1.復活のイエスとの再会
・イエスはエルサレムで弟子達に会われた後、ガリラヤに行くように命じられた。弟子達はガリラヤでイエスを待った。しかし、イエスは現れず、弟子たちは不安に駆られて、元の職業である漁師の生活に戻った。
−ヨハネ21:2-3「シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。シモン・ペトロが『私は漁に行く』と言うと、彼らは『私たちも一緒に行こう』と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。」
・夜通し漁をしたが、何も取れなかった。その時、誰かが浜で「船の右側に網を下ろしなさい」と言い、それに従った所、多くの魚が取れた。
−ヨハネ21:3-6「その夜は何もとれなかった。既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。・・・イエスは言われた『舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ』。そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。」
・弟子たちは前に同じ経験をしている。それでこの人がイエスだとわかった。
−ルカ5:4-6「シモンに『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。シモンは『先生、私たちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう』と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。」
2.船の右側に網を下ろす
・聖書では、右側は神の道であり、左側は人間の道という象徴として用いられる。
−マタイ25:31-41「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、私の父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい』。・・・王は左側にいる人たちにも言う『呪われた者ども、私から離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ』。
・人の思いのままに行動する時、そこには破綻と滅亡がある。神の思いに従って生きるとき、そこに祝福がある。私たちの前には呪いと祝福が置かれている。どちらを選択するかは、私たちの意思だ。
−申命記28:1-15「もし、あなたがあなたの神、主の御声によく聞き従い、今日わたしが命じる戒めをことごとく忠実に守るならば、あなたの神、主は、あなたを地上のあらゆる国民にはるかにまさったものとしてくださる。・・・しかし、もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、今日わたしが命じるすべての戒めと掟を忠実に守らないならば、これらの呪いはことごとくあなたに臨み、実現するであろう」。
・JOCS(キリスト教海外医療協力会)の標語は「舟の右側に網を下ろす」(ヨハネ21:6)だ。
−途上国に医師や看護婦を派遣して医療活動を行っても、派遣者が引き上げると、医療活動は停止する。医師や看護婦を派遣して、現地の医師や看護婦の養成を行えば、派遣者が帰国した後にも医療活動は継続できる。
・食糧援助も今日では「食物を育てる援助」が主になっている。オルター・トレードと言う団体はAlternative(もう一つの道)を目標に途上国の人々に農業のやり方を教え、それを生協等で引き受けることにより援助する。
−マタイ2:12「(学者たちは)ヘロデのところへ帰るなと夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った」。
・御言葉は聞くだけでは不十分だ。聞いた言葉を行い始める時、御言葉が生きてくる。多くのクリスチャン達が御言葉を行い、それを通して、神の栄光を示している。
−ヤコブ2:14-17「私の兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。」
・『お言葉ですから、網を下ろしましょう』と言うペテロの従順は大事だ。言葉への従順がイエスとの出会いを招いた。何もしなければ、そこからは何も生まれない。