1.イエスの誕生
・イエスはローマ皇帝アウグストゥスの時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとルカは記す。アウグストゥスは帝国内のすべての住民に税と兵役を課すための住民登録を命じ、それぞれが本籍地への移動を強制された。
−ルカ2:1−3「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録せよとの勅令が出た。これはキリニウスがシリア州の総督であった時に行われた、最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。」
・ヨセフはベツレヘムの出身であったので、臨月のマリアを連れて、ベツレヘムへ向かった。しかしベツレヘムには泊めてくれる宿が無く、マリアは家畜小屋でイエスを産み、飼い葉桶に寝かせたとルカは記す。
−ルカ2:4−7「ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」
・聖書学者の多くは、イエスは、紀元前4年頃にガリラヤのナザレで生まれ、ベツレヘム生誕は伝説であろうと考えている。キリニウスの住民登録は紀元6年であり、また住民登録は居住地でなされた。ルカは歴史学者であり、事情に精通していた。それにも関わらず、彼はイエス生誕の時と場所を、紀元6年のベツレヘムにした。当時の人々はアウグストゥスを「救い主」(ソーテール)と呼び、「主」(キュリエ)と呼んで崇めた。しかしルカは「時の皇帝アウグストゥスではなく、その治世下に生まれになったイエスこそ本当の救い主である」と告げるためにこの物語を記録している。
・ルカはイエスが家畜小屋でお生まれになったと記す。神はその子を極貧の中で、最も卑しい者として生まれさせた。初代教会はここに神の恵みを見た。
−ピリピ2:6-8「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」。
2.天使の讃美
・イエスの誕生を見守ったのは、当時の社会から排除されていた羊飼いたちだった。羊飼いは貧しさのゆえに賃金労働者として他人の羊の番をしていた。世の支配者たちは誰もメシアの誕生を知らなかった。
−ルカ2:8−12「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。私は民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』」
・ルカはイエス生誕時、「民全体に与えられる大きな喜びを告げる」という天からの声があったと伝える。「告げる」、ギリシア語「エウアンゲリゾー」は、「福音(エウアンゲリオン)」の動詞形であり、元々はローマの皇帝礼拝で用いられた言葉だった。歴史資料は「皇帝アウグストゥスこそ、平和をもたらす世界の“救い主(ソーテール)”であり、神なる皇帝の誕生日が、世界にとって新しい時代の幕開けを告げる“福音(エウアンゲリオン)”の始まりである」と告げる(ベルリン・ペルガモン博物館蔵碑文)。それに対してルカは、「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである」と述べる。
・ルカはその時、「天使の大集団が神の栄光と地の平和を祈り讃える大合唱を行った」と記す。
−ルカ2:13−17「すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』天使たちが離れて天に去った時、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか』と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。」
・ルカ福音書の誕生物語では、「世界の救い主」と讃えられた皇帝アウグストゥスが、全世界に向けて人口登録を命じ、この命令によって、ナザレで生まれるはずのイエスが、ベツレヘムで生まれる。ベツレヘムこそメシアが生まれると預言された場所であった(ミカ5:1)。ルカは「ローマ皇帝の権力が旧約聖書の預言の成就をもたらした、神はローマ皇帝さえもその道具としてお用いになった」と記述している。
・「この方こそ主メシアである」という天使の言葉は、「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」こそ、真の救い主であると主張している。この記事を読んだローマの人々は嘲笑っただろう「ユダヤの救い主を見よ、彼らの救い主は家畜小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かされた。誰がこのような救い主を拝むのか」。その死から300年後ローマ帝国はキリスト教を受け入れ(313年ミラノ勅令)、やがてキリスト教は帝国の国教となる(392年)。イエスの生誕を知らなかったローマ皇帝の子孫が、キリストと呼ばれたイエスの前に、頭を下げて拝んだ。
3.イエスの奉献
・イエスは8日目に割礼を受けられ、ヨシュア(主は救い)と名づけられた。そして清めの期間が過ぎて、神殿に奉げものを捧げるために連れて行かれた。両親が奉げたのは貧者の奉げものとされた鳩であった。
−ルカ2:22−24「モ−セの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎた時、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは、主の律法に『初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される。』と書いてあるからである。また、主の律法に言われている通りに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。』」
・ヨセフとマリアが宮に入った時、預言者シメオンに出会う。老預言者シメオンは「自分はメシアに出会った」と讃歌を歌い始めるが、讃美の後半はイエスの十字架を預言している。メシアは信じる者には救いの石であるが、信じないものにはつまずきの石になると彼は預言する。
−ルカ2:25−35「その時、エルサレムにシメオンという人がいた・・・シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。『御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。多くの人の心にある思いがあらわにされるからです。』」
・神殿には預言者アンナもいて、啓示を受けてイエスを祝福した。その後、イエスは神の恵みにより知恵が増し、たくましく成長した。
−ルカ2:36−40「また、アシエル族のファヌエルの娘でアンナという預言者がいた・・・彼女は近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んで人々に幼児のことを話した。親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレへ帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。」
4.幼年時代のイエス
・ユダヤ人は十二歳でバル・ミツバ(律法の子)となる。成人式である。イエスにもその時がきた。
−ルカ2:41−45「両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になった時も、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についた時、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親は気づかなかった・・・親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。」
・両親は神殿で律法学者と話すイエスを見出した。母親の叱責に子は反発する。この物語は聖家族と言われる家庭にも、親と子の断絶があったことを示すエピソードである。
−ルカ2:46−52「三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた・・・両親はイエスを見て驚き、母が言った。『なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんも私も心配して捜していたのです。』するとイエスは言われた。『どうして私を捜したのですか。私が父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。』しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった・・・イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。」