江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2007年3月14日祈祷会(?ヨハネ5章、兄弟を愛し、彼のために祈れ)

投稿日:

1.イエスをキリストと告白できない人々

・ヨハネの手紙は、イエスが人であり、かつ神であることを受け入れず、教会を分裂して去っていった人々がいることを示している。ヨハネは残った者たちに言う「あなたがたはキリストの愛のうちに留まりなさい」。
―?ヨハネ5:1-2「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。このことから明らかなように、私たちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します」。
・キリストの愛のうちに留まるとは、兄弟を愛することだ。それは自分に敵対する人をも愛していくことだ。愛は好き嫌いではない。イエスは言われた「自分を愛してくれる人を愛したところで何の報いがあろうか」。
―マタイ5:46-47「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか」。
・ヨハネでさえも、教会を去っていった人々を愛することができないことを認める。私たちの愛は限界を持つ。
―?ヨハネ2:18-19「反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。・・・彼らは私たちから去って行きましたが、もともと仲間ではなかったのです。仲間なら、私たちの元に留まっていたでしょう。しかし去って行き、誰も私たちの仲間ではないことが明らかになりました」。
・そのような人たちをも愛する愛はただ信仰から来る。信仰こそが人が愛し合うことを可能にする。
―?ヨハネ5:3-5「神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それは私たちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」。

2.兄弟のために祈れ

・教会を去っていった人々は、イエスが人であることを認めることが出来なかった。人ゆえに死の恐怖と戦われ、人ゆえに栄光を求める自己と戦われた。私たちと同じ苦しみを苦しまれたゆえに、この方は救い主なのだ。
―ヘブル5:7「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました」。
・この方は水と血を通って来られた。十字架こそ救いなのだ。それは人には愚かに見えようと、神の救済なのだ。
―?ヨハネ5:6-9「この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。そして、霊はこのことを証しする方です。・・・私たちが人の証しを受け入れるのであれば、神の証しは更にまさっています。神が御子についてなさった証し、これが神の証しだからです」。
・十字架による救いを信じることの出来ない人々は教会を去っていった。彼らは十字架という神の証しを受け入れることが出来なかった。彼らは神を偽り者にしてしまった。
―?ヨハネ5:10-12「神の子を信じる人は、自分の内にこの証しがあり、神を信じない人は、神が御子についてなさった証しを信じていないため、神を偽り者にしてしまっています。その証しとは、神が永遠の命を私たちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません」。
・出て行った人々のうち、悔い改める人は赦しなさい。しかし、自分の罪を認めない人には救いはない。
―?ヨハネ5:16「死に至らない罪を犯している兄弟を見たら、その人のために神に願いなさい。そうすれば、神はその人に命をお与えになります。これは、死に至らない罪を犯している人々の場合です。死に至る罪があります。これについては、神に願うようにとは言いません」。
・パウロは罪を犯しても悔い改めない人は教会から除名せよという。除名という強硬手段を通して、彼に悔い改めの機会を与えるためだ。教会内のパン種は放置してはいけない、それは他のものをも腐らせる。
―?コリント5:1-6「こんなことをする者を自分たちの間から除外すべきではなかったのですか。・・・それは主の日に彼の霊が救われるためです。・・・わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか」。
・人は悔い改めてバプテスマを受けても罪を犯す。その罪を認め、悔い改め続けていく生涯こそ、キリスト者の生き方だ。背教者は背教ゆえに罪人ではなく、自分の過ちを認めないところに罪がある(ルカ18:11-12参照)。
―?ヨハネ1:9「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義から私たちを清めてくださいます」。

-

Copyright© 日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会 , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.