江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2003年9月10日  ヨハネ1:1-18  言葉が肉となった

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1.言葉(ロゴス)

・ヨハネは「始めに言葉=ロゴスがあった」として、イエスが神であったことを証しする(ロゴス=キリスト論)。
―ヨハネ1:1-4「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」
・聖書は神が天地を創造され、今もなお支配されておられると言う。ヨハネによれば、天地を創造された神はキリストであった(三位一体の神)。
―創世記1:1-3「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。」
・人はどこから生まれ、どこに行くのか知らない。人は生死を支配することは出来ない。人の生死は神により支配されていると言うのが聖書の主張だ(創造主を認めない人も、自分の生死を支配できないことは知るので、人か自然かを絶対視する。そういう意味で無関心の人はいても無宗教の人はいない)。
―ヨブ記1:21「私は裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」

2.先駆者ヨハネ

・光を証しするためにバプテスマのヨハネが来た。肉的にはヨハネはイエスの師であり、イエスにバプテスマを授けた。
―マタイ3:13−4:17「イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。・・・イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。・・・そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。」
・しかし、霊的にはヨハネはキリストを証しするために派遣されたとヨハネ福音書は言う。
―ヨハネ1:29-31「ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『私の後から一人の人が来られる。その方は私にまさる。私よりも先におられたからである』と私が言ったのは、この方のことである。私はこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、私は、水で洗礼を授けに来た。」

3.言葉の受肉

・言葉は肉となって世に来たが、世は彼を認めなかった。人間は自己の暗闇(優越欲、支配欲、名誉欲、虚栄等)に支配され、神に支配されることを喜ばない。
―ヨハネ1:10-11「言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。」
・その私たちが罪を知り、悔い改め、求めるためには十字架が必要だった。弟子たちはイエスを裏切ることによって自分達の罪を知り、復活のイエスに出会うことによって自分達が赦されたのを知った。
―マタイ26:31-32「今夜、あなたがたは皆私につまずく。『私は羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう』と書いてあるからだ。しかし、私は復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」
・このつまずき、神の子の十字架での死を通して、人が死から救われる道が開かれた。
―イザヤ53:6「私たちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。その私たちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。」
・十字架を目撃した少数の者は、神によって目を開いていただき、この方が神であることを認めた。
―ヨハネ1:12-13「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」
・そしてキリストが「世の罪を取り除く神の小羊」であったことを知った時、弟子たちは変えられていった。
―使徒行伝5:40-42「使徒たちを呼び入れて鞭で打ち、イエスの名によって話してはならないと命じたうえ、釈放した。それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。」

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