する罪は犯していない。彼らが争っているのは「死んだイエスが今も生きているかどうか」という彼らの宗教内部の出来事なのだと総督はアグリッパに言う。フェストゥスは偶然にも、福音の本質を言い当てた。ローマ総督や大祭司は「イエスは死んだ」と認識しているが、パウロは「イエスは生きている」と主張する。復活とは「かつて起こったかではなく、イエスが今も生きておられるかどうか」が争点になっている。私たちにとっても、根源的な問いだ「イエスは今も生きておられるのか」。
−ヨハネ11:25-26「イエスは言われた『私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。』」
・キリスト者はイエスが受難に会われたように、苦難に会う。そのことの意味を中世の修道士トマス・ア・ケンピスは著書「キリストに倣いて」の中で次のように語る。「キリストに倣いて」は聖書の次に求められている本だという(日本では岩波訳がある)。
−キリストに倣いて「時として試練や困難に合うことは、私たちにとって良いことです。何故ならそれによって、私たちは見習い中の身であり、この世のいかなるものにも希望をおくべきではないことを忘れずに済むからです。親切に、よかれと思ってしているにもかかわらず、人々から誤解されたり、反発に見舞われたりするのも良いことです。これらのことは、私たちがへりくだり、むなしい栄光から自らを守るのに役立つからです。表面上は誰からも認められない時、誰からもよく思われない時、そのような時こそ私たちは心をご覧になられる神を一層求めるようになります。ですから、人は人間からの慰めを必要としないですむように、神のなかに堅く根を張るべきです。」