1.やもめの献金
・神殿の献金箱の脇に座っていたイエスは、献金する金持ちたちに混じって、貧しいやもめが持てるすべてのもの、レプトン銅貨二枚を献げるのを見て、その信仰を褒められた。
−ルカ21:1-4「イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、言われた。『確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆有り余る中から献金したが、この人は乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。』」
・レプトン銅貨はイエス時代のユダヤ貨幣の中で最小額の貨幣だった。今の日本なら100円程度であろうか。多くの金持ちが千円、五千円、あるいは一万円を献げる中で、やもめは100円硬貨2枚を差し出した。それが彼女の持てる全てであり、それを差し出せば今日のパンも買えない。それなのに持てるすべてを献げた。「神が必要なものは与えて下さる」と信じたからだ。やもめは持てる金のすべてを献げたが、それ以上に自分自身を献げる信仰があった。
・かつて金持ちの議員はイエスに質問した「何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」。イエスは答えて「姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え」と命じられた。彼は「それらすべては守っています」と答えた。しかしイエスが「あなたに欠けているものが一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば天に冨を積むことになる」と言われた時、悲しみながら立ち去った。たくさんのものを持っていたからである(ルカ18:18-23)。
2.神殿の崩壊を予告する
・神殿の壮麗な石造りの建物と見事な奉納物に見とれている人々に、イエスは「この神殿は滅びる」と予告された。聞いていた人々は驚いた。
−ルカ21:5-6「ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。『あなたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることはない。』」
・当時のエルサレム神殿はヘロデが数十年の年月と伸べ10万人の労働者を使って旧神殿を大改修したものであり、地中海世界において評判の大建造物であった。壮麗な規模と美しさを誇り、人々はエルサレム神殿がある限り、神はエルサレムに住まわれ、いつかはローマの支配から解放して下さると信じていた。その崩壊を預言することは、イスラエルの滅亡預言と同じで、政治的危険を含んでいた。
−エレミヤ26:4-8「『主はこう言われる。もし、お前たちが私に聞き従わず・・・預言者たちの言葉に聞き従わないならば・・・私はこの神殿をシロのようにし、この都を地上のすべての国々の呪いの的とする』・・・祭司と預言者たちと民のすべては、彼を捕らえて言った『あなたは死刑に処せられねばならない』」。
・「神殿は信仰がなくとも建てることが出来る。しかし信仰なしに建てられた神殿はどのように立派なものであってもやがて崩れる」とイエスは預言された。その預言通り、ヘロデが建てたこの神殿は40年後にローマによって破壊される。ユダヤは紀元66年にローマに対し反乱を起こし(ユダヤ戦争)、武力に勝るローマ軍はエルサレムを制圧し、紀元70年に神殿は破壊され、廃墟となった。ローマが滅んだ後、神殿はイスラム帝国により改修され、今日では「岩のドーム」として知られるイスラム教寺院となり、外壁の一部のみが、「嘆きの壁」として残されている。正に信仰亡き神殿は崩れる。
・貧しいやもめの献金と神殿崩壊についての話を、私たちはどのように聞けば良いのだろうか。壮大な神殿を維持するためにはお金がかかる。当時の神殿には1万人近い祭司が勤めていたから、人件費も膨大なものであった。人間の目から見ればたくさん献金した金持ちの方が偉い、しかし神の目から見れば、精一杯の献げものをしたやもめの方が尊いとイエスは言われた。
・私たちが「教会を立てる」という時、何を目指すべきなのだろうか。私たちは教勢、教会の盛衰を会員数と献金額の推移でみる。献金が伸びていれば祝福があり、低下していれば教会に問題があるという風に考える。どの教会も会員数が増え、献金が増えることを望んでいるが、これは私たちが「やもめ」ではなく「金持ち」を求めていることになるのだろうか。また、信仰亡き神殿は無意味でありやがて崩れるとしたら、私たちは教会堂という建物をどのように理解したらよいのだろうか。
3.終末の徴
・イエスから神殿崩壊の予告を聞いた人々は驚き、それはいつ起こるのかとイエスに尋ねた
−ルカ21:7「そこで彼らはイエスに尋ねた。『先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こる時にはどんな徴があるのですか。』」
・イエスは世の終わりが来る前兆として起こるべくして起こる様々なことを話し始められた。まず大勢の偽メシアが現れ、人々を惑わせる。彼等に扇動され惑わされて、動かされてはならない。戦争と暴動が起こったと聞かされても、すぐ世の終わりは来ない。怯えて前後を忘れ取り乱してはならない。
―ルカ21:8-9「イエスは言われた。『惑わされないよう気をつけなさい。私の名を名乗る者が大勢現れ、「私がそれだ」とか、「時が近づいた」とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。』」
・ここに語られているのはイエス死後に初代教会が体験した出来事だ。イエスの生前からローマに対する反乱の動きはあったが(ガリラヤのユダの反乱、紀元6年)、イエス死後にそれが加速し、「チウダの乱(44−46年)」等メシアを自称する多くの扇動者が現れてローマに対する武装蜂起を呼びかけ、また世界的な飢饉や大規模地震が多発し、世情は不安定化していた。そのような中でユダヤ人たちの不満が対ローマ戦争という形で燃え上がり、ローマ軍の攻撃により、紀元70年にエルサレムの街は破壊され、神殿も燃やされてしまう。ルカ福音書が書かれたのは紀元80年頃にはエルサレム神殿は廃墟となっていた。
・戦乱や地震や飢饉が起こると、人々はそれを誰かのせいにする。当時の人々はそれをキリスト教徒のせいにして教会に対する迫害が始まった。初代教会はユダヤ教からは「異端」と迫害され、ローマ帝国からは世を乱す「邪教」として迫害された。「人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、私の名のために王や総督の前に引っ張って行く」とはまさに教会の信徒が経験したことだ。
−ルカ21:10―13「そして更に、言われた。『民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、私の名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証をする機会となる。』」
・「迫害の時は、弁明と絶好の証しの機会となる。迫害の時を恐れて、前もって、想を練り心の準備をする必要はない。その時が来れば、彼等の内のどんな強い反対者でも反論できない知恵と言葉を私があなたがたに与えるのだから、心配しなくてよいのだ」という声をルカは復活のイエスから聞いている。
―ルカ21:14-19「『だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、私があなたがたに授けるからである。あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる、中には殺される者もいる。『また、私の名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。』」
4.エルサレム滅亡の予告
・20節から預言は具体的になる。ルカは紀元70年のエルサレム滅亡を目撃している。
−ルカ21:20「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい」。
・66年にローマからの解放を求めるユダヤ戦争が始まった。国粋主義者を中核とする植民地解放戦争である。キリスト教徒たちはイエスの預言に従い、エルサレムを離れ、ヨルダン川東岸ペラに逃れた。ルカは「エルサレムの終わりがこの世の終わりではない」と考えている。
−ルカ21:21-22「その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである」。
・他方、ユダヤ教徒たちは、神が自分たちを救うために介入されると狂信的に期待し、神殿に立てこもり、最後までローマに抵抗し、そのために100万人以上が殺され、10万人が捕虜となったとヨセフスは書く。
−ルカ21:23-24「それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである。人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる」。