江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2024年5月23日祈祷会(申命記22章、日常生活における倫理規定)

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1.日常生活に関する諸規定

 

・「同胞の家畜が迷っていたらそれを保護せよ。誰のものか不明の時は、わかるまで預かりなさい」と命じられる。

-申命記22:1-2「同胞の牛または羊が迷っているのを見て、見ない振りをしてはならない。必ず同胞のもとに連れ返さねばならない。もしも同胞が近くの人でなく、だれであるかも分からない場合は、それを家に連れ帰り、同胞が捜しに来るまで手もとに置き、捜しに来たとき、その人に返しなさい」。

・同胞を愛する。これは神の民には当然なことだ。戒めは信仰による応答であり、信仰は行為を伴う。

-ヤコブ2:14「私の兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか」。

・女は男の着物を着てはいけないし、男は女の着物を着てはいけない。それは神が人を男女に造られた創造の秩序を犯すものだ。男には男の、女には女の役割がある。

-申命記22:5「女は男の着物を身に着けてはならない。男は女の着物を着てはならない。このようなことをする者をすべて、あなたの神、主はいとわれる」。

・母鳥と雛鳥を共に取るな。母鳥を離せ、そうすれば母鳥はまた命を生むことが出来る。屋根には欄干をつけよ、そうすれば隣人が落ちて死ぬことを防止できる。細かい規定が続く。何故規定があるのか。主を愛するとは隣人を愛することであり、隣人を愛するとは隣人を気にかけることだ。

-レビ19:18「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。私は主である」。

 

2.姦淫をすることは隣人を貪ることだ。

 

・22章後半は姦淫について述べられる。妻が結婚前に不品行を犯した場合はその妻を殺せと命じられる。

-申命記22:20-21「その娘に処女の証拠がなかったという非難が確かであるならば、娘を父親の家の戸口に引き出し、町の人たちは彼女を石で打ち殺さねばならない。彼女は父の家で姦淫を行って、イスラエルの中で愚かなことをしたからである。あなたはあなたの中から悪を取り除かねばならない」。

・しかし、根拠なき疑いで妻を離縁しようとする者は懲らしめを受け、妻を離婚することは出来ない。

-申命記22:18-19「町の長老たちは男を捕まえて鞭で打ち・・・彼に銀百シェケルの罰金を科し、それを娘の父親に渡さねばならない。彼女は彼の妻としてとどまり、彼は生涯、彼女を離縁することはできない」。

・人妻と寝た男は人妻もろとも殺せと命じられる。

-申命記22:22「男が人妻と寝ているところを見つけられたならば、女と寝た男もその女も共に殺して、イスラエルの中から悪を取り除かねばならない」。

・婚約している娘が助けを呼ぶことの出来る状況下で他の男に犯されたなら、二人とも殺せと命じられる。

-申命記22:23-24「ある男と婚約している処女の娘がいて、別の男が町で彼女と出会い、床を共にしたならば、その二人を町の門に引き出し、石で打ち殺さねばならない。その娘は町の中で助けを求めず、男は隣人の妻を辱めたからである。あなたはこうして、あなたの中から悪を取り除かねばならない」。

・しかし、助けを呼べない状況下であれば、娘の命は助けられる。

-申命記22:25-27「ある男が別の男と婚約している娘と野で出会い、これを力ずくで犯し共に寝た場合は、共に寝た男だけを殺さねばならない。その娘には何もしてはならない。娘には死刑に当たる罪はない・・・男が野で彼女に出会い、婚約している娘は助けを求めたが、助ける者がいなかったからである」。

・女がまだ婚約していない場合は、強姦した男は罰金を父親に払い、その女と結婚すれば許される。

-申命記22:28-29「ある男がまだ婚約していない処女の娘に出会い、これを捕らえ、共に寝たところを見つけられたならば、共に寝た男はその娘の父親に銀五十シェケルを支払って、彼女を妻としなければならない。彼女を辱めたのであるから、生涯彼女を離縁することはできない」。

・父の後妻と息子との姦通は厳しく戒められる。コリント教会でも同じ出来事が起こり、パウロはこれを批判している(第一コリント5:1-8)。

-申命記23:1「だれも父の妻をめとって、父の衣の裾をあらわにしてはならない」。

・申命記は何故このようなことを事細かに書くのだろうか。それは姦淫こそ隣人を貪る行為であり、隣人の家庭を滅ぼす行為だからだ。「隣人を貪るな」と戒めは「隣人の妻を欲するな」と書かれている。

-申命記5:21「あなたの隣人の妻を欲してはならない。隣人の家、畑、男女の奴隷、牛、ろばなど、隣人のものを一切欲しがってはならない。」

・人間の命は性の営みにより継続される。性を通して、命を子に伝え、人は永遠の命を得る。だから性を快楽のための道具にしてはいけない。

-創世記1:27「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ』」。

 

3.旧約の伝統の中でイエスはその再解釈をされた。

 

・「姦淫の罪を犯した者は殺せ」という申命記の伝統の中で、イエスはあえて姦淫の女を赦された。それは自分が攻撃されることを覚悟の上の行為であり、贖罪は自分の命と引き換えに行われた。

-ヨハネ8:4-11「『先生、この女は姦通をしている時に捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています・・・』。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。『あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい』。そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。『婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか』。女が、『主よ、だれも』と言うと、イエスは言われた。『私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない』〕」。

・ヨハネ7:53-8:11は〔 〕の中に書かれている。このしるしは「後代の加筆と見られているが、年代的に古く重要である箇所を示す」。ヨハネ福音書の古い写本には記載がなく、後代の加筆の可能性が高く、資料的な問題があるという記号だ。伝承そのものは古く、イエスに由来することは争いがない。では何故そのような入れ替えが行われたのだろうか。この記事は本来ルカ福音書21章にあったが、罪を犯したにもかかわらず、その罪を無条件に赦すイエスの態度に、ルカの教会の人々が戸惑ったゆえに削除されたと思える。「姦淫のような重い罪を犯した者を無条件で赦せば、教会の秩序は保てない。いくらイエスの言葉だからと言って受け入れがたいではないか」。その結果、この記事がルカ福音書から削除され、後になってヨハネ福音書の一部として、承認されたとされる。内村鑑三はこの物語について「この一編のごとき、これを全福音書の縮写として見ることが出来る。もしこの編だけが残っていたとしても、イエスの感化は永久に消えない」と語る。聖書はまさに人間を超えた神の言葉である。

・マタイ5章「山上の説教」には6つの反対命題が掲げられている。イエスは形式主義化した律法を見直し、心のこもった解釈をされた。イエスにおいて律法は完成され、旧約の規定が乗り越えられた。

-5:21-22「あなたがたも聞いている通り、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、私は言っておく『兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける』」。

-5:27-28「あなたがたも聞いている通り、『姦淫するな』と命じられている。しかし、私は言っておく。『みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである』」。

-5:31-32「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。しかし、私は言っておく。『不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる』」。

-5:33-34「また、あなたがたも聞いている通り、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、私は言っておく『一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である』」。

-5:38-39「あなたがたも聞いている通り『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、私は言っておく『悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい』」。

-5:43-44「あなたがたも聞いている通り、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、私は言っておく『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい』」。

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