江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2005年9月28日祈祷会(ガラテヤ2章、律法かキリストか)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.アンティオキア教会での出来事

・パウロはバルナバによりアンティオキア教会に招かれ、宣教の働きを始めた。アンティオキアにはユダヤ人もギリシア人もいたが、お互いの差異に関らず信徒の交わりが行われ、人々は始めてクリスチャンと呼ばれた。
-使徒11:25-26「バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」。
・しかし、エルサレム教会のある人々は『異邦人も割礼を受けて律法を守らなければいけない』と主張し、教会に混乱が起き始めた。バルナバとパウロは問題を話し合うためにエルサレムに行った。
-使徒15:1-2「ある人々がユダヤから下って来て『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった」。
・これがガラテヤ2章にある問題の背景だ。ガラテヤの人々も「割礼なしには救われない」とするエルサレムからの圧力で教会が混乱していた。そのガラテヤにパウロはアンティオキ教会で起こった出来事を書いている。
-ガラテヤ2:1-2「十四年たってから、私はバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際テトスも連れて行きました。・・・私は、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、主だった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました」。
・会議では異邦人に割礼を強要しないことが決められ、ペテロにはユダヤ人への宣教の業が、パウロには異邦人への宣教の業が委ねられることになった。
-ガラテヤ2:7-9「彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、私には割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。・・・また、彼らは私に与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、私とバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、私たちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。

2.律法から自由でない人々との戦い

・会議で決まったもののユダヤ人の律法に対する信仰は消えなかった。ペテロやバルナバでさえも律法主義者に押されてその態度を後退させている。
-ガラテヤ2:11-13「ケファがアンティオキアに来たとき、・・・ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました」。
・当時、主の晩餐式は共同の食事の中で営まれていた。共に食卓につかないことは、共に礼拝をしないことを意味し、見過ごしに出来ない問題だった。律法により救われるのならキリストは何のために死んだのか。
-ガラテヤ2:16「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです」。
・律法によっては誰も救われない。だからキリストの十字架を仰ぐ。それなのにまた律法に戻ろうとする。
-ガラテヤ2:21「私は、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます」。
・自分ほど律法による救いを求めて苦闘した者はいない。しかし、律法は人を救わない。私は復活のキリストに出会ってそれを知った(ローマ7:24)。だから私は律法に死に、キリストに生きるようになった。
-ガラテヤ2:19-20「私は神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。私は、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです」。
・割礼の強要の問題は、バプテスト教会には「浸礼の強要」の問題となる。同じように、無割礼者と食卓を共にしないのは「主の晩餐式を信徒に限る」と言うこととの関連で見る必要性を教えるかもしれない。

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