1.マルタ島にて
・パウロたち一行は難破した船から陸地に泳ぎ渡った。その島はマルタ島で、人々は難破した一行のために、焚き火を焚いてもてなしてくれた。パウロが枯れ枝を火にくべようとすると、そこに隠れていた蝮がパウロの手を噛んだ。人々はパウロが罪を犯したので、水難から助かっても、正義の女神がこの人を罰するのだと思った。
−使徒言行録28:3-4「パウロが一束の枯れ枝を集めて火にくべると、一匹の蝮が熱気のために出て来て、その手に絡みついた。住民は彼の手にぶら下がっているこの生き物を見て、互いに言った『この人はきっと人殺しにちがいない。海では助かったが、正義の女神はこの人を生かしておかないのだ』」。
・しかし、パウロが毒蛇に噛まれても死なないのをみると、一転して、パウロを神だと賛美する。
−使徒言行録28:5-6「ところが、パウロはその生き物を火の中に振り落とし、何の害も受けなかった。体がはれ上がるか、あるいは急に倒れて死ぬだろうと、彼らはパウロの様子をうかがっていた。しかし、いつまでたっても何も起こらないのを見て、考えを変え、『この人は神様だ』と言った」。
・古代の人々は自然や気候変動のなすがままにされていた。嵐が来れば船は難破し、伝染病が起これば体力のない者は死ぬ。だから、彼らは自然のあらゆる所に神の働きを見た。現代の私たちは、病気には薬が、嵐には気象予報があるが、神を信じることが出来なくなった。私たちは、マルタの住民より幸せなのだろうか。
−使徒言行録28:7-8「この場所の近くに、島の長官でプブリウスという人の所有地があった。・・・ときに、プブリウスの父親が熱病と下痢で床についていたので、パウロはその家に行って祈り、手を置いていやした」。
・病気回復の基本は自然治癒力であり、手当てとは手を置くことだ。現代の医療にはこの人格関係がなくなった。
−ヤコブ5:14-16「病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。・・・主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」。
2.エルサレムからローマへ
・マルタで冬を越したパウロたちは船出し、ローマの外港プテオリに入港した。そこから陸路でローマに向かったパウロたちをローマ教会の人々が迎えに来た。見ず知らずの者でも同じ信仰を持つ者は仲間として迎えられる。
−使徒言行録28:15「ローマからは、兄弟たちが私たちのことを聞き伝えて、アピイフォルムとトレス・タベルネまで迎えに来てくれた。パウロは彼らを見て、神に感謝し、勇気づけられた」。
・ローマでパウロは軟禁され、外出は許されなかったが、外部の人と交わることは出来た。パウロはローマに着くと、早速ユダヤ人の主な人々を集め、伝道を始めた。
−使徒言行録28:16-17「私たちがローマに入ったとき、パウロは番兵を一人つけられたが、自分だけで住むことを許された。三日の後、パウロはおもだったユダヤ人たちを招いた」。
・ユダヤ人たちのある者は信じ、他の者は信じなかった。しかし、パウロは監禁状態の中で、伝道を続けた。
−使徒言行録28:30-31「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」。
・使徒言行録はここで終わる。私たちはこの終わりを知りきれトンボのように感じるが、ルカは閉じる。使徒言行録の役割は、エルサレムから始まった福音が、地の果てローマまで伝えられたことで完結する。
−使徒言行録1:7-8「イエスは言われた『あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、私の証人となる』」。
・ピリピ書はこのローマの獄中で書かれたとされている。そこには、パウロの影響を受けて、ローマの兵卒まで福音を信じるに至ったことが記されている。
−ピリピ1:12-14「私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。つまり、私が監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体・・・の人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、私の捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなく勇敢に、御言葉を語るようになったのです」。
・パウロはこのローマで殉教したと伝えられている(紀元62〜64年ごろ)。おそらくはパウロは為すべきことは為し終えた喜びの中で死んで行ったと思われる。
−?テモテ4:6-8「私自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。私は、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれを私に授けてくださるのです」。