・詩編150編はハレルヤ詩編146-150編の最後の一編であり、詩編全体のまとめでもある。この詩の全部が礼拝での賛美「ハレルヤ(神を賛美せよ)」になっており、詩編の最後にふさわしい力強い賛美がある。1節は礼拝の始めにおける神への賛美を促す。「ハレルヤ」は「ハレル・ヤハ(ヤハ=ヤハウェを賛美せよ)」、「賛美せよ」はハレルヤの動詞形「ハレルー」である。
-詩編150:1「ハレルヤ。聖所で神を賛美せよ。大空の砦で、神を賛美せよ。」
・この詩は聖所での礼拝の冒頭に歌われた。詩編24編は聖所に立たれる神を賛美できる人を歌う。
-詩編24:3-6「どのような人が、主の山に上り、聖所に立つことができるのか。それは潔白な手と清い心をもつ人。虚しいものに魂を奪われることなく、欺くものによって誓うことをしない人。主はそのような人を祝福し、救いの神は恵みをお与えになる。それは主を求める人、ヤコブの神よ、御顔を尋ね求める人。」
・「大空の砦」とは神の守護する所の象徴である。詩編の人々は「神こそわが砦、城塞」と歌った。改革者マルティン・ルターはカトリック教会の迫害の中で、「神は我がやぐら」と歌った。
-(一番)神はわがやぐら わが強き盾、苦しめる時の 近き助けぞ、おのが力 おのが知恵を 頼みとせる、陰府(よみ)の長(おさ)も など恐るべき。(二番)いかに強くとも いかでか頼まん、やがては朽(く)つべき 人の力を、われと共に 戦い給(たも)う イエス君こそ、万軍の主なる 天(あま)つ大神(おおかみ)。(三番)悪魔 世に満ちて よし威(おど)すとも、神の真理(まこと)こそ わが内にあれ。陰府の長よ 吠え猛(たけ)りて 迫(せま)り来(く)とも、主の裁きは 汝(な)が上にあり。(四番)暗きの力の よし防ぐとも、主の御言葉こそ 進みに進め、わが命も わが宝も 取らば取りね、神の国は なおわれにあり」
・150編は詩形が簡潔だが、簡潔ゆえの力強さがある。
-詩編150:2「力強い御業のゆえに、神を賛美せよ。大きな御力のゆえに、神を賛美せよ。」
・詩編19編も神の力強い御業を、天地創造とその統治の中に詠んでいる。
-詩編19:2-5「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく、声は聞こえなくても、その言葉は世界の果てに向かう。」
・古代の礼拝は色々な楽器でなされていた。
-詩編150:3-4「角笛を吹いて、神を賛美せよ。琴と竪琴を奏でて、神を賛美せよ。太鼓に合わせて踊りながら、神を賛美せよ。弦をかき鳴らし笛を吹いて、神を賛美せよ。」
・詩人の目には神の行進が見えたのであろう。
-詩編68:25-27「神よ。あなたの行進が見える。神よ、あなたの行進が見える。私の神、私の王は聖所に行進される。歌い手を先頭に、続いて楽を奏する者、乙女らの中には太鼓を打つ者。聖歌隊によって神をたたえよ、イスラエルの源からの主よ。」
・さらに喜びは広がり、全地すべての喜びとなる。
-詩編98:4-6「全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。琴の音に合わせてほめ歌え、琴に合わせ、楽の音に合わせて。ラッパを吹き、角笛を響かせて、王なる御前に喜びの叫びをあげよ。」
・すべての生き物の賛美にシンバルが加わり、高らかな響きのうちに詩編は閉じられる。
-詩編150:5-6「シンバルを鳴らし、神を賛美せよ。シンバルを響かせて、神を賛美せよ。息あるものはこぞって、主を賛美せよ。ハレルヤ。」
2.ハレルヤ詩篇について
・この詩について注解者月本昭男は述べる。
-月本昭男:詩篇の思想と信仰より「ハレルヤ詩篇が歌われた第二神殿時代、国はペルシア帝国の一属州として始まり、ペルシア滅亡後は、プトレマイオス朝エジプトとセレウコス朝シリアという両帝国の支配下に置かれた。ユダヤはエルサレムを中心とした狭い地域に限定され、政治的独立は夢に過ぎず、経済的豊かさを享受し得た者は社会のごく一部に限られた。それは人々がもろ手を挙げて神を賛美できる時代ではなかった。にもかかわらず、詩編の編集者たちは「神を賛美せよ」と繰り返す作品をもって詩篇全体の締めくくりにした。彼らにとって神への賛美は、満ち足りた人の感謝であるよりは、厳しい状況下に生きる信仰者たちの希望の表明であった。神に嘆き訴える切なる祈りが、神への賛美に連なる理由がそこにあった」。
・ハレルヤ詩編はヨハネ黙示録に影響を与えている。ヨハネ黙示録には「ハレルヤ」が4回使われている。ヨハネが詩編150編から取り入れたと言われている。新約で「ハレルヤ」賛美があるのは、この箇所だけだ。
-黙示録19:1-2「その後、私は、大群衆の大声のようなものが、天でこういうのを聞いた『ハレルヤ。救いと栄光と力とは。私たちの神のもの。その裁きは真実で正しいからである。みだらな行いで、地上を堕落させたあの大淫婦を裁き、ご自分の僕たちの流した血の復讐を彼女になさったからである。』」
・大淫婦バビロン、現代のローマ帝国偽りの偶像礼拝により、霊的姦淫を行ったと糾弾されている。
-黙示録19:3-4「また、こうも言った。『ハレルヤ。大淫婦が焼かれる煙は世々限りなく立ち上る。』そこで二十四人の長老と四つの生き物とはひれ伏して、玉座に座っておられる神を礼拝して言った。『アーメン、ハレルヤ』」
・二十四人の長老はイスラエルの12部族とイエスの選んだ12使徒だ。四つの生き物は霊的存在の四天使を暗示している。
-黙示録19:6-7a「私はまた、大群衆の声のようなもの、多くの水のとどろきや、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。『ハレルヤ、全能者であり、私たちの神である主が王となられた。私たちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。』」
・ヨハネ黙示録は、ヘンデル作曲「メサイヤ」の中の、「ハレルヤコーラス」の原詩となった。私たちは詩編全体を通じて、信仰共同体の祈り、個人の祈り、賛美、感謝、あるいは嘆願を学んできた。それらは救済史であり、信仰の証しでもあった。
-Hallelujah,For the Lord God Omnipotent reigneth,Hallelujah!(ハレルヤ、全能であり、私たちの神である主(が王座につかれた)ハレルヤ!(ヨハネの黙示録 第19章6節)
-The Kingdom of this world is become、the Kingdom of our Lord and of His Christ, and He shall reign for ever and ever, Hallelujah!(この世の国は、我らの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される。ハレルヤ!(ヨハネの黙示録 第11章15節)
-King of Kings, and Lord of Lords, and He shall reign for ever and ever, Hallelujah!(「王の王、主の主」
(ヨハネの黙示録 第19章16節)、主は世々限りなく統治される、ハレルヤ!
3.詩篇講読を終わるにあたり
・詩篇はイザヤ書と並んで新約聖書に最も多く引用されている。イエスの公生涯は詩篇の引用で始まる。
-マルコ1:10-11「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると『あなたは私の愛する子、私の心に適う者』という声が、天から聞こえた」。
-詩編2:7「主の定められたところに従って私は述べよう。主は私に告げられた。『お前は私の子、今日、私はお前を生んだ』」。
・イエスの公生涯の最後も詩篇を引用して終えられている。
-マルコ15:34「三時にイエスは大声で叫ばれた『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ』。これは『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』という意味である」。
-詩編22:2「私の神よ、私の神よ、なぜ私をお見捨てになるのか。なぜ私を遠く離れ、救おうとせず、呻きも言葉も聞いてくださらないのか」。
・初代教会の人々は、詩篇を事ごとに愛唱してきた
。詩篇1編は全体の序文であり、「幸いだ、その人は」で始まる。詩篇150編は「ハレルヤ(主を賛美せよ)」と歌う。詩篇は祝福から始まり、讃美で閉じられる。