江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2024年6月20日祈祷会(申命記26章、民の信仰告白)

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1.信仰告白

 

・約束の地に入るイスラエルに対するモーセの勧告が申命記の中核である。5章以降述べられてきた「掟と法」が26章で閉じられる。

-申命記26:16「今日、あなたの神、主はあなたに、これらの掟と法を行うように命じられる。あなたは心を尽くし、魂を尽くして、それを忠実に守りなさい」。

・何故掟を守るのか、主が恵みを下さった、その恵みに答えるためだ。申命記26:5以下は最古の信仰告白と言われる。

-申命記26:5-9「私の先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。しかしそこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました。エジプト人はこの私たちを虐げ、苦しめ、重労働を課しました。私たちが先祖の神、主に助けを求めると、主は私たちの声を聞き、私たちの受けた苦しみと労苦と虐げを御覧になり、力ある御手と御腕を伸ばし、大いなる恐るべきこととしるしと奇跡をもって私たちをエジプトから導き出し、この所に導き入れて乳と蜜の流れるこの土地を与えられました」。

・「私たちが叫ぶと主は聞いて下さった」、ここに信仰の本質がある。私たちは、問題を抱え、どうしようもなく困っている時、神に叫び、求めれば神は聞いて下さる。満ち足りた人は求めない故に不幸なのだ。

-ルカ6:20-25「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。・・・しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている。今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる」。

・約束の地に入って最初の収穫が与えられた時、初穂は主に捧げよと言われる。主から与えられた故に主に返せと語られる。

-申命記26:1-3「主が嗣業の土地として得させるために与えられる土地にあなたが入り、そこに住む時には、あなたの神、主が与えられる土地から取れるあらゆる地の実りの初物を取って籠に入れ、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所に行きなさい。あなたは・・・祭司のもとに行き『今日、私はあなたの神、主の御前に報告いたします。私は、主が私たちに与えると先祖たちに誓われた土地に入りました』と言いなさい」。

・今日、礼拝を捧げることが大事だと言われている。過去の救いの出来事の故に今日の収穫があり、それを主に献げる。そして将来の祝福を祈る。それを今日献げる、それが礼拝だと言われている。

-申命記26:10-11「『私は、主が与えられた地の実りの初物を、今、ここに持って参りました』。あなたはそれから、あなたの神、主の前にそれを供え、あなたの神、主の前にひれ伏し、あなたの神、主があなたとあなたの家族に与えられたすべての賜物を、レビ人およびあなたの中に住んでいる寄留者と共に喜び祝いなさい」。

 

2.告白に対する応答

 

・収穫の十分の一は貧しい人と共に食べて祝えと言われている。一人で祝うのは礼拝ではない。

-申命記26:12-13「十分の一の納期である三年目ごとに、収穫物の十分の一を全部納め終わり、レビ人、寄留者、孤児、寡婦に施し、彼らが町の中でそれを食べて満ち足りた時、あなたの神、主の前で次のように言いなさい。『私は、聖なる献げ物を残らず家から取り出し、すべてあなたが命じられた戒めに従って、レビ人、寄留者、孤児、寡婦に施し、あなたの戒めからはずれたり、それを忘れたりしませんでした』」。

・やるべきことは行い、やるべきでないことはしていないことを主の前に示せ。そして祝福を求めよ。

-申命記26:14-15「それを喪中に食べたり、汚れているときに取り出したり、死者に供えたりしたことはありません。私の神、主の御声に聞き従い、すべてあなたが命じられたとおりに行いました。天にあるあなたの聖なる住まいから見下ろして、あなたの民イスラエルを祝福し、あなたが先祖に誓われたとおりに、私たちに授けられた地、乳と蜜の流れる土地を祝福してください」。

・礼拝の前にするべきことをしなさい。言葉だけの信仰ではいけないことイエスも言われた。

-マタイ5:23-24「あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい」。

・「あなたは契約を守ると誓約した。故に神はあなたを自分の民とされるだろう」とモーセは言葉を結ぶ。

-申命記26:16-19「今日、あなたの神、主はあなたに、これらの掟と法を行うように命じられる。あなたは心を尽くし、魂を尽くして、それを忠実に守りなさい。今日、あなたは誓約した『主を自分の神とし、その道に従って歩み、掟と戒めと法を守り、御声に聞き従います』と。主もまた、今日、あなたに誓約された『・・・造ったあらゆる国民にはるかにまさるものとし、あなたに賛美と名声と誉れを与え、既に約束したとおり、あなたをあなたの神、主の聖なる民にする』」。

・その誓いを石の板に書けと命じられる。

-申命記27:1-8「モーセは、イスラエルの長老たちと共に民にこう命じた。今日、私が命じるすべての戒めを守りなさい。ヨルダン川を渡り、あなたの神、主が与えられる土地に入る日には、大きな石を幾つか立て、しっくいを塗り、あなたが川を渡った時、その上にこの律法の言葉をすべて書き記しなさい。こうしてあなたは、あなたの先祖の神、主が約束されたとおり、あなたの神、主が与えられる乳と蜜の流れる土地に入ることができる・・・主の祭壇を築き、その上であなたの神、主に焼き尽くす献げ物をささげなさい。また、和解の献げ物を屠ってそれにあずかり、あなたの神、主の御前で喜び祝いなさい。あなたは石の上にこの律法の言葉をすべてはっきりと書き記しなさい」。

 

3.聖なる契約の条文が律法だが、人間の罪はその律法をゆがめた。イエスはその本来の姿に戻された。

 

・ルカ福音書は、イエスと弟子たちが安息日に麦畑を通って行かれた時、弟子たちが麦の穂を摘み、もんで食べ始めたことを、ファリサイ派の人々が咎めたと記す(6:1-2)。当時の律法では他人の畑の麦の穂を摘んで食べることは許されていた(申命記23:26)。「しかし、安息日には許されない」とファリサイ人は主張していた。何故ならば麦の穂を摘むことは刈入れ、仕事をする事であり、「安息日には仕事をしてはいけない」という律法の規定に反するからだ。

・安息日の本来の意味は、農耕生活における休息日だ。農耕は過酷な労働であり、休まないと体力を回復できない。だから「6日間働いて7日目には休みなさい」という、祝福としての安息日が与えられていた。「あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめねばならない。それは、あなたの牛や驢馬が休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである」(出エジプト記23:12)。本来の安息日は「休んで元気を回復する」ための規定だった。

・その規定がバビロン捕囚後には、「安息日は聖なる日であるからこれを守れ」と意味が変わっていく。「七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである」(出エジプト20:10-11)。安息日は「主が聖別された日」であることを強調すれば、安息日は「守らなければいけない」日になる。

・バビロン捕囚以降は民族の規律を維持するために安息日が重視され、やがては「安息日を犯す者は殺されなければならない」(出エジプト記31:15)という厳格規定に変わっていく。「休むことができる」という規定が、「休まなければいけない日」へと意味を変え始めた。律法学者たちはこれを受けて、「安息日には仕事を一切してはいけない、麦の穂を摘むことも刈入れに当たるから禁止されている」と考えた。

・それに対してイエスは言われた「人の子は安息日の主である」(6:5)。人々は安息日の戒めを厳格に守るために細かい規則を作った。火をおこすこと、薪を集めること、食事を用意することさえも安息日には禁じられるようになる。ここに至って、安息日が安息ではなく、人を束縛するものになっていった。イエスは「恵みとして与えられた安息日を、束縛と苦痛の日にしてしまった」ファリサイ人や律法学者の偽善を追求された。「人の子は安息日の主である」、これは当時の人々がびっくりする教えだった。「必要があれば安息日を破っても良い」とイエスは言われた。律法学者たちは怒り狂い、「イエスを十字架につけよ」と叫んだ。イエスは律法を本来の姿に戻すために戦われ、そして死なれた。そのことにより、私たちは律法の呪いから解放され、福音の喜びを賛美する者とさせられた。

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