1.捕囚からの帰還を喜び賛美する
・詩編97編は96編と同じく、捕囚から帰還した民が主なる神を賛美した歌であろう。詩人は全地に「主を賛美せよ」と呼びかける。かつてエジプトからイスラエルを救済された神は、今またバビロンの地から私たちを救いだされ、この神こそ全地の神、天地を創造され、支配しておられる方であることが明らかになったからだ。
-詩編97:1-5「主こそ王。全地よ、喜び躍れ。多くの島々よ、喜び祝え。密雲と濃霧が主の周りに立ちこめ、正しい裁きが王座の基をなす。火は御前を進み、周りの敵を焼き滅ぼす。稲妻は世界を照らし出し、地はそれを見て、身もだえし、山々は蝋のように溶ける。主の御前に、全地の主の御前に」。
・「主は王となられた」との言葉は、バビロンからの救いを目撃した預言者の証言である。
-イザヤ52:7-10「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる。その声に、あなたの見張りは声をあげ、皆共に、喜び歌う・・・共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。主は聖なる御腕の力を、国々の民の目にあらわにされた。地の果てまで、すべての人が、私たちの神の救いを仰ぐ」。
・イスラエルは捕囚を通して偶像神は人を救う力を持たないことを知った。イザヤ46章はバビロン滅亡の折、バビロンの守護神も共に倒れていくさまを嘲る。偶像神は民を救う力がないばかりか自分を救うこともできない。
-イザヤ46:1-4「ベルはかがみ込み、ネボは倒れ伏す。彼らの像は獣や家畜に負わされ、お前たちの担いでいたものは重荷となって、疲れた動物に負わされる。彼らも共にかがみ込み、倒れ伏す。その重荷を救い出すことはできず、彼ら自身も捕らわれて行く。私に聞け、ヤコブの家よ、イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた・・・私はあなたたちを造った。私が担い、背負い、救い出す」。
・神の救済を自ら体験した者だけが、心から主を賛美することができる。詩人はこの方こそ全地の神、他の神々はこの方の前にひれ伏せと歌い上げる。
-詩編97:6-9「天は主の正しさを告げ知らせ、すべての民はその栄光を仰ぎ見る。すべて、偶像に仕える者、むなしい神々を誇りとする者は恥を受ける。神々はすべて、主に向かってひれ伏す。シオンは聞いて喜び祝い、ユダの乙女らは喜び躍る、主よ、あなたの裁きのゆえに。あなたは主、全地に君臨されるいと高き神。神々のすべてを超え、あがめられる神」。
2.イスラエルの信仰と私たち
・救済体験は主を賛美させると同時に私たちの生き方をも変える。主に愛された者は他者を愛し、悪を憎む。主に従う者を主は護り、助けてくださると詩人は歌う。
-詩編97:10-12「主を愛する人は悪を憎む。主の慈しみに生きる人の魂を主は守り、神に逆らう者の手から助け出してくださる。神に従う人のためには光を、心のまっすぐな人のためには喜びを、種蒔いてくださる。神に従う人よ、主にあって喜び祝え。聖なる御名に感謝をささげよ」。
・イスラエルは多神教世界の中で、唯一神を礼拝した。彼らは放浪(ヘブル)の民であり、エジプトでは奴隷であったのに、救い出され、約束の地を与えられ、王国を形成した。この出エジプト体験が「主こそ神」との契約信仰を生む。やがて王国はバビロニアに滅ぼされ、住民は捕囚となるが、再び救済され、新しい国を形成する。この出バビロンの体験が、自分たちの神こそ「天地創造の神」との信仰を与える。そして自分たちは主の御業を伝える使命を持つと彼らは信じた。
-イザヤ42:5-7「神は天を創造して、これを広げ、地とそこに生ずるものを繰り広げ、その上に住む人々に息を与え、そこを歩く者に霊を与えられる。主である私は、恵みをもってあなたを呼び、あなたの手を取った。民の契約、諸国の光として、あなたを形づくり、あなたを立てた。見ることのできない目を開き、捕らわれ人をその枷から、闇に住む人をその牢獄から救い出すために」。
・アブラハム・イサク・ヤコブの神(先祖の神)が天地創造の神であり、イエス・キリストの父なる神である。その言葉によって世界は創造され、混沌から秩序が生み出され、光は闇を征服し、大海は鎮められる。その神との出会い、救済体験こそが人に信仰を与える。苦難を与えられたヨブはその苦難を通してこの方に出会った。
-ヨブ記42:5-6「あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、私は塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます」。
・イスラエルは国を滅ぼされた時、自分たちは呪われていると思った。しかし70年を経て彼らは言う「国を滅ぼされ、捕囚の苦しみを与えられたのは幸いでした。あなたに出会うことができました」。
-エレミヤ29:10-14「バビロンに七十年の時が満ちたなら、私はあなたたちを顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちが私を呼び、来て私に祈り求めるなら、私は聞く。私を尋ね求めるならば見いだし、心を尽くして私を求めるなら、私に出会うであろう」。
3.イスラエルやウクライナの侵略体験と神の国
・イスラエルは近隣諸国から次々に侵略を受け、ダビデ・ソロモンの王国時代を除けば、民族の独立は保てなかった。欧州の小国も同じ運命にある。2022年度に起こったロシアによるウクライナ侵略も、民族や国境をめぐる歴史を理解する必要がある。ウクライナは長い間、ロシアの支配下にあった(以下はウイキペディアから)。
-「9世紀にはウクライナの地を中心としたキエフ大公国が存在した。12世紀に国家の北東部は分離し、モンゴル帝国の来襲後にロシアの原型であるモスクワ大公国(ロシア・ツァーリ国)となり、ロシアは15世紀末に完全に独立した。一方、ウクライナは、キエフ大公国の滅亡後の14世紀末に、ポーランドとリトアニアによって分割された。以後、ウクライナの諸侯とコサックは、ポーランドとリトアニアに従属し、東欧の支配をめぐるロシアとの戦いに参加した」。
-「1648年に民族的・宗教的弾圧のためにウクライナ・コサックは、ポーランドからの独立戦争を起こし、ポーランドと戦うために1654年にロシアと同盟を結んだ。ロシアは戦争に介入し、1667年のアンドルソヴォ条約によりポーランドとのウクライナ分割を行った。コサック国家は分裂し、その東部はロシア帝国内における自治国として1787年までに存続した。18世紀末にロシアはポーランド分割とクリミア汗国の併合を行ったことにより、西部を除いてウクライナの全領域を支配下に置いた。ウクライナの自治制が廃止されたが、ウクライナ人の多くはロシア帝国の運営への参加が許された。ロシアはウクライナでロシア化という同化政策を進め、ウクライナ人のコサックと農民をコーカサス、シベリア、中央アジアと極東の植民地化に利用した」。
-「1918年、ロシア革命後に、ウクライナ人はウクライナ人民共和国の独立を宣言したが、ロシアの赤軍に敗れ、1922年にウクライナ・ソビエト社会主義共和国としてソ連に取り込まれた。1920年代から1940年代にかけてロシア共産党は、ウクライナの重工業化・集団農場化・共産化を行った。その結果、ウクライナ的な生活様式と文化財が崩壊され、1932年から1933年にホロドモールと呼ばれる大飢饉が起こった。1920年代には、ウクライナ人が多数派であった地域のスタヴロポリ地方、クラスノダール地方、スタロドゥーブなどをロシアに併合し、1954年にロシア人が多数派であったクリミアをウクライナに譲った。1991年にソ連が崩壊し、8月24日にウクライナはソ連から独立を宣言した」。
-ウクライナ国歌は民族の自由と独立を歌う。
「ウクライナの栄光は滅びず、自由も然り、運命は再び我等に微笑まん、朝日に散る霧の如く 敵は消え失せよう、我等が自由の土地を自らの手で治めるのだ、自由のために身も心も捧げよう」
・聖書は世の国と同時に「神の国」があると述べる。世の国の支配原理は力であり、その勢力は国境によって分断され、世の国、地上の国々では、「国境」や「民族」を巡って力と力がぶつかって戦争を行う。しかしイエスの説かれた神の国では、イエスを信じる者を国民とし、愛によって結び付けられ、国境や民族、さらには国家を越える。国境や民族に縛られた世の国とは異なる国の形成を何らかの形で真剣に求める時であろう。
-聖書外典・ニコデモ福音書(ピラト行伝)による問答
(ピラト )「真理とは何か」、
(イエス)「真理は天に属する」。
(ピラト)「 地上には真理はないのか」、
(イエス)「真理を語る者が地上で権力を持っている者により、どのように裁かれているかは貴下の知るところだろう」 。
・真理のギリシャ語アレテイアは、動詞形では「隠れていない」「明らかになる」という意味を持つ。長い歴史の中で、真理を軽視した地上の覇権国は滅んだ。しかしイエスの教会は今日も存続している。神の国が来ない限り、戦争はなくならないのだろうか。