江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2021年4月22日祈祷会(詩編47編、主は全地の王)

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  • 主は全地の王

 

・詩編47編は、主を「全地の王」として称える。おそらくは、新年祭等で歌われた祭儀詩が背景にある。

-詩編47:2-3「すべての民よ、手を打ち鳴らせ。神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ。主はいと高き神、畏るべき方、全地に君臨される偉大な王」。

・歌の背景にダビデ時代の王国の隆盛を見る解釈者もいる。ダビデはペリシテ、モアブ、エドム等の周辺諸国を次々に征服し、王国はエジプト国境からメソポタミヤ周辺まで拡大した。まさに「国々を我らの足元に置かれた」と人々は思った。

-詩編47:4-5「諸国の民を我らに従わせると宣言し、国々を我らの足もとに置かれた。我らのために嗣業を選び、愛するヤコブの誇りとされた」。

・ダビデはカナン人の町であったエルサレムを占領して「ダビデの町」とし、そこに部族連合の象徴であった「主の契約の箱」を運んだ。その主の箱のエルサレム搬入の様子がサムエル記に描かれている。

-サムエル記下6:14-15「主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた」。

・「こぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた」、同じ記述が詩編47:6にある。おそらく、この歌の原型は、新年祭にて主の契約の箱が神殿に入場する際の王国時代の賛歌であろうと思われる。

-詩編47:6「神は歓呼の中を上られる。主は角笛の響きと共に上られる」。

・ソロモンの時代に「主の契約の箱」はエルサレム神殿に安置された。

-列王記上8:1-6「ソロモンは、イスラエルの長老、すべての部族長、イスラエル人諸家系の首長をエルサレムの自分のもとに召集した。「ダビデの町」シオンから主の契約の箱を担ぎ上るためであった・・・イスラエルの全長老が到着すると、祭司たちはその箱を担ぎ、主の箱のみならず臨在の幕屋も、幕屋にあった聖なる祭具もすべて担ぎ上った。祭司たちはレビ人たちと共にこれらのものを担ぎ上った。ソロモン王は、彼のもとに集まったイスラエルの全共同体と共に、その箱の前で生贄として羊や牛をささげた・・・祭司たちは主の契約の箱を定められた場所、至聖所と言われる神殿の内陣に運び入れ、ケルビムの翼の下に安置した」。

 

2.地上への絶望が天上への待望へ

 

・しかし、ダビデ王国は前587年にバビロンにより滅ぼされ、以降イスラエルは異国支配下に置かれ、「主の契約の箱」は行方不明になる。ヨシヤ王(紀元前609年没)の時代に関する歴代誌下35章3節の契約の箱の記述を最後に、比喩的に用いられる以外に直接言及される部分はなく、失われた経緯についても不明である。このことから、失われた聖櫃(The Lost Ark)と呼ばれることもある。

*スピルバーグが監督した1981年アメリカ映画「レイダース/失われたアーク聖櫃」は、この主の箱の行方を探るものであり、後にベストセラーとなった「インディ・ジョーンズ シリーズ」の第1作である。

・ダビデ王国が途絶えたイスラエルの人々は、やがて、「天上の主こそ真の王である」とのユダヤ的普遍主義を展開させていく。

-詩編22:28-29「地の果てまで、すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り、国々の民が御前にひれ伏しますように。王権は主にあり、主は国々を治められます」。

・47編の後半にも同じ思想が見られる。そこには地上の王を失くした民の、天上の主こそ真の王との賛歌がある。この歌は王国時代の新年祭に起源を持ち、その後の国の滅亡、第二神殿の建設を背景に編集されて行った。

-詩編47:7-9「歌え、神に向かって歌え。歌え、我らの王に向かって歌え。神は、全地の王、ほめ歌をうたって、告げ知らせよ。神は諸国の上に王として君臨される。神は聖なる王座に着いておられる」。

・「泣きながらパンを食べたことのない者、夜な夜な涙で枕をぬらしたことのない者には、人生の本当の味はわからない」とゲーテは「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」で語る。イスラエルも王国滅亡の悲しみを通じて、真の王とはどなたであるかがわかった。だから彼らは地上の領土をめぐる争いを捨てて、主の下に集えよと歌うようになる。

-イザヤ2:1-5「アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて幻に見たこと。終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主は私たちに道を示される。私たちはその道を歩もう』と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る。主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう」。

・「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」、この言葉は2500年後の今日でも人々の心を打ち続ける。亡国の悲哀を体験したからこそ、同じ悲しみを体験した人々の心に訴える。神はこのようにして彼らを選びの民とされた。地上で栄えるためではなく、苦しみ悲しむ人々を慰めるために。

-イザヤ61:1「主は私に油を注ぎ、主なる神の霊が私をとらえた。私を遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために」。

・イエスはこの言葉を自分に与えられた召命の言葉と受け止められて、故郷ナザレで「神の国は来た」と言われた。

-ルカ4:17-21「預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。『主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が私に油を注がれたからである・・・主の恵みの年を告げるためである』・・・イエスは『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話し始められた」。

・詩編47編にはまだユダヤ中心主義の名残がある(諸国民が先祖アブラハムの神の民となると詩人は歌う)。

-詩編47:10「諸国の民から自由な人々が集められ、アブラハムの神の民となる。地の盾となる人々は神のもの。神は大いにあがめられる」。

・しかし、キリストの光により、その意味合いが変えられ、ヨハネは黙示録の中で、詩編47:10をキリスト支配の始まりとして引用している。黙示録もまた、地上の教会が迫害される中で、天上の主が地上を支配される時がくるとの希望を歌ったものだ。私たちは悲しみや苦しみを通して、真理を啓示されるのだ。

-ヨハネ黙示録11:15「第七の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、大きな声々が天に起って言った『この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう』」。

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