- アルファベットの歌(前編)
・詩篇145編は「ダビデ小歌集」の最後であり、ヘブル語の「いろは歌」である。前半(1-13節)では主ヤハウェの偉大さを二人称(あなた)で讃美する。成立時期は第二神殿時代後期(前4世紀)ごろとされる。この詩は礼拝で讃美された歌であろう。1節の「私の神、王よ」という呼びかけは、天地の全てを創り統べたもう主を、王の王と崇め讃えている。
-詩篇145:1-3「賛美。ダビデの詩。私の王、神よ、あなたをあがめ、世々限りなく御名をたたえます。絶えることなくあなたを称え、世々限りなく御名を賛美します。大いなる主、限りなく賛美される主、大きな御業は究めることもできません。」
・4節以降で、イスラエルの救済の歴史が想起される。エジプトからの解放はイスラエルが一つの民族となった契機であった。イスラエルの民は出エジプトの御業を事ある毎に語り継いでいく。彼らにとって主の御業は数えても、数えても、数え尽せない。
-詩篇145:4-7「人々が世々に御業を誉めたたえ、力強い御業を告げ知らせますように。あなたの輝き、栄光と威光、驚くべき御業の数々を私は歌います。人々が恐るべき御力について語りますように。大きな御業について私は数え上げまず。人々が深い御恵みを語り継いで記念とし、救いの御業を喜び歌いますように。」
・8-9節「主は恵みに富み、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに満ちておられる」は、出エジプト記34:6からの引用である。
-詩篇145:8-9「主は恵みに富み、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに満ちておられます。主はすべてのものに恵みを与え、造られたすべてを憐れんでくださいます。」
-出エジプト記34:6-7「今、わが主の力を大いに現わしてください。あなたはこう約束されました。『主は忍耐強く、慈しみに満ち、罪と背きを赦す方。しかし、罰すべき者を罰せずにはおかれず、父母の罪を子孫に三代、四代までも問われる方である』と。どうか、あなたの大きな慈しみのゆえに、また、エジプトからここに至るまで、この民を赦してこられたように、この民の罪を赦してください。」
・詩篇145編8-9節も、出エジプト記34章6-7節も、ひたすら神の憐れみに訴え、罪の赦しを求める祈りである。この罪からの解放を、イエスは実現され、新しい時代が始まる。弟子たちの言葉は、暗い旧約の時代を表し(因果応報)、イエスの言葉は明るい新約の時代(因果応報を超える父なる神の赦し)を表している。イエスは神と人の仲保者となり、罪の束縛から人を解放した。
-ヨハネ9:1-3「イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもでもない。神の御業がこの人に現れるためである。』」
・10-13節で三度語られる神の主権はイザヤ書からの引用だ。
-詩篇145:10-13「主よ、造られたものがすべて、あなたに感謝し、あなたの慈しみ生きる人があなたを称え、あなたの主権の栄光を告げ、力強い御業について語りますように。その力強い御業と栄光を、主権の輝きを、人の子らに示しますように。あなたの主権はとこしえの主権、あなたの統治は代々に。」
-イザヤ9:6-7「主権はその方にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、裁きと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今より、とこしえまで、万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」
・新共同訳では訳していないが、ほとんどの英訳聖書では13節後半に「主はすべての言葉において真実であり、そのすべての御業において恵み深い」と付加する。使用する写本の違いにより訳文は異なってくる。
-新共同訳45:13「あなたの主権はとこしえの主権、あなたの統治は代々に」。
-TEV145:13「Your rule is eternal, and you are king forever. The Lord is faithful to his promises; he is merciful in all his acts」.
- アルファベットの歌(後編)
・後半部(14-21節)では、呼び求める者を支える主を三人称で讃美する。神の救済の業は絶望し、うずくまっている人にも及ぶ。
-詩篇145:14-16「主は、倒れようとする人を一人一人支え、うずくまっている人を起こしてくださいます。ものみながあなたに目を注いで待ち望むと、あなたは時に応じて食べ物をくださいます。すべて命あるものに向かって御手を開き、望みを満足させてくださいます。」
・最後に、主を呼ぶ人、主を畏れる人、主を愛する人は守られると語られ、全編を結ぶ賛美で終わる。
-詩篇145:17-21「主の道はことごとく正しく、御業は慈しみを示しています。主を呼ぶ人すべてに近くいまし、まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし、主を畏れる人々の望みをかなえ、叫びを聞いて救ってくださいます。主を愛する人々は主に守られ、主に逆らう者はことごとく滅ぼされます。私の口は主を賛美します。すべて肉なる者は、世々限りなく聖なる御名を賛美します。」
- 詩篇145編の黙想
・詩篇145編はユダヤ教の日毎の祈りとして愛唱されていた。イエスの教えられた主の祈りも、詩編145編が基礎になっているのか知れないと注解者月本昭男は述べる。
-詩篇145:1-21「私の王、神よ、あなたをあがめ、世々限りなく御名をたたえます・・・主は恵みに富み、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに満ちておられます。主はすべてのものに恵みを与え、造られたすべてのものを憐れんでくださいます・・・主は倒れようとする人を一人一人を支え、うずくまっている人を起こしてくださいます。ものみながあなたに目を注いで待ち望むと、あなたは時に応じて食べ物をくださいます。すべて命あるものに向かって御手を開き、望みを満足させてくださいます・・・主を畏れる人々の望みをかなえ、叫びを聞いて救ってくださいます。主を愛する人は主に守られ、主に逆らう者はことごとく滅ぼされます。私の口は主を賛美します。すべて肉なるものは、世々限りなく聖なる御名を讃えます。」
-マタイ6:9-13「だから、こう祈りなさい。『天におられる私たちの父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。私たちに必要な糧を今日与えてください。私たちの負い目を赦してください、私たちも自分に負い目のある人を赦しましたように。私たちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』」
・立川福音教会・高橋秀典牧師は詩篇145編注解から「イエスは詩篇145編から多くの教えを受けとられた」。
-2019年6月2日説教から「ユダヤ人のタルムードには、『詩篇145篇を毎日三度唱える者は皆、来たる世の息子であると保証されるであろう』と記されている(BTベラ四b)。それは、「この詩篇を唱えることで、自分が神の慈しみに頼っていることを毎日三回認識するようになるからである」とのことだ・・・イエスの時代のユダヤ人が旧約の教えを「あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め」と理解していたことに対し、イエスは、「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われ、その理由として、主の「憐れみ」は、「ご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださる」と描写する (マタイ5:43-45)。その背後にはこの詩篇があったと思われる」。
・高橋牧師は続ける「ユダヤ人哲学者レビナスは語る「ヒトラーの民族絶滅計画、それは千五百年にわたって福音が宣布されたはずのヨーロッパに生まれた。その災いを経験したあと、ユダヤ教はその原点に向かった。ヒトラー経験は多くのユダヤ人にとって、個人としてのキリスト教徒たちとの友愛のふれあいの経験でもあったからだ。それらのキリスト教徒たちは、ユダヤ人に対してその真心を示し、ユダヤ人のために、すべてを危険にさらしてくれたのである」。
-ホロコースト百科辞典から「ホロコーストにおけるユダヤ人の殺害について、ほとんどのヨーロッパ人やその他の協力者たちは無関心でしたが、ヨーロッパ各国の人々やさまざまな宗教の信者たちの中には、自らの命を危険にさらしてユダヤ人を助けた人々がいました。救援者は、プロテスタント、カトリック、東方正教会、そしてイスラム教徒などあらゆる宗教の信者でした。一部のヨーロッパの教会、孤児院、家庭はユダヤ人に隠れ家を提供し、すでに潜伏中のユダヤ人を個人が支援することもありました(オランダのアンネ・フランク一家等)。フランスでは、ル・シャンボン・シュール・リニョンという小さな村のプロテスタント住民たちが3,000〜5,000人の難民を保護しました。難民のほとんどはユダヤ人でした。フランス、ベルギー、およびイタリアでは、カトリックの聖職者と平信徒が運営する地下ネットワークが何千ものユダヤ人を救いました。そのようなネットワークは、ユダヤ人をかくまい、スイスやスペインの安全な場所にひそかに逃がしていた南フランスと、1943年9月のドイツによるイタリア占領後に多くのユダヤ人が潜伏生活に入った北イタリアの両方で、特に活発でした」。自分の命を危険にさらしてまで隣人を助ける人々がいた。信仰が生きて働いた事例である。