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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2022年9月1日祈祷会(詩編117篇、最も短い詩編に込められた真実)

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1.最も短い詩編

 

・詩編117篇はわずか2節の詩編であり、詩編の中で最も短い。しかし内容は壮大だ。詩人は「すべての国よ、すべての民よ、主を讃美せよ」と呼びかける。

-詩編117:1「すべての国よ、主を賛美せよ。すべての民よ、主をほめたたえよ」。

・すべての国(ゴーイーム)は異邦人の意味をも持つ。ここではユダヤ人だけではなく、異邦人にも、「主を讃美せよ」と呼びかけられている。パウロは、異邦人伝道に反対する保守派の人々に向かって、「福音はユダヤ人だけでなく、異邦人にも伝えられるべきだ」との根拠を、この詩編117:1に求めた(ローマ15:11「すべての異邦人よ、主をたたえよ。すべての民は主を賛美せよ」)。

-ローマ15:7-11「神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい・・・キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。『そのため、私は異邦人の中であなたをたたえ、あなたの名をほめ歌おう』と書いてあるとおりです。また、『異邦人よ、主の民と共に喜べ』と言われ、 更に、『すべての異邦人よ、主をたたえよ。すべての民は主を賛美せよ』と言われています」。

・ヨハネ黙示録では、この言葉が終末の天上での賛美として引用されている。地上では民族や国家の壁で、共に主を讃美することが妨げられている。しかし神の国が来た時には、民族や国境を越えた讃美が為されるであろうとヨハネは歌う(7:9「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中が集まった」)。民族を超えた信仰がここに歌われている。

-ヨハネ黙示録7:9-12「私が見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ。『救いは、玉座に座っておられる私たちの神と、小羊とのものである』。また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、こう言った『アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなく私たちの神にありますように、アーメン』」。

 

2.この詩篇に福音の本質が語られている

 

・「すべての民よ、主を讃美せよ」と言いうる根拠は、イスラエルに示された神の契約の愛と真実である。まさにイスラエルの救いこそ万国の救いの基礎であり、イスラエルの感謝は万国の讃美の元になる。「イスラエルを通して神は万国民を救いたもう」というアブラハムから続く信仰がここにある。

-創世記12:2-3「私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」。

・詩人はその信仰を「主の慈しみとまことは私たちを超えて力強いと歌う。

-詩編117:2「主の慈しみとまことはとこしえに、私たちを超えて力強い。ハレルヤ」。

・「力強い」という言葉(へブル語ガーヴァル)は「大きくする、圧倒する」という意味を持つ。「主の恵みと慈しみは私たちを圧倒するほど大きい」と詩人は讃美する。イスラエルはかたくなな民で、その罪は大きかった。しかし神の慈しみはその罪を超えて大きい。

-詩編103:8-11「主は憐れみ深く、恵みに富み、忍耐強く、慈しみは大きい。永久に責めることはなく、とこしえに怒り続けられることはない。主は私たちを罪に応じてあしらわれることなく、私たちの悪に従って報いられることもない。天が地を超えて高いように、慈しみは主を畏れる人を超えて大きい」。

・「主の慈しみ=ヘセド」、「主のまこと=エメト」に対する信頼こそが、イスラエルの信仰の基本である。主イエスは最後の晩餐を終えてゲッセマネに向かわれた折、詩編117篇を含むハレルヤ詩編を愛唱されながら向かわれた。待ち受けている受難がどのようなものであろうと、主の慈しみとまことに信頼する気持ちを歌われたのではないか。

-マルコ14:24-26「イエスは言われた『これは、多くの人のために流される私の血、契約の血である。はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい』。一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた」

 

 

3.詩篇117編の黙想 選びの民としてのイスラエル

 

・イスラエルは選ばれて神の民となった。それは「イスラエルを通して諸国を救うため」であったと聖書は語る。イスラエルの歴史は苦難の連続だった。その苦難を通してイスラエルは自分たちの選びの意味を知った。その信仰告白が申命記7章にある。

-申命記7:6-8「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである」。

・イスラエルは常に近隣大国の脅威にさらされ、周囲からの攻撃に翻弄される、弱小の民であった。古来多くの支配的な帝国が生まれた(アッシリア、バビロニア、ペルシャ、ギリシャ、ローマ他)が、それらの帝国はすべて滅び、遺跡の中に痕跡を残すだけである。その中で弱小国イスラエルだけが民族としての同一性を残して生き残った。紀元70年のエルサレム滅亡後、この民は2千年にわたって、国土を持たぬ放浪の民として世界中に離散し、あらゆる時代、あらゆる場所で迫害されてきた。ナチス時代には弾圧で600万人が殺された。しかしイスラエルは、戦後の1948年に先祖の土地に建国することを許された。

・現在、世界各地のユダヤ人人口は1300万人とされているが、そのうち北米に600万人、イスラエルに500万人、EUに100万人である。イスラエルは世界各地に離散して行ったにもかかわらず、ユダヤ人としてのアイデンティティーと、イスラエルの土地との精神的つながりを保ち続けた。そのことによって彼らは民族として生き残った。これは歴史的には奇跡に近い。そこには歴史的偶然以上のものが働いていると言わざるを得ない。カール・バルトは語る「他の諸民族のただ中におけるユダヤ民族の存在の中に、神によって示された唯一の自然な神の証明がある(バルト・教会教義学)」。

・データを見ると、ユダヤ人の優秀性は驚異的である。内田樹「ユダヤ文化論」によれば、世界人口に占めるユダヤ人比率は0.2%だが、自然科学分野でのユダヤ人ノーベル賞受賞者は全体の20%と突出している(医学生理賞182名の内ユダヤ人48名、物理学賞178名中ユダヤ人44名、化学賞147名中内ユダヤ人26名)。また文学や哲学の分野でのユダヤ人の活躍も有名である。カール・マルクスもフロイトもユダヤ人であり、アインシュタインもユダヤ人、映画監督のスピルバーグもそうで、ボブ・ディランやポール・サイモンもそうだ。まさにユダヤ民族は人材の宝庫であり、彼らこそ神の民と思わざるを得ない面がある。何故なのだろう。彼らは絶えざる異民族からの迫害の中で、子供たちが生き残れるように、高い教育を施してきた。その結果であろうと思われる。

・エマニュエル・レヴィナスはホロコースト(ナチスによる民族せん滅)を、ユダヤ人が「選ばれた民」であったゆえに受けねばならかった犠牲(贖罪の捧げもの)と理解する。

-レヴィナス「1933年から1945年にかけての歳月がヨーロッパのユダヤ教徒にとって、どんなものであったかを思い起こしてほしい。その時代に辛苦と死を経験した数百万人の人々の中にあって、ユダヤ人は完全に神に見捨てられるという例外的な経験を持った。ユダヤ人は受難を経験した。イザヤ書53章に書いてある通りのことがその身に起きたのである・・・この人種的迫害によって、イスラエルは再び世界に宗教史の中に己の姿を見出した。ユダヤ人は非ユダヤ人よりも、世界の不幸について多くの責任を引き受けなければいけない。神はユダヤ人をそのために選ばれたからである。聖性とは他者のためにその身代わりなって死ぬことまでも含むのである」(内田樹「ユダヤ文化論」から)。

・イスラエルの選びの意味が「身代わりの贖罪になること」であるならば、新しいイスラエルとしての私たちキリスト者の存在の意味も同じであろう。私たちが選びの民であるとするならば、私たちは「幸福な人生」ではなく、「偉大な人生」に招かれているのではないか。

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