2005年8月31日祈祷会(?コリント12章、弱さを誇る)
1.弱さの中に恵みが
・パウロは自己の神体験を語ろうとしない。伝道者が自己の神体験を誇っても、聞く者の徳を高めないからだ。しかし、ここではあえて語る。彼は幻の内に天に上り、そこで天の有様を見ることを許された。
-?コリ12:2-4「私は、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。・・・私はそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。・・・彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです」。
・そのような体験を通して伝道者は自分の召命を確信する。それは誇るべきことだが、自分を振り返った時、目に付くのは肉の身の弱さだ。弱さを通して神を誇ることに、パウロは導かれていく。
-?コリ12:5「このような人のことを私は誇りましょう。しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません」。
・パウロは深刻な病を持っていたらしい。癲癇と言われているが確かではない。それは彼の心身を苦しめると同時に、伝道の妨げにもなっていた。パウロはこの病を取り去ってくれるように、繰り返し主に祈った。
-?コリ12:7-8「私の身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、私を痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、私は三度主に願いました」。
・与えられたのは「私の恵みはあなたに十分である」との言葉だった。肉のとげがある故に自分の弱さを知る。弱さを知るから主を求める。病がいやされないこともまた恵みであることをパウロは知らされた。
-?コリ12:9「主は、『私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」。
・キリストのために苦しむこと、キリストと共に苦しむことは恵みである。ここに聖書の信仰がある。
-?コリ12:10「それゆえ、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、私は弱いときにこそ強いからです」。
2.コリント再訪への杞憂
・パウロはこれから三度目のコリント訪問を計画している。しかし、コリント教会の大勢はパウロに批判的だ。パウロは愚かな自己弁解を再び繰り返す。
-?コリ12:11-12「私は愚か者になってしまいました。あなたがたが無理にそうさせたのです。・・・私は、たとえ取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちに比べて少しも引けは取らなかったからです。私は使徒であることを、しるしや、不思議な業や、奇跡によって、忍耐強くあなたがたの間で実証しています」。
・批判の一つはエルサレム教会への献金運動であった。パウロが自給伝道をしながら、エルサレムへの献金活動をしていることを、コリントの一部の人々は、パウロが自分の腹を肥やすためにしていると曲解していた。伝道者にとって金銭的な問題で誤解を受けることほど悲しいことはない。パウロはその気持ちを切々と述べる。
-?コリ12:14-15「私はそちらに三度目の訪問をしようと準備しているのですが、あなたがたに負担はかけません。私が求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。子は親のために財産を蓄える必要はなく、親が子のために蓄えなければならないのです。私はあなたがたの魂のために大いに喜んで自分の持ち物を使い、自分自身を使い果たしもしよう。あなたがたを愛すれば愛するほど、私の方はますます愛されなくなるのでしょうか」。
・パウロの誤りはコリント教会に積極的に献金要請をしなかったことだ。教会が献金して伝道者の業を助けるという重荷を負わない限り、教会は成長しない。
-?コリ12:16-18「私が負担をかけなかったとしても、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったということになっています。そちらに派遣した人々の中のだれによって、あなたがたをだましたでしょうか。テトスにそちらに行くように願い、あの兄弟を同伴させましたが、そのテトスがあなたがたをだましたでしょうか。私たちは同じ霊に導かれ、同じ模範に倣って歩んだのではなかったのですか」。
・どのように説明しても人に信じてもらえない時がある。コリントの人々はパウロの関係が既に崩れている。
-?コリント12:19-21「あなたがたは、私たちがあなたがたに対し自己弁護をしているのだと、これまでずっと思ってきたのです・・・私は心配しています。そちらに行ってみると、あなたがたが私の期待していたような人たちではなく、私の方もあなたがたの期待どおりの者ではない、ということにならないだろうか・・・再びそちらに行く時、私の神があなたがたの前で私に面目を失わせるようなことはなさらないだろうか。以前に罪を犯した多くの人々が、自分たちの行った不潔な行い、みだらな行い、ふしだらな行いを悔い改めずにいるのを、私は嘆き悲しむことになるのではないだろうか」。
・パウロはコリント教会へ数通の手紙を書いたといわれているが、その中で残っている手紙は二通だけ(第一コリント、第二コリント)だ。その第二コリントは最初の1-9章と後半の10-13章は大きく様相が異なる。おそらく第二コリントの前半と後半は別の手紙、後半10章以下は失われたといわれている「涙の手紙」の一部ではないかとされる。その手紙の中で、パウロは激しい言葉でコリントの人々を批判している。
―?コリント2:4「私は悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした」(2:4)。
・その手紙はパウロに対して侮辱を加えた人物を教会から除名するように求める激しさを持っていた。パウロは手紙を弟子テトスに持たせてコリントに派遣し、テトスが帰還して、コリント教会との関係がすべて好転したという吉報をパウロにもたらした。コリント教会の人々が悔い改めたことを知ったパウロは喜びに包まれた。その彼らへの感謝の文言が第二コリント7章にある。
-?コリント7:8-9「あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、私は後悔しません。確かに、あの手紙は一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔したとしても、今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたが悲しんだのは神の御心に適ったことなので、私たちからは何の害も受けずに済みました」。