江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2024年4月11日祈祷会(申命記16章、旧約における祭り)

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1.過越祭と除酵祭

 

・イスラエルの祭りは元々農業の祭りであり、その祭りがやがて出エジプトを記念した信仰の祭りとなっていく。春にもたれる「過越祭」は、元来は家畜の繁殖を祈る時であり、家畜を災害から守るために小羊を犠牲として屠り、その血を天幕の入り口に塗った。その過越が出エジプトの出来事に合体されていく。

-申命記16:1-2「アビブの月を守り、あなたの神、主の過越祭を祝いなさい。アビブの月のある夜、あなたの神、主があなたをエジプトから導き出されたからである。あなたは、主がその名を置くために選ばれる場所で、羊あるいは牛を過越の生贄としてあなたの神、主に屠りなさい」。

・過越祭は同時に大麦の収穫を祝う時でもあった。収穫された大麦を用いて、パンを焼く。その時に、古いパン種を捨て、パン種を入れないパンを焼く。この除酵祭と過越祭が合体し、エジプトの記憶を思い起こす祭りとなっていく。

-申命記16:3-4「その際、酵母入りのパンを食べてはならない。七日間、酵母を入れない苦しみのパンを食べなさい。あなたはエジプトの国から急いで出たからである。こうして、あなたはエジプトの国から出た日を生涯思い起こさねばならない」。

・祭りは当初は各地で祝われたが、やがてエルサレムに集中されるようになる。

-申命記16:5-8「過越の生贄を屠ることができるのは、あなたの神、主が与えられる町のうちのどこででもよいのではなく、ただ、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所でなければならない。夕方、太陽の沈むころ、あなたがエジプトを出た時刻に過越の生贄を屠りなさい。それをあなたの神、主が選ばれる場所で煮て食べ、翌朝自分の天幕に帰りなさい。六日間酵母を入れないパンを食べ、七日目にはあなたの神、主のために聖なる集まりを行い、いかなる仕事もしてはならない」。

 

2.七週の祭りと仮庵の祭り

 

・過越から七週が過ぎた時に、小麦の刈入れを祝う「五旬祭」が開かれる。七週祭、初穂の祭りとも言われる。

-申命記16:9-10「あなたは七週を数えねばならない。穀物に鎌を入れる時から始めて七週を数える。そして、あなたの神、主のために七週祭を行い、あなたの神、主より受けた祝福に応じて、十分に、あなたがささげうるだけの収穫の献げ物をしなさい」。

・収穫を家族や奴隷、寄留者と共に祝えと言われる。エジプトの奴隷から助け出された主に感謝するためである。

-申命記16:11-12「息子、娘、男女の奴隷、町にいるレビ人、また、あなたのもとにいる寄留者、孤児、寡婦などと共に喜び祝いなさい。あなたがエジプトで奴隷であったことを思い起こし、これらの掟を忠実に守りなさい」。

・仮庵の祭りは、本来は秋のぶどうやイチジク、オリーブ等の果物の収穫を祝う祭りであった。ぶどうの収穫期には、畑に仮庵(作業小屋)を作り、収穫したことから、この名前が来る。

-申命記16:13-15「麦打ち場と酒ぶねからの収穫が済んだ時、あなたは七日間、仮庵祭を行いなさい。息子、娘、男女の奴隷、あなたの町にいるレビ人、寄留者、孤児、寡婦などと共にこの祭りを喜び祝いなさい。七日間、主の選ばれる場所であなたの神、主のために祭りを行いなさい。あなたの神、主があなたの収穫と手の業をすべて祝福される。あなたはただそれを喜び祝うのである」。

・この収穫祭がやがてエジプトの荒野の旅をしのぶものとなっていく。

-レビ記23:42-43「あなたたちは七日の間、仮庵に住まねばならない。イスラエルの土地に生まれた者はすべて仮庵に住まねばならない。これは私がイスラエルの人々をエジプトの国から導き出した時、彼らを仮庵に住まわせたことを、代々の人々が知るためである。私はあなたたちの神、主である」。

・男子は年に三回、祭りのためにエルサレム神殿に参拝が求められた。

-申命記16:16-17「男子はすべて、年に三度、すなわち除酵祭、七週祭、仮庵祭に、あなたの神、主の御前、主の選ばれる場所に出ねばならない。ただし、何も持たずに主の御前に出てはならない。あなたの神、主より受けた祝福に応じて、それぞれ、献げ物を携えなさい」。

 

 

3.旧約の祭りと新約への継承

 

・過越祭の初めに除酵祭があり、人々は出エジプトを覚えて、小羊を屠り、酵母を入れぬパンを食べた。イエスは最後の晩餐を「過越の食事」としてとられた。イエス亡き後の教会は、最後の晩餐を記念して、聖餐式(主の晩餐式)を行うようになる。

-ルカ22:14-16「時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた『苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、私は切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、私は決してこの過越の食事をとることはない』」。

・過越祭から50日目が五旬祭(七週祭)である。教会はその日をペンテコステ(聖霊降臨日)として祝う。その日、聖霊が降り、初めての回心者が与えられた。

-使徒行伝2:41「ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた・・・ペトロは力強く証しをし、『邪悪なこの時代から救われなさい』と勧めていた。ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった」。

・秋の贖罪の日には大祭司が至聖所に入り、犠牲を捧げて、民の罪の購いを行う。ヘブル書はイエス自らが大祭司になり、自らを犠牲として捧げられたと記す。イエスの十字架死を贖罪死と初代教会が認識したのはこの伝統と、イザヤ53章「主の僕の死」をキリストの十字架死と理解したからだ。

-大貫隆「イエスという経験」から「イエス処刑後に残された者たちは必死でイエスの残酷な刑死の意味を問い続けていたに違いない。その導きの糸になり得たのは聖書であった。聖書の光に照らされて、今や謎と見えたイエスの刑死が、実は神の永遠の救済計画の中に初めから含まれ、聖書で預言されていた出来事として了解し直された・・・彼らはイザヤ53章を『イエスの刑死をあらかじめ指し示していた預言』として読み直し、イエスの死を贖罪死として受取り直した」。

・仮庵の祭りは荒野の40年間の旅を忘れないための祭りであった。イエスは宣教の始めに荒野に行かれた。荒野で神の声を聞くためである。荒野の伝統をイエスも継承されている。

-マタイ4:1-2「イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた」。

・仮庵の祭りは、後に水の祭り(雨乞いの祭り)に発展し、毎日シロアムの池から水が汲まれ,神殿の水盤に注がれた。イエスはこれを見て、私こそ「生きた水である」と言われた。

-ヨハネ7:37-38「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。『渇いている人はだれでも、私のところに来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる』」。

・民は定められた祭りを覚える。それは神を忘れないためだ。豊かになり、満ち足りると神の恵みを忘れ、自分の力で生きていると思い始める。私たちもそうだ。だから十字架の想起が日常に必要となる。

-マタイ16:24-25「私について来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のために命を失う者は、それを得る」。

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