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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2022年6月9日祈祷会(詩編105篇、歴史を導かれる神Ⅰ)

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1.歴史を導かれる神

 

・詩編105編・106編は歴史を導かれる神を讃美する連続した詩編だ。105編は族長時代から出エジプトまで、106編は出エジプトからバビロン捕囚までを取り上げる。最初に「主の奇しき業を賛美せよ」と詩人は呼びかける。イスラエルにおいて歴史は「神の救済史」(History=His・Story)、神の歴史であった。

-詩編105:1-6「主に感謝をささげて御名を呼べ。諸国の民に御業を示せ。主に向かって歌い、ほめ歌をうたい、驚くべき御業をことごとく歌え・・・主の成し遂げられた驚くべき御業と奇跡を、主の口から出る裁きを心に留めよ。主の僕アブラハムの子孫よ、ヤコブの子ら、主に選ばれた人々よ」。

・主はアブラハムと契約を結ばれ、イサク、ヤコブと契約を更新された。先祖はカナンの地を放浪した寄留者であったが、主は彼らを保護し、導かれた。そして「あなたにカナンの地を嗣業として継がせよう」と約束された。

-詩編105:8-15「主はとこしえに契約を御心に留められる・・・アブラハムと結ばれた契約、イサクに対する誓いを。主はそれをヤコブに対する掟とし、イスラエルへのとこしえの契約として立て、宣言された『私はあなたにカナンの地を嗣業として継がせよう』と。その地で、彼らはまだ数少なく、寄留の民の小さな群れで、国から国へ、一つの王国から他の民のもとへと移って行った。主は彼らを虐げることをだれにも許さず・・・王たちに戒めて言われた『私が油を注いだ人々に触れるな、私の預言者たちに災いをもたらすな』と」。

・族長時代の歴史は文献や考古学では確認されていない。その意味で族長時代の歴史は、歴史というよりは伝承である。16節以下では先祖たちがエジプトに導かれ、そこで養われた歴史が回顧される。そこには主が「飢饉」を起こされて一族をエジプトに導かれたと記されている。苦難もまた歴史を支配される主から来る、それは人間に対する訓練の時である。故に主は試練と共に逃れる道を備えて下さる。

-第一コリント10:13「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」。

・飢饉に対する逃れの道はヨセフであった。イスラエルが苦難を乗り切るために、主は事前にヨセフをエジプトに送られる。「主は試練と共に逃れる道を備えて下さる」ことを創世記も証しする。

-詩編105:16-24「主はこの地に飢饉を呼び、パンの備えをことごとく絶やされたが、あらかじめ一人の人を遣わしておかれた。奴隷として売られたヨセフ。主は、人々が彼を卑しめて足枷をはめ、首に鉄の枷をはめることを許された。主の仰せが彼を火で練り清め、御言葉が実現するときまで。王は人を遣わして彼を解き放った・・・彼を自由の身にし、彼を王宮の頭に取り立て、財産をすべて管理させた。彼は大臣たちを思いのままに戒め、長老たちに知恵を授けた。イスラエルはエジプトに下り、ヤコブはハムの地に宿った。主は御自分の民を大いに増やし、敵よりも強くされた」。

 

2.歴史をどう現代化するか

 

・イスラエルが民族として自立するためには、エジプトでの養いが必要であった。その期間が終わると、主は新しい道に民を導かれる。25節からはエジプトからの解放の歴史が歌われる。

-詩編105:25-36「主が彼らの心を変えられたので、彼らは主の民を憎み、主の僕たちを悪だくみをもって扱った。主は僕モーセを遣わし、アロンを選んで遣わされた。彼らは人々に御言葉としるしを伝え、ハムの地で奇跡を行い・・・主はこの国の初子をすべて撃ち、彼らの力の最初の実りをことごとく撃たれた」。

・37節からは荒野の体験が歌われる。エジプトを出た民は荒野に導かれ、天のパン、「マナ」により養われた。

-詩編105:39-41「主は雲を広げて覆いとし、火をもって夜を照らされた。民が求めると、主はうずらをもたらし、天のパンをもって彼らを満足させられた。主が岩を開かれると、水がほとばしり、大河となって、乾いた地を流れた」。

・出エジプトについてのエジプト側の公式記録はない。歴史的にはエジプトの記録に残らないような、小規模の奴隷逃亡であったであろう。しかしイスラエルからすれば、それは奇跡としか思えない救済史であった。人々は出エジプトと約束の地への移住を、アブラハムとの契約(地を与える)のために為されたと理解した。申命記26章は最古の信仰告白だ。

-申命記26:5-9「私たちの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。しかしそこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました。エジプト人はこの私たちを虐げ、苦しめ、重労働を課しました。私たちが先祖の神、主に助けを求めると、主は私たちの声を聞き、私たちの受けた苦しみと労苦と虐げを御覧になり、力ある御手と御腕を伸ばし、大いなる恐るべきこととしるしと奇跡をもって私たちをエジプトから導き出し、この所に導き入れて乳と蜜の流れるこの土地を与えられました」。

・イスラエル人はアブラハムと為された土地授与契約を、現代も生きた契約として1948年の建国以来、土地所有の権利を主張してきた。他方、何百年もそこに居住してきたパレスチナ人は「土地は自分たちのものだ」と訴え、争いを繰り返している。現代の私たちは族長物語を新たな視点で読み返さなければいけない。イサクは争いを避けるために、争いがなくなるまで井戸を掘り続けた。そのイサクの信仰こそ現代の争いの解決をもたらすのではないか。

-創世記26:19-22「イサクの僕たちが谷で井戸を掘り、水が豊かに湧き出る井戸を見つけると、ゲラルの羊飼いは『この水は我々のものだ』とイサクの羊飼いと争った・・・イサクの僕たちがもう一つの井戸を掘り当てると、それについても争いが生じた・・・イサクはそこから移って、更にもう一つの井戸を掘り当てた。それについては、もはや争いは起こらなかった。イサクは、その井戸を広い場所と名付け『今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった』と言った」。

 

3.出エジプトの意味するもの 詩篇105編の黙想

 

・イスラエルの三大祝祭(過越しの祭り、七週の祭り、仮庵の祭り)はいずれも農業の祭りであった。過越し祭は小羊の誕生を祝う春の時であり、七週の祭りは小麦の収穫祭、仮庵の祭りは秋の大麦収穫祭であった。それが出エジプトの記憶として祭典化、歴史化される。過越しの祭りはエジプトからの解放を想起する祭りとなり、仮庵際は荒野の旅を想起する祭りとなって行く。イスラエルにとって出エジプトこそ信仰の原点であった。

・聖書古代史を専攻するカトリック司祭・和田幹男氏は出エジプトの出来事について述べる。

-和田幹夫「神の軌跡を求める旅」から「出エジプトの出来事は世界史的には規模の小さい出来事であったが、これを体験したヘブライ人の集団とその子孫にとっては忘れられない大きな出来事であった。人間的には不可能に見えた脱出に成功し、そこに彼らは自分たちの先祖の神、主の特別の御業を見た。この歴史上の実際の体験を通じて・・・自分たちの神は歴史的な出来事に関わってくださるお方だという認識を得るにいたった。歴史を導く神というイスラエル独特の神認識がそれ以来始まった」。

・イスラエルの民は常に出エジプトの歴史を回顧し、与えられた律法を社会倫理の基礎とした。

-出エジプト19:1-6「イスラエルの人々は、エジプトの国を出て三月目のその日に、シナイの荒れ野に到着した。彼らは・・・山に向かって宿営した。モーセが神のもとに登って行くと、山から主は彼に語りかけて言われた。『・・・あなたたちは見た、私がエジプト人にしたこと、また、あなたたちを鷲の翼に乗せて、私のもとに連れて来たことを。今、もし私の声に聞き従い、私の契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあって、私の宝となる・・・あなたたちは、私にとって、祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエルの人々に語るべき言葉である』」。

・出エジプトの思想は新約にも継承されている。ルカ9:31はイエスの山上の変貌の中で述べる。

-ルカ9:28-31「イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期(エクソダス)について話していた」。

・ルカはイエスの受難を “エクソダス”というギリシャ語で説明する。エクソダス、脱出、解放という意味であり、出エジプト記の原題がこのエクソダスである。イエスがエルサレムで新しい出エジプトを、罪と死からの解放をなされるという意味を、ルカはこのエクソダスという言葉を使って示そうとしている。出エジプトはイスラエルの信仰の原点なのである。

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