1.救いなき暗黒の中で
・詩編88篇は「悲しみの詩編」と呼ばれる。詩人は救いのない暗闇の中で救いを求めて叫ぶが、神からの応答はない。表題の「マハラト・レアノト」は「悩みの中で、苦しき病の中で」という意味に読める。シリア語訳では「バビロンに住みし人々に関して」という副題が付いており、遠い異国に流され、帰還の目途の立たない詩人が歌ったと見る人もいる。
-詩編88:1-3「歌。賛歌。コラの子の詩。指揮者によって。マハラトに合わせて。レアノト。マスキール。エズラ人ヘマンの詩。主よ、私を救ってくださる神よ、昼は、助けを求めて叫び、夜も、御前におります。私の祈りが御もとに届きますように。私の声に耳を傾けてください」。
・4節から苦しみが陰府の苦しみであることが示される。穴に下り=墓穴に埋葬され、力を失う=死体となる、詩人は重い病に罹り、死に直面している。汚れた者とみなされ捨てられた。そして何よりもこの苦難が神により与えられた、その呪いに詩人は苦しんでいる。
-詩編88:4-8「私の魂は苦難を味わい尽くし、命は陰府にのぞんでいます。穴に下る者のうちに数えられ、力を失った者とされ、汚れた者と見なされ、死人のうちに放たれて、墓に横たわる者となりました。あなたはこのような者に心を留められません。彼らは御手から切り離されています。あなたは地の底の穴に私を置かれます、影に閉ざされた所、暗闇の地に。あなたの憤りが私を押さえつけ、あなたの起こす波が私を苦しめます」。
・この苦しみはヨブも経験した。彼は家族を失い、財産を失い、彼自身らい病に罹り、周りの人はみな彼を見捨てた。ヨブの最大の苦難もまた、「神が救済者ではなく、糾弾者になっている」としか思えないことだった。
-ヨブ記19:13-22「神は兄弟を私から遠ざけ、知人を引き離した。親族も私を見捨て、友だちも私を忘れた・・・息は妻に嫌われ、子供にも憎まれる。幼子も私を拒み、私が立ち上がると背を向ける。親友のすべてに忌み嫌われ、愛していた人々にも背かれてしまった。骨は皮膚と肉とにすがりつき、皮膚と歯ばかりになって、私は生き延びている・・・神の手が私に触れたのだ。あなたたちは私の友ではないか。なぜ、あなたたちまで神と一緒になって、私を追い詰めるのか。肉を打つだけでは足りないのか」。
・回復の見通しのない闇の中で、詩人は叫ぶ「来る日も来る日もあなたに向かって手を広げています」と。
-詩編88:9-10「あなたは私から親しい者を遠ざけられました。彼らにとって私は忌むべき者となりました。私は閉じ込められて出られません。苦悩に目は衰え、来る日も来る日も、主よ、あなたを呼びあなたに向かって手を広げています」。
・旧約において「死」とは、「希望のない滅びの国」に捨てられることだ。死者のいく「陰府」とは、神からも見捨てられた所、そこには神はおられない、何の救いもないと詩人は叫ぶ。
-詩編88:11-13「あなたが死者に対して驚くべき御業をなさったり、死霊が起き上がって、あなたに感謝したりすることがあるでしょうか。墓の中であなたの慈しみが、滅びの国であなたのまことが語られたりするでしょうか。闇の中で驚くべき御業が、忘却の地で恵みの御業が告げ知らされたりするでしょうか」。
2.しかし、主よ
・苦しみに苦しみが加えられ、息絶え絶えの中で、詩人は祈り続ける。何の展望もない中で彼は叫ぶ「しかし、主よ」(新共同訳は“しかし”を訳していず、不十分と思える)。
-詩編88:14-17「(しかし)主よ、私はあなたに叫びます。朝ごとに祈りは御前に向かいます。主よ、なぜ私の魂を突き放し、なぜ御顔を私に隠しておられるのですか。私は若い時から苦しんで来ました。今は死を待ちます。あなたの怒りを身に負い、絶えようとしています。あなたの憤りが私を圧倒し、あなたを恐れて私は滅びます」。
・この「しかし」が信仰だ。祈っても、祈っても、神からの応答はなく、事態改善の見通しはない。その中で「しかし、神よ」と祈り続ける。ここにはダニエル書「たとえ、そうでなくとも」と同じ信仰がある。
-ダニエル3:17-18「私たちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手から私たちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知ください。私たちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません」
3.詩篇88篇の黙想
・「しかし主よ」、この信仰があれば、やがて神は陰府にさえいまし、見捨てられたと思えた捕囚地にもおられることを見出すであろう。
-詩編139:8-10「天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。 曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも、あなたはそこにもいまし、御手をもって私を導き、右の御手をもって私をとらえてくださる」。
・新約時代の信仰者は、キリストは「陰府にも下られた」として、死が終わりではないことを明らかにした。使徒信条は明記する「死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり」。
-使徒信条から「我は天地の造り主(つくりぬし)、全能の父なる神を信ず。我はその独り子(ひとりご)、我らの主(しゅ)、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生(うま)れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架(じゅうじか)につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審(さば)きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず」。
・内村鑑三は不敬事件(教育勅語を拝礼せず)で世間から糾弾を受け、職を失くし、妻は心労の中で亡くなり、教会からも非難を受けた。その内村を支えたのは、この「しかし主よ」の信仰であった。彼は「基督信徒の慰め」の中で、「愛する者の失せし時」、「国人に捨てられし時」、「基督教会に捨てられし時」、「事業に失敗せし時」、「貧に迫りし時」、「不治の病に罹りし時」を書き、最後に記す「汝神を有せん、また何をか要せん」。これが詩編88篇の信仰ではないか。