1.コリント教会からの批判に対するパウロの反論
・パウロはコリント教会を訪問して中傷・面罵を受け、エペソから教会を問責する「涙の手紙」を書いた。その手紙が?コリント10-13章に編集されていると思われる。1-9章とは語調の変わった激しい手紙だ。
-?コリ7:11-12「例の事件に関しては、あなたがたは自分がすべての点で潔白であることを証明しました。ですから、あなたがたに手紙を送ったのは、不義を行った者のためでも、その被害者のためでもなく、私たちに対するあなたがたの熱心を、神の御前であなたがたに明らかにするためでした」。
・10章でパウロは自分に加えられている理由のない批判に反論する。パウロの反対派はパウロは「面と向かっては弱腰だが手紙では強硬だ」とか、「コリント教会を支配するために活動している」とか、批判したようだ。
-?コリ10:1-2「あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、この私パウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います。私たちのことを肉に従って歩んでいると見なしている者たちに対しては、勇敢に立ち向かうつもりです。私がそちらに行くときには、そんな強硬な態度をとらずに済むようにと願っています」。
・コリント教会では、エルサレムからの巡回伝道者がパウロ批判を繰り返し、教会の一部が反パウロになっていった。パウロはこのような動きの背後に教会を乱すサタンに姿を見て、神の武器を取ってサタンと戦うと言う。
-?コリ10:3-6「私たちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。私たちは理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、すべての不従順を罰する用意ができています」。
・パウロの戦いは教会を破壊する事ではなく、建て直す事だ。そのためには「全ての不従順を罰する用意が出来ている」、即ち、反対者を処罰し、教会から追放することも必要だとさえパウロは言う(?コリント5:?-7参照)。
2.使徒の権威と誇り
・反対者たちはパウロの使徒性を否定した。何故ならば彼はエルサレム教会からの推薦状を持っていないし、生前のイエスから直接の委託を受けたのでもない。しかし、パウロは自分の使徒職は神からのものだと主張する。
-?コリ10:7-8「あなたがたは、うわべのことだけ見ています。自分がキリストのものだと信じきっている人がいれば、その人は、自分と同じく私たちもキリストのものであることを、もう一度考えてみるがよい。あなたがたを打ち倒すためではなく、造り上げるために主が私たちに授けてくださった権威について、私がいささか誇りすぎたとしても、恥にはならないでしょう」。
・私はコリントを開拓伝道した。そのことが私の使徒であることを証する。コリントは神が私に委ねてくださった伝道の場なのだ。自己推薦するのではなく、神から推薦されているのだ(?コリント3:1-3参照)。
-?コリ10:12-14「私たちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです。私たちは限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇るのです・・・実際、私たちはキリストの福音を携えてだれよりも先にあなたがたのもとを訪れたのです」。
・反対者は私が立てた土台の上に立っている教会を混乱させ、壊そうとしている。教会の目的は合い争うことではなく、成長して地域の伝道拠点になることだ。
-?コリ10:15-16「私たちは、他人の労苦の結果を限度を超えて誇るようなことはしません。ただ、私たちが希望しているのは、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたの間で私たちの働きが定められた範囲内でますます増大すること、あなたがたを越えた他の地域にまで福音が告げ知らされるようになること、私たちが他の人々の領域で成し遂げられた活動を誇らないことです」。
・私は自分のためではなく、主のために働いている。そのことだけは理解して欲しいとパウロは訴える。
-?コリ10:17-18「誇る者は主を誇れ。自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです」。
・教会がキリストの体となるまで苦しむと彼は言う。牧会者の役割は聖徒を聖徒にふさわしい者にすることだ。
-エペソ4:12-13「聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、私たちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである」(口語訳)。