1.ラザロの死
・イエスがベタニアにつかれた時、ラザロは死んで4日経っていた。
−ヨハネ11:17「「イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。」
・マルタは「イエスが早く来てくれれば、弟ラザロは死ななかったのに」と恨み言を言った。
−ヨハネ11:21「マルタはイエスに言った。『主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに』」。
・イエスは、ラザロは復活すると言われたが、マルタは信じない。マルタは妹のマリアを呼びに行った。
−ヨハネ11:28「マルタは、こう言ってから、家に帰って姉妹のマリアを呼び、『先生がいらして、あなたをお呼びです』と耳打ちした。」
・マリアはイエスの足元にひれ伏し、「主がいてくれたら、兄弟は死ななかったでしょう」と言い、泣き崩れた。
−ヨハネ11:32「マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、『主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに』と言った。」
・イエスはマリアの涙を見て、死の支配に対して、激しく憤られ、共に泣かれた。
−ヨハネ11:33-35「イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、・・・イエスは涙を流された。」
・石の心は死人をよみがえらせることは出来ない。共に喜び、共に泣く中に、奇跡が生まれる。
−ローマ12:15「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
2.ラザロの復活
・当時の墓は洞窟を掘ったもので、入り口に石を置く。イエスは墓の石を取り除くように言われたが、マルタは「もうにおいます」と言ってためらった。
−ヨハネ11:38-39「イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。イエスが、『その石を取りのけなさい』と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、『主よ、四日もたっていますから、もうにおいます』と言った。」
・マルタは死人のよみがえりを信じていない。イエスは「信じるならば、神の栄光を見ると言ったではないか」とマルタを叱責された。
−ヨハネ11:40「イエスは、『もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか』と言われた。」
・イエスが前に「信じる者は死んでも生きる」とマルタに言われた。しかし、人間には信じられない。
−ヨハネ11:25-27「イエスは言われた。『私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。』マルタは言った。『はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであると私は信じております。』」
・しかし、人々はイエスの言葉に従って石を取り除いた。その行為を見て、イエスは神が願いを聞かれたことを知り、感謝して祈られた。石を取り除くと言う行為が奇跡を招いた。
−ヨハネ11:41「人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。『父よ、私の願いを聞き入れてくださって感謝します。』」
・そして、墓に向かって「ラザロ、出てきなさい」と言われた。死んだラザロがよみがえって出てきた。
−ヨハネ11:43-44「『ラザロ、出て来なさい』と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。」
・奇跡は神の意思と人間の信仰が合致した時に為される。信仰のないところには奇跡は起きない。
−マルコ6:1-6「イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。・・・そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。」
・また同時に神の意思のないところには奇跡は起きない。私たちに出来ることは祈って待つことだけだ。
− ?コリ12:7-9「思い上がることのないようにと、私の身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、私を痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、『私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。』」