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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2021年3月11日祈祷会(詩編44編、国難からの救いを求める歌)

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1.救いを求める民族の哀歌

 

・詩篇44編は「我らの神」に現在の困難を嘆き訴え、救いを求める民族の哀歌だ。詩人は最初に、出エジプトからイスラエルの土地取得までを民族の救いとして想起し、それは御手の業であったと讃美する。

-詩篇44:2-4「神よ、我らはこの耳で聞いています・・・我らの先祖を植え付けるために、御手をもって国々の領土を取り上げ、その枝が伸びるために、国々の民を災いに落としたのはあなたでした。先祖が自分の剣によって領土を取ったのでも、自分の腕の力によって勝利を得たのでもなく、あなたの右の御手、あなたの御腕、あなたの御顔の光によるものでした」。

・約束の地を取得できたのは、私たちの力ではなく、あなたが戦ってくれたからですと詩人は主を賛美する。

-詩篇44:5-9「神よ、あなたこそ私の王。ヤコブが勝利を得るように定めてください。あなたに頼って敵を攻め、我らに立ち向かう者を、御名に頼って踏みにじらせてください。私が依り頼むのは自分の弓ではありません。自分の剣によって勝利を得ようともしていません。我らを敵に勝たせ、我らを憎む者を恥に落とすのは、あなたです。我らは絶えることなく神を賛美し、とこしえに、御名に感謝をささげます」。

・ところがそのあなたが、「我らを見放し、敵に打ち負かされるままにされたので、敵は我らを蹂躙し、我らは国々に散らされました」と詩人は嘆く。バビロン捕囚による国の滅亡と民の離散が背景にある。

-詩篇44:10-13「しかしあなたは我らを見放されました。我らを辱めに遭わせ、もはや共に出陣なさらず、我らが敵から敗走するままになさったので、我らを憎む者は略奪をほしいままにしたのです。あなたは我らを食い尽くされる羊として、国々の中に散らされました。御自分の民を、僅かの値で売り渡し、その価を高くしようともなさいませんでした」。

・「民が散らされる」、「周囲の民が嘲笑する」、等の表現より、バビロニアに国を滅ぼされた捕囚時代の詩と理解される。バビロニア軍がエレサレムに攻め入った時、アンモン、モアブ、エドム等の周辺諸国も侵略軍と一体になってイスラエルを略奪した。

-詩篇44:14-17「我らを隣の国々の嘲りの的とし、周囲の民が嘲笑い、そしるにまかせ、我らを国々の嘲りの歌とし、多くの民が頭を振って侮るにまかせられました。辱めは絶えることなく私の前にあり、私の顔は恥に覆われています」。

・イスラエルのエドムやモアブに対する恨みは深い。人は自分の受けたつらい仕打ちはいつまでも忘れない。

-詩篇137:7「主よ、覚えていてください、エドムの子らを、エルサレムのあの日を、彼らがこう言ったのを、『裸にせよ、裸にせよ、この都の基まで』」。

 

2.神は何故我らを打たれたのだろうか

 

・国が滅び、同胞が殺され、捕虜として異国に連行されるという悲劇が、なぜ起きたのか詩人は理解できない。彼は「この仕打ちは不当だ、私たちは何の罪も犯していないのに、なぜこのように虐げられるのか」と主に訴える。

-詩篇44:18-20「これらのことがすべてふりかかっても、なお、我らは決してあなたを忘れることなく、あなたとの契約をむなしいものとせず、我らの心はあなたを裏切らず、あなたの道をそれて歩もうとはしませんでした。あなたはそれでも我らを打ちのめし、山犬の住みかに捨て、死の陰で覆ってしまわれました」。

・民族の苦難については二つの理解がある。一つは本詩のように、「苦難は不当である」と受け止める考え方で、その場合、神に対する恨み事が中心になる。もう一つは民族の苦難を、「自分たちの背きに対する主の怒り」と受け止める理解であり、その時には悔い改めが生まれる。本詩の作者は与えられた出来事を「あなたゆえに、絶えることなく、殺される者となり、屠るための羊と見なされています」とさえ言う。共感しにくい面がある。

-詩篇44:21-23「このような我らが、我らの神の御名を忘れ去り、異教の神に向かって、手を広げるようなことがあれば、神はなお、それを探り出されます。心に隠していることを神は必ず知られます。我らはあなたゆえに、絶えることなく、殺される者となり、屠るための羊と見なされています」。

・詩人は、執拗なまでに神にすがり、救済を求める。自分を捨てられた神にあくまでも依り頼む。

-詩篇44:24-27「主よ、奮い立ってください。なぜ、眠っておられるのですか。永久に我らを突き放しておくことなく、目覚めてください。なぜ、御顔を隠しておられるのですか。我らが貧しく、虐げられていることを、忘れてしまわれたのですか。我らの魂は塵に伏し、腹は地に着いたままです。立ち上がって、我らをお助けください。我らを贖い、あなたの慈しみを表してください」。

・民族の苦難を、「自分たちの背きに対する主の怒り」と受け止めた時、そこに悔い改めが生まれる。申命記史観と呼ばれる考え方だ。旧約聖書の主流はこの考え方に立つ。

-列王記8:33-34「あなたの民イスラエルが、あなたに罪を犯したために敵に打ち負かされた時、あなたに立ち帰って御名をたたえ、この神殿で祈り、憐れみを乞うなら、あなたは天にいまして耳を傾け、あなたの民イスラエルの罪を赦し、先祖たちにお与えになった地に彼らを帰らせてください」。

 

3.後世の人はこの詩をどう理解したのだろうか

 

・パウロはローマ教会への手紙で詩篇44:23を用いる「たとえあなた方が迫害で殺されることがあってもキリストは共にいて下さるではないか」との励ましである。

-ローマ 8:35-37「だれがキリストの愛から私たちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。『私たちは、あなたのために、一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている』と書いてあるとおりです。しかし、これらすべてのことにおいて、私たちは、私たちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています」。

・詩人は苦難を災いとみなし、パウロはこれを祝福とする。何が二人を分けるのか。パウロは例え殉教しても復活の希望を持つゆえにそれを恐れない。

ローマ8:24-25「私たちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。私たちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです」。

・詩人は復活の希望を知らない。しかし旧約人でもエレミヤはその限界を超えることができた。彼は捕囚の人々に70年の時が過ぎたら(死後の時間である)、神がイスラエルを回復されると書く。

-エレミヤ29:10「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、私はあなたたちを顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」。

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