1.イエスは律法を廃止する為ではなく、完成するために来られた。
・イエスの述べられた福音は旧約の律法の完成である。
―マタイ5:17-18「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。」
・イエスの福音は旧約聖書への深い理解から来る。
―申命記6:4-5「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」
―レビ記19:18「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。」
―マタイ22:34-40「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
2.律法の基本は神を愛し、人を愛せよとの教えであった。
・律法の代表である十戒は最初の1−4戒が神に対する戒め、6-10戒が人間に対する戒めである。
―出エジプト記20:3-17「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。・・・隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」
・神との関係が正されて、人との関係も正されていく。主の祈りも同じ構造である。
―マタイ6:9-13『天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。 /わたしたちに必要な糧を今日与えてください。わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』
3.従ってイエスは律法の廃止を説かれなかった。むしろ、律法の中に福音がある。
・寄留者、孤児、寡婦を保護するように律法は求める、それは、エジプトの地で奴隷であった民が今豊かになったのだから、今貧しい者を助けよという規定である。
―申命記24:17-22「寄留者や孤児の権利をゆがめてはならない。寡婦の着物を質に取ってはならない。・・・畑で穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。・・・オリーブの実を打ち落とすときは、後で枝をくまなく捜してはならない。ぶどうの取り入れをするときは、後で摘み尽くしてはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。あなたは、エジプトの国で奴隷であったことを思い起こしなさい。わたしはそれゆえ、あなたにこのことを行うように命じるのである。」
・新約の思想も同じである。許されたのだから許せー恵みが先行している。
―マタイ6:14-15「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」
4.父なる神の恵みへの感謝が人を隣人への行動に招く。
・行為は信仰のバロメーターの一つである。
―?ヨハネ4:20-21「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。」
―ヤコブ1:22「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」
・イエスの教えの要約がマタイ25章の教えである。
―マタイ25:40『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』