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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2022年11月24日祈祷会(詩篇126編、涙と共に種を蒔く)

投稿日:2022年11月23日 更新日:

 

 

1.捕囚からの帰還と直面した現実

 

・詩篇126編はバビロン捕囚からの帰還後、神殿再建を試みた民が種々の事情により果たせず、失意の中でそれでも主に頼る信仰を歌った詩と言われている。紀元前538年、バビロンを征服したペルシア王キュロスはユダヤ人のエルサレム帰還と神殿再建を許可し、セシバザルに率いられた一陣は帰国の途についた(エズラ1:11,6:3-5)。人々は帰国の出来事を夢のような、喜ばしい出来事として歌った。

-詩篇126:1-2「都に上る歌。主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて、私たちは夢を見ている人のようになった。そのときには、私たちの口に笑いが、舌に喜びの歌が満ちるであろう。そのときには、国々も言うであろう『主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた』と」。

・第二陣、第三陣の帰国が続いたが、現実は厳しかった。セシバザルは、ダビデ王家の血を引き、メシアとして期待されたが、ペルシア当局によって失脚させられた(処刑されたと思われる。聖書学者は彼がイザヤ53章・苦難の僕のモデルではないかと推察する)。神殿再建事業は、基礎が据えられた時点で中断された。人々は自分たちの生活に忙しく、また干ばつによる飢饉もあり、神殿再建の余裕がなかった。さらにユダ地方を治めていたサマリア総督の妨害もあった(エズラ4:4-5)。こうしてエルサレム神殿再建事業は頓挫し、20年間放置された。

-ハガイ1:4-10「今、お前たちは、この神殿を廃虚のままにしておきながら、自分たちは板ではった家に住んでいてよいのか・・・山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。私はそれを喜び、栄光を受けると主は言われる。お前たちは多くの収穫を期待したが、それはわずかであった。しかも、お前たちが家へ持ち帰るとき、私は、それを吹き飛ばした。それはなぜか・・・それは、私の神殿が廃虚のままであるのにお前たちが、それぞれ自分の家のために走り回っているからだ。それゆえ、お前たちの上に天は露を降らさず、地は産物を出さなかった」。

・その困難が3節以下の詩文に反映している。人々は夏には枯れる砂漠の川ネゲブが冬季には恵みの雨により回復するように、私たちも回復させて下さい、このまま捨ておかないで下さいと祈る。

-詩篇126:3-4「主よ、私たちのために大きな業を成し遂げてください。私たちは喜び祝うでしょう。主よ、ネゲブに川の流れを導くかのように、私たちの捕われ人を連れ帰ってください」。

・この状況は敗戦後、満州やシベリアから帰国した人々の状況と同じだ。着の身着のままで現地を追われ、日本に帰りさえすれば何とかなるとして、帰国した人々を待っていたのは、食糧難と迷惑そうな親族や近隣の顔だった。バビロン捕囚から帰還した民の経験は私たちの経験でもある。

 

2.それでも種を蒔き続ける

 

・しかし詩人は困難の中で主に対する信仰を歌う「涙と共に種を蒔く者は、喜びの歌と共に刈り入れる」。

-詩篇126:5-6「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる」。

・種蒔きは困難な作業である。種のあるものは道端に落ち、別の種は石地に、茨の中に落ち、発芽しないか、発芽してもすぐに枯れてしまう。イスラエル再建の労苦の報酬は近隣住民の侮辱と嘲笑だった。しかし詩人は良い地に蒔かれた種は30倍、60倍の実をつけることを知っている。だから彼は種を蒔き続ける。

-マルコ4:3-8「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった」。

・生きるためには一度死ななければならない。イエスが「一粒の麦の例え」で言われたのはそのことだ。

-ヨハネ12:24-25「一粒の麦は地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」。

・この詩は、元来は都復興の詩である。しかし内容から、収穫感謝日の聖書日課として用いられた。国が回復するように教会もまた復興する。教会は一時期死んだようになってもまた生き返る。そこに生命があるからである。

-マルコ4:26-29「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである」。

 

3.詩篇126編黙想

 

・バビロン捕囚地の様子を伝える歌が詩篇137編にある。イスラエルの民は国を滅ぼされ、自分たちが異国バビロンに捕囚になった時、自分たちの神がバビロンの神に敗けたとして嘆いた。

-詩篇137:1-4「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、私たちは泣いた。竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。私たちを捕囚にした民が、歌をうたえと言うから、私たちを嘲る民が、楽しもうとして『歌って聞かせよ、シオンの歌を』と言うから。どうして歌うことができようか、主のための歌を、異教の地で」。

・嘆きの歌が、8節から激しい憎しみの歌に変わる。民にとって、捕囚の年月は、屈辱の日々であり、彼らは敵を呪う。

-詩編138:8-9「娘バビロンよ、破壊者よ、いかに幸いなことか。お前が私たちにした仕打ちをお前に仕返す者、お前の幼子を捕えて岩にたたきつける者は」。

・その絶望した民にエレミヤからの希望の手紙が届いた。

-エレミヤ29:11-14「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、私はあなたたちを顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている・・・それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである・・・私は捕囚の民を帰らせる。私はあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる」。

・捕囚地バビロンではエゼキエルが預言者として立たされ、「枯れた骨の幻」を預言する。彼は幻の中で谷に案内され、そこには多くの枯れた骨があった。エルサレム攻防戦で殺され、あるいは餓死した人々の遺体を葬った谷に案内されたのであろう。エゼキエルに主が命じられた「枯れた骨の復活を預言せよ」と。

-エゼキエル37:5-6「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け・・・見よ、私はお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る・・・そして、お前たちは私が主であることを知るようになる」。

・エゼキエルが預言すると、骨は音を立てて結合し、筋と肉が生じ、皮膚が覆われ、人となったと彼は証言する。この幻は希望を失い、「我々の骨は枯れた」と嘆く捕囚民に回復の希望が示すために、主がエゼキエルに示されたものだ。主は民を「バビロンの墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れ戻す」と約束された。捕囚地の人びとは、エレミヤやエゼキエルに励まされて、長い捕囚期間を耐えた。

-エゼキエル37:12「私はお前たちの墓を開く。わが民よ、私はお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く」。

・そしていよいよ屈辱の時が喜びに変えられる日が来る。ユダヤ人を捕囚としたバビロニア帝国はペルシアによって滅ぼされ、新しい支配者は捕囚民解放を命令する。60年の時の流れの後で、捕囚の人々が祖国に帰り始めた。それを見た詩篇126編の詩人は夢を見ているようだと歌う。

-詩編126:1-2「主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて、私たちは夢を見ている人のようになった。その時には、私たちの口に笑いが、舌に喜びの歌が満ちるであろう。その時には、国々も言うであろう『主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた』と」。

・やがて歌声は懇願の祈りに変わる。

-詩編126:3-4「主よ、私たちのために、大きな業を成し遂げてください。私たちは喜び祝うでしょう。主よ、ネゲブに川の流れを導くかのように、私たちの捕われ人を連れ帰ってください」。

・そして喜びが爆発する。

-詩編126:5-6「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる」。

・十字架の悲しみは復活の喜びに変わる。瞬きの詩人水野源三は歌う「復活の喜びを知るためには、まず十字架の悲しみが必要なのだ」と。

-水野源三詩集から「三十三年前に脳性まひになった時には神様を恨みました。それがキリストの愛に触れるためだと知り、感謝と喜びに変りました」(水野源三詩集「こんな美しい朝に」から)。

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