・詩編119篇は最長の詩編であり、へブル語のアルファベット順に8節ずつ配置され、全体は176節になる(22文字×8節)。分量が長大であると同時に内容も壮大で、中心テーマは「主の戒め(律法・トーラー)に生きる」である。今回から4回に分けて119篇を学んでいく。22の単元はそれぞれ独立しているが、全体として一つのまとまりを為している。
・旧約の人びとは「神のみ旨」を生きるとは、律法に従って生きることだと理解していた。紙に書かれた律法を心に刻むために、本詩が編集された。
-エレミヤ31:33-34「来るべき日に、私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者も私を知るからである、と主は言われる。私は彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない」。
1.アレフ
・最初に、詩人は「心を尽くして主の律法を求め、これを守る人は幸いだ」とその詩を始める。
-詩編119:1-3「いかに幸いなことでしょう、まったき道を踏み、主の律法に歩む人は。いかに幸いなことでしょう、主の定めを守り、心を尽くしてそれを尋ね求める人は。彼らは決して不正を行わず、主の道を歩みます」。
・人はどう生きるべきか、多くの人が模索してきた。詩人はその指針を律法の中に見出した。それは「神を愛し、人を愛する生き方」だ。預言者ミカはこれを「正義を行い、慈しみを愛する」と表現する。
-ミカ6:8「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである」。
・ギリシャ人は「人間は万物の尺度であり、人は理性によって良き生活と完全なる社会を創出することが出来る」と考えた。それに対し、へブル人は「神は良き生活と完全なる社会を既に提示されており、人間に課せられているのは、感謝してそれを受け入れ、実行に移すことだ」と主張する。人は示されている主の戒めに従って生活すればよい、しかし同時にその戒めを守ることのできない自分を見出す。だから人は「主の赦しの中で生きる」と詩人は述べる。
-詩編119:4-8「あなたは仰せになりました、あなたの命令を固く守るように、と。私の道が確かになることを願います、あなたの掟を守るために。そうなれば、あなたのどの戒めに照らしても、恥じ入ることがないでしょう。あなたの正しい裁きを学び、まっすぐな心であなたに感謝します。あなたの掟を守ります。どうか、お見捨てにならないでください」。
2.ベト
・詩人はいう「経験の少ない若者はどのような道を歩むべきかがわからない。だから御言葉に従って歩むことが必要だ」。
-詩編119:9「どのようにして、若者は歩む道を清めるべきでしょうか。あなたの御言葉どおりに道を保つことです」。
・ここでは「主の戒め」が「御言葉(ダーバール)」と言い変えられている。主の言葉は力を持つ。
-イザヤ55:10-11「雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、私の口から出る私の言葉もむなしくは私のもとに戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす」。
・人は弱い存在だ。「心は燃えても肉体は弱い」(マルコ14:38)。どのような志を持っても罪を犯さざるを得ない存在だ。罪とは的を外すこと、神を見失うこと、だから「あなたを見失うことがないように導いて下さい」と詩人は祈る。
-詩編119:10-11「心を尽くして私はあなたを尋ね求めます。あなたの戒めから迷い出ることのないようにしてください。私は仰せを心に納めています、あなたに対して過ちを犯すことのないように」。
3.ギメル
・この世は苦難が多い。正しく生きようとすればそこの迫害が生じる。そのような迫害から守って下さいと詩人は祈る。
-詩編119:20-23「あなたの裁きを望み続け、私の魂はやつれ果てました。呪われるべき傲慢な者をとがめてください、あなたの戒めから迷い出る者を。辱めと侮りを私の上から払ってください、あなたの定めを守っているのですから。地位ある人々が座に就き、私のことを謀っていても、あなたの僕はあなたの掟にのみ心を砕いていますように」。
・イエスも言われた「信仰者にとって迫害は当然だ。私たちはこの世に生きるが、世の価値観に従って生きるわけではない。必然的にそこに摩擦が生じる」。しかし同時に言われた「私は既に世に勝っている」、この言葉を頼りに私たちは、世にあって世のものでない生き方を模索する。
-ヨハネ15:19「あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。私があなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである」。
-ヨハネ16:33「これらのことを話したのは、あなたがたが私によって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」。
4.ダレト
・詩人は困難の中にある。世から疎外され、絶望的な状況にあり、「私の魂は塵についている」、「私の魂は悲しんで涙を流している」という弱音を吐いている。踏み絵を前に詩人はもだえている。そのもだえの中で詩人は主の救いを、主の導きを求める。
-詩編119:25-32「私の魂は塵に着いています。御言葉によって、命を得させてください。私の道を申し述べます。私に答え、あなたの掟を教えてください。あなたの命令に従う道を見分けさせてください・・・私の魂は悲しんで涙を流しています。御言葉のとおり、私を立ち直らせてください。偽りの道を私から遠ざけ、憐れんで、あなたの律法をお与えください。信仰の道を私は選び取りました、あなたの裁きにかなうものとなりますように。主よ、あなたの定めにすがりつきます。私を恥に落とさないでください。あなたによって心は広くされ、私は戒めに従う道を走ります」。
5.ヘー
・詩人のもだえは続く。主の道に従いたいと思いながらも、今現在の苦難から逃れたいという思いも強い。その中で、「最後まであなたの道に従う力を与えて下さい」と詩人は祈る。
-詩編119:33-35「主よ、あなたの掟に従う道を示してください。最後までそれを守らせてください。あなたの律法を理解させ、保たせてください。私は心を尽くしてそれを守ります。あなたの戒めに従う道にお導きください。私はその道を愛しています」。
・日本でも戦前において教会への迫害があった。「天皇とキリストとどちらが偉いか」が国から問われ、ホーリネス教団においては多くの牧師が投獄され、ある人々は獄中で死んでいった。その中の一人が辻啓造牧師であった。彼は昭和17年6月に治安維持法違反で捕えられ、2年半の投獄の後、昭和20年1月に青森刑務所で死んだ。殉教者である。そのご子息が父親の死について語っている「獄中において父は何度も減刑嘆願書を書いては破った繰り返しだった。嘆願書の内容は「日本国民として天皇陛下に忠誠を誓う為にキリストを捨てます」というものであった。減刑嘆願書を書けば釈放するとの当局に誘いに、辻牧師の心は大きく揺れた」と息子は語る。幸か不幸か辻牧師は身体が弱く、過酷な獄中生活に耐え切れずに死んで殉教者になった。息子は言う「もし父親の身体がもっと頑健であったならば棄教者になったかもしれない」。
・詩人も辻啓造牧師と同じような誘惑に駆られている。「不当な利益」に心が動かされ、「空しいもの」を見ようとしている。その中で「辱めを受けることがありませんように」と詩人は祈る。
-詩編119:36-40「不当な利益にではなく、あなたの定めに心を傾けるようにしてください。むなしいものを見ようとすることから私のまなざしを移してください。あなたの道に従って命を得ることができますように。あなたの僕に対して、仰せを成就してください。私はあなたを畏れ敬います。私の恐れる辱めが私を避けて行くようにしてください。あなたは良い裁きをなさいます。御覧ください、私はあなたの命令を望み続けています。恵みの御業によって命を得させてください」。