1.イエスの埋葬(19:38-42)
・イエスの死を見守り、その遺体を埋葬したのは、アリマタヤのヨセフであった。
―ヨハネ19:38「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。」
・マルコによれば、この人は最高法院の議員だった。彼はイエスの裁判に同席し、十字架の場にもいた。その時には、イエスの処刑に反対する勇気が無かった。しかし、イエスの死がこの人を変える。神は必要な時には思いもよらない人を通して、御業を為される。教会も揺れることがあっても倒れる事は無い。
―マルコ15:42-43「夕方になった。・・・アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである。」
・ニコデモも埋葬を手伝った。彼もまた他者の目をはばかり、信仰を隠していた人である。
―ヨハネ19:39 「そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た」。
・信仰者に求められるのは、ペテロのような勇ましい勇気ではなく、ヨセフやニコデモのような静かな勇気である。明治初めに起きた浦上四番崩れもこれを示す。踏み絵を踏んで棄教しても、終わりではないのだ。
―浦上のキリシタンたちは、大浦天主堂でプチジャン神父と出会って自分たちの信仰を明らかにした後、寺での葬儀を拒んだためキリシタンであることが明るみに出ることとなった。このため、切支丹禁令高札を継承していた明治政府は、1868年から1873年までの5年間、浦上のキリシタンたちを西日本各地に配流し、拷問を持って改宗を迫った。配流者総数3,384名、配流地での死者613名、配流地での出生者163名、1,011名が棄教し、1,900名が信仰を守り抜いて帰郷した。棄教した者も帰郷後に殆ど信仰を取り戻したと言う。
・イエスが十字架で死なれた後、陰府に降り、死んだ者を慰められたと言う記事は私たちを励ます。
―?ペテロ3:18-19「キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました」。
2.空の墓
・イエスの遺体は香料を入れた亜麻布に包まれて、ヨセフの新しく造った墓に収められた。
―ヨハネ19:40-42「彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。」
・本来であれば、遺体は洗われ、油を塗って葬られる。だから、婦人達は三日目に油を持って墓に行った。
―ルカ23:55-56「婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した。婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。」
・ところがマリアと他の婦人達が墓に行ったところ、墓の石は取り除けてあり、遺体がなくなっていた。
―ヨハネ20:1-2「週の初めの日、朝早く・・・マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。・・・『主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、私たちには分かりません』」。
・ペテロとヨハネは墓に走った。彼らがそこで見た物は、空の墓であった。
―ヨハネ20:6-7「ペトロは・・・外に出て墓へ行った。・・・彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。」
・聖書が伝える復活は、空の墓という客観的事実と復活のイエスに出会ったという顕現証言の二つである。弟子たちが命を懸けて証言したのは「私たちは復活のイエスに出会った」と言うことだった。私たちはこの復活を信じる。復活こそ、私たちの信仰の根源であり、私たち自身も出会った出来事だからだ。
―?コリ15:14-17「キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。・・・キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。」
―?コリ15:3-8「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが・・・私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、・・・三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。・・・最後に、月足らずで生まれたような私にも現れました。」