江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2021年9月9日祈祷会(詩編67篇、私たちから諸国民へ)

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1.私たちへの祝福

 

・詩編67篇には「私たちへの祝福」を願う祈りと、「諸国民への祝福」を願う祈りの双方が混合されている。最初に出てくるのは、「私たちへの祝福」を求める祈りだ。

-詩編67:2「神が私たちを憐れみ、祝福し、御顔の輝きを、私たちに向けてくださいますように」。

・この祈りの原型は民数記にある「アロンの祝福」であろう。祭司(アロンの子孫たち)による、神殿に集まった民への祝福の言葉がここにある。この祝福は今日の教会でも「祝祷」として用いられている。

-民数記6:24-27「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように」。

・祈りは「私たち」にとどまらず、「諸国民の救い」へと展開して行く。

-詩編67:3「あなたの道をこの地が知り、御救いをすべての民が知るために」。

・ここでは神の業がイスラエルを超えて、すべての国々、地上のあらゆる国民に及ぶべきものと理解されている。イスラエルの信仰が民族神(私たちの神)から、天地の神(諸国民の神)へと広がる契機になったのはバビロン捕囚である。バビロンの地にも「私たちの神がおられた」という発見こそが、イスラエルを民族信仰から解放して行く。

-申命記7:6-8「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに・・・主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオの・・・家から救い出されたのである」。

・民の現実は決して「聖なる民」にふさわしいものではなかった。約束の地に入ってから国が滅びるまで、彼らは背信の民であった。その経緯を示す歴史書は王国の滅亡を民の背きに対する主の審判として回顧する。

-列王記下21:12-14「見よ、私はエルサレムとユダに災いをもたらす・・・私はサマリアに使った測り縄とアハブの家に使った下げ振りをエルサレムに用いる。鉢をぬぐい、それをぬぐって伏せるように、私はエルサレムをぬぐい去る。私はわが嗣業の残りの者を見捨て、敵の手に渡す。彼らはそのすべての敵の餌食となり、略奪の的となる」。

 

2.諸国民への祝福

・捕囚から帰還したイスラエルの民は神殿を再建し、宗教共同体として生きて行くが、政治的にはペルシャ帝国の支配下におかれたままであった。このような苦難の歴史の中で、彼らは自分たちの罪の赦しを祈っていくが、帰国した彼らは。当初は彼らを苦しめる諸国民に対する報復を願っていた。

-詩編79:9-10「御名のために、私たちを救い出し、私たちの罪をお赦しください・・・あなたの僕らの注ぎ出された血に対する報復を、異国の民の中で、私たちが目の前に見ることができますように」。

・その彼らが変えられたのは、主が救い主(メシア)を遣わして下さるという希望を持ってからであった。弱小ゆえに、人の業に頼らず神に依り頼む信仰が、彼らに地上のあらゆる国民を視野に入れた平和思想を生みだしていく。

-ゼカリヤ9:9-10「見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、驢馬に乗って来る、雌驢馬の子である驢馬に乗って。私はエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ」。

・このメシア像がやがて平和の主イエスに結実していく。詩編67篇には他民族への報復願望を克服した民の祈りが記されている。

-詩編67:4-6「神よ、すべての民があなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞってあなたに感謝をささげますように。諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように。あなたがすべての民を公平に裁き、この地において諸国の民を導かれることを。神よ、すべての民があなたに感謝をささげますように」。

・7節から「大地の実り」が歌われる。豊作は神の祝福の象徴であるが、戦乱や略奪の中ではその祝福も呪いに代わっていく。平和があってこそ大地の実りは祝福になる。

-詩編67:7-8「大地は作物を実らせました。神、私たちの神が、私たちを祝福してくださいますように。神が私たちを祝福してくださいますように。地の果てに至るまで、すべてのものが神を畏れ敬いますように」。

 

3.報復願望を超えて

 

・イスラエルはバビロニアに滅ぼされて国を失った。捕囚から帰還後も、民は彼らを苦しめた者たちへの報復願望を抑えきれなかった。

-詩篇137:7-9「主よ、覚えていてください、エドムの子らを、エルサレムのあの日を、彼らがこう言ったのを『裸にせよ、裸にせよ、この都の基まで』。娘バビロンよ、破壊者よ、いかに幸いなことか、お前が私たちにした仕打ちを、お前に仕返す者、お前の幼子を捕えて岩にたたきつける者は」。

・しかし彼らは徐々に変えられ、地上のあらゆる国民を視野にいれた平和を歌うようになる。

-イザヤ2:2-4「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う。『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主は私たちに道を示される。私たちはその道を歩もう』と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る。主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。

・イザヤ書においていまだに主の山エルサレムが中心になっている。しかしイエスはエルサレム中心主義を超えられる。サマリアの女との対話を通してイエスはそれを示された。

-ヨハネ4:19-21「女は言った。『主よ、あなたは預言者だとお見受けします。私どもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています』。イエスは言われた。『婦人よ、私を信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る』」。

・パウロはイエスの教えを継承して、「復讐は神に委ねよ」と語った。

-ローマ12:18-21「あなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐は私のすること、私が報復する』と主は言われると書いてあります。『あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる』。 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」。

・2001年9月11日、テロ攻撃を受けた米国は、報復を求めて、アフガニスタンやイラクを攻撃した。その時ブッシュ大統領は演説した「テロとの戦いは、悪を取り除く神の戦いである」。それから20年、イラク・アフガン戦争の米軍死者は6千人を超え、アフガン・イラクの市民犠牲者は17万人を超えた。同時多発テロの犠牲者は2,973人であったが、報復により、犠牲者の60倍近い人々が死んでいる。また戦争帰還兵200万人のうち、50万人がPTSDを病み、薬物中毒やアルコール依存になり、その果てに自殺している(自殺者累計3万人とも言われる)。開戦直後はブッシュを支持したアメリカ国民も、今ではブッシュの政策は間違っていたとする。不完全な人間が自分で報復する、悪を自分の手で抜き去ることは大きな悲劇をもたらす。パウロの預言「自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい」が、正しい方向性であったことを歴史は示す。

・問題が「彼らだけの問題」ではなく、「私たちも同じだ」と気づくとき、敵は敵でなくなる。社会学者の中村和恵(明治大学教授)は学生への授業を通じて感じたことを語る。

-中村和恵・9月8日朝日新聞への寄稿から「(難民や移民は)自分には関係ないという人は多いだろう・・・私が教える学生たちも毎年、移民や難民、社会の少数派に言及する授業の初めに、そういう反応を示す。だが、一人一人について話を始めると、反応は変わる。個人として知るにつれ、多くの人が気づくのだ。彼らが抱えている悩みや希望が、自分と何も違わず、自分も状況によっては、すぐに彼らになりえるのだということに・・・ホームレス、生活保護受給者、障害のある方や性的マイノリティーについても、同じことがいえる。第1次世界大戦後の国際会議で日本は、日本人移民に対する人種的差別の撤廃を訴えた。外国人労働者の問題は当時、まさに私たちのことだったのだ。大地震と原発事故で大量の避難民が生じたことは、まだ記憶に新しい。今後も大規模な天災人災は起こる。誰もが避難民になりうる。そのとき他国の支援を仰ぐこともあるだろう。善きにつけ悪しきにつけ、世界のすべては関係しあっている」。

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