1.捕囚の苦しみの中で
・申命記が最終的に編集されたのは捕囚地バビロンであった。申命記30章はバビロンの地で捕囚となっている民に対して語られている。あなたたちは罪を犯して約束の地から追放されたが、神はそのようなあなたたちが悔い改めれば、必ず戻して下さるとの約束が語られている。
-申命記30:1-3「私があなたの前に置いた祝福と呪い、これらのことがすべてあなたに臨み、あなたが、あなたの神、主によって追いやられたすべての国々で、それを思い起こし、あなたの神、主のもとに立ち帰り、私が今日命じるとおり、あなたの子らと共に、心を尽くし、魂を尽くして御声に聞き従うならば、あなたの神、主はあなたの運命を回復し、あなたを憐れみ、あなたの神、主が追い散らされたすべての民の中から再び集めて下さる」。
・「例え地の果てに追いやられても、そこから戻して下さる。主はそのような方だ」と述べられている。これは捕囚期の預言者が繰り返し、述べた約束だ。エゼキエルもエレミヤもその慰めを語り続けた。
-エゼキエル34:11-14「主なる神はこう言われる。見よ、私は自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、私は自分の羊を探す・・・私は彼らを諸国の民の中から連れ出し、諸国から集めて彼らの土地に導く。私はイスラエルの山々、谷間、また居住地で彼らを養う。私は良い牧草地で彼らを養う。イスラエルの高い山々は彼らの牧場となる」。
・あなたは約束を守ることが出来なかった。故に主はあなたを異国に追放された。しかし、主はあなたに約束を守ることの出来る心を与えて下さる。帰国の後、あなたは新しいものに変えられる。
-申命記30:6-8「あなたの神、主はあなたとあなたの子孫の心に割礼を施し、心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主を愛して命を得ることができるようにして下さる・・・あなたは立ち帰って主の御声に聞き従い、私が今日命じる戒めをすべて行うようになる」。
・これはエレミヤが述べる新しい契約だ。心に律法を刻まれて、人は戒めを生きる者になる。
-エレミヤ31:31-33「新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつて私が彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。私が彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれである・・私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる」。
・その時、戒めは守ることの出来ないものではなく、守ることの出来るもの、祝福の契約となる。
-申命記30:11-14「私が今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない・・・御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる」。
2.信仰の決断をすること
・私たちの前に「命と幸い」、「死と祝福」が置かれている。あなたは捕囚となり、苦しみの中でそれを知った。今、改めて、あなたはそのどちらを選ぶのか、決断が求められている。
-申命記30:15-18「私は今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。私が今日命じるとおり、あなたの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと掟と法を守るならば、あなたは命を得、かつ増える・・・もしあなたが心変わりして聞き従わず、惑わされて他の神々にひれ伏し仕えるならば・・・あなたたちは必ず滅びる」。
・主に従うことが出来るように、捕囚の苦しみが与えられたのだ。それを無駄にしてはいけない。
-申命記30:19-20「私は今日、天と地をあなたたちに対する証人として呼び出し、生と死、祝福と呪いをあなたの前に置く。あなたは命を選び、あなたもあなたの子孫も命を得るようにし、あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につき従いなさい。それが、まさしくあなたの命であり、あなたは長く生きて、主があなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた土地に住むことができる」。
・決断をするのは私たちだ。私たちは弱く、決断しても守り通すことが出来ないかもしれない。それでも努めよ。
-エフェソ4:17-23「もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩み、知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています・・・以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません」。
・それを可能にするには教会につながり続ける事だ。繰り返し、御言葉を聞き、心に刻むことだ。
-ヨハネ15:3-4「私の話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。私につながっていなさい。私もあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、私につながっていなければ、実を結ぶことができない」。
3.申命記的信仰のすばらしさともろさ
・律法を守れば救われる。この申命記の語りは正しい。しかし人間はこの律法を自分たちの勝手に変えてしまう。このような宗教的変容がアメリカのキリスト教にもあると森本あんりは指摘する。
-森本あんり「トランプ大統領は酒もタバコもしない。ギャンブルに手を出すこともない。刺激物はコーヒーすら飲まない。キリスト教の教会に通い、積極的思考を実践することで世界一の大国アメリカで人もうらやむ成功を手にした。この禁欲的に思える男の根源にはアメリカの宗教的伝統がある。トランプの奇妙な信心深さは、アメリカ的キリスト教の文脈ではけっして特殊な例ではない。世界のどの国よりもノーベル賞受賞者を生み出す科学先進国なのに未だに進化論を否定する人々が相当数いて、移民の国であることがアイデンティティであるように思えるのに強烈な排外主義が存在し、大きな政府を毛嫌いしたかと思えば大統領選挙に熱狂する。アメリカには、にわかには理解できない矛盾が数多く存在する。この矛盾を読み解くカギが『アメリカに土着化したキリスト教』にある」。
・「アメリカにおけるキリスト教の土着化で最初に挙げられるキーワードは、「富と成功」という勝ち組の理論である。もともと聖書では神と人間の関係を、神は人間が不服従な時にも一方的に恵みを与えてくれるという、『片務契約』で理解する。ところが、ピューリタニズムがアメリカに移植される過程で、「片務契約」は『双務契約』へと転移していく。双務ということは、人間は神に従い、神は人間に恵みを与える義務がある。これは信賞必罰、ギブ・アンド・テイクの論理であり、神学的な恩恵概念からは逸脱している。この論理の行き着く先には「神の祝福を受けているならば、正しい者だ」という考え方が待ち受けている」。こうしてアメリカは独善的な「神の国」になってしまった。
-「自分は成功した。大金持ちになった。それは人びとが自分を認めてくれただけではなく、神もまた自分を認めてくれたからだ。たしかに自分も努力した。だが、それだけでここまで来られたわけではない。神の祝福が伴わなければ、こんな幸運を得ることはできなかったはずだ。神が祝福してくれているのだから、自分は正しいのだ。」(「宗教国家アメリカのふしぎな論理」から)。
・この独善的な信仰がガザの戦いの背景にある。現代のイスラエル人は「ここは神が与えると約束された土地だ」として、武力でパレスチナ人の土地を奪い取ってきた。それに対して、パレスチナ人たちは、テロ行為で反撃してきた。イスラエルは激しく反撃し、居領地の病院や学校に爆弾を落とし、数万人の女性や子供たちが亡くなっている。ガザでの紛争は、3000年前の申命記時代の争いが再現されている。イスラエルはアメリカの支援を受けて、パレスチナの民族そのものを抹殺しようとしている。これは自衛権の範囲を大きく逸脱した行為だ。
・アメリカでイスラエルを支援している人々は、福音派と呼ばれるクリスチャンたちで、彼らは「パレスチナの地は神がイスラエルに与えられた約束の地」という聖書の言葉を文字通りに信じ、イスラエルを支援している。この福音派の人々が今は共和党の岩盤支持層としてアメリカを動かしている。私たちはウクライナには同情を寄せるが、ガザには無関心だ。しかしガザでジェノサイド(民族撲滅)が行われており、その活動をアメリカの福音派の人々が支援しているとしたら、それは「聖書の誤った読み方である」と主張すべきではないか。神はイスラエルとパレスチナの共存を願っておられ、一方的な迫害行為を許されない方だと私たちは信じる。