1.アタルヤの悪の中で守られたユダ王国ヨアシュ王
・列王記はユダ王国(南王国)とイスラエル王国(北王国)の状況を交互に書く。両国は兄弟国であり、様々の交わりがあった。北王国イエフの反乱の巻き添えで南王国アハズヤ王が死ぬと、アハズヤの母アタルヤは後継の王子たちを殺して自らが即位した。アタルヤはイスラエルにバアル礼拝を持ち込んだ北王国アハブ王の妻イゼベルの娘であり、母イゼベルがイエフに殺されたことに危機感をいだいた。
-列王記下11:1「アハズヤの母アタルヤは息子が死んだのを見て、直ちに王族をすべて滅ぼそうとした」。
・歴代誌はアタルヤを「稀代の悪女」として描く。ユダではダビデの家系のみが王の正統性を主張でき、アタルヤはダビデの家系でもないのに、ユダの王座に就いたからである。
-歴代誌下24:7「悪女アタルヤとその子たちが神殿を損ない、主の神殿の聖なる物もすべてバアルの物としていた」。
・しかし南王国ヨラム王の娘で、祭司ヨヤダに嫁いでいたヨシェバの機転で、王子ヨアシュだけは助けられ、神殿の中で育てられた。こうして、ユダ王国ではダビデの血が残された。
-列王記下11:2-3「ヨラム王の娘で、アハズヤの姉妹であるヨシェバが、アハズヤの子ヨアシュを抱き、殺されようとしている王子たちの中からひそかに連れ出し、乳母と共に寝具の部屋に入れておいた。人々はヨアシュをアタルヤからかくまい、彼は殺されずに済んだ。こうして、アタルヤが国を支配していた六年の間、ヨアシュは乳母と共に主の神殿に隠れていた」。
・ヨアシュが7歳になった時、大祭司ヨヤダが中心になって反乱が起こされ、ヨアシュが王になる。
-列王記下11:9-16「百人隊の長たちは、すべて祭司ヨヤダが命じたとおり行い・・・部下を引き連れ、祭司ヨヤダのもとに来た・・・近衛兵たちはおのおの武器を手にして、祭壇と神殿を中心に神殿の南の端から北の端まで王の周囲を固めた。そこでヨヤダが王子を連れて現れ、彼に冠をかぶらせ、掟の書を渡した。人々はこの王子を王とし、油を注ぎ、拍手して、「王万歳」と叫んだ。アタルヤは近衛兵と民の声を聞き、主の神殿の民のところに行った・・・祭司ヨヤダは、軍を指揮する百人隊の長たちに『彼女を隊列の間から外に出せ。彼女について行こうとする者は剣にかけて殺せ』と命じた。・・・ 彼らはアタルヤを捕らえ・・・彼女はそこで殺された」。
・祭司ヨヤダはバアル神殿の破壊を命じ、ユダ王国から偶像礼拝が一掃された。
-列王記下11:17-18「国の民は皆、バアルの神殿に行き、それを祭壇と共に破壊し、像を徹底的に打ち砕き、バアルの祭司マタンを祭壇の前で殺した」。
2.ヨアシュの宗教改革
・ヨアシュは7歳で王位につき、祭司ヨヤダと共に、ユダ王国の宗教改革に勤めた。ただ、依然として、民の間には偶像礼拝の風習があった(聖なる高台=偶像を祭る聖所)。
-列王記下12:3-4「ヨアシュは、祭司ヨヤダの教えを受けて、その生涯を通じて主の目にかなう正しいことを行った。ただ聖なる高台は取り除かれず、民は依然として聖なる高台で生贄を屠り、香をたいた」。
・ヨアシュ王は神殿の補修にも努めた。彼は祭司たちを励まして、献金を集めさせ、神殿補修に用いた。
-列王記下12:10-13「祭司ヨヤダは一つの箱を持って来て、その蓋に穴をあけ、主の神殿の入り口の右側、祭壇の傍らにそれを置いた。入り口を守る祭司たちは、主の神殿にもたらされるすべての献金をそこに入れた・・・確かめられた献金は、主の神殿の役人である工事担当者に渡され、主の神殿で働く大工、建築労働者、石工、採石労働者たちに支払われ、また神殿の破損を修理するための木材や切り石の買い入れに用いられた」。
・しかしヨヤダが死ぬと、ヨアシュは部下の追従の声に従い、正しい者たちの声に聞かなくなる。
-歴代誌下24:17-22「ヨヤダの死後、ユダの高官たちが王のもとに来て、ひれ伏した。そのとき、王は彼らの言うことを聞き入れた。彼らは先祖の神、主の神殿を捨て、アシェラと偶像に仕えた・・・彼らを主に立ち帰らせるため、預言者が次々と遣わされた・・・神の霊が祭司ヨヤダの子ゼカルヤを捕らえた。彼は民に向かって立ち、語った。『神はこう言われる。なぜあなたたちは主の戒めを破るのか。あなたたちは栄えない。あなたたちが主を捨てたから、主もあなたたちを捨てる』。ところが彼らは共謀し、王の命令により、主の神殿の庭でゼカルヤを石で打ち殺した。ヨアシュ王も、彼の父ヨヤダから寄せられた慈しみを顧みず、その息子を殺した」。
・ヨアシュもまた不実となり、最後には、神の怒りの中で部下に暗殺されて、その生涯を終えていく。
-歴代誌下24:24-25「ユダとエルサレムの人々が先祖の神、主を捨てたので、主は極めて大きな軍隊をアラム軍の手に渡された。こうして彼らはヨアシュに裁きを行った。彼らがヨアシュに重傷を負わせて去ると、家臣たちは、祭司ヨヤダの息子の血のゆえに、共謀し、ヨアシュを寝床で殺した」。
- ヨアシュ王の生涯の意味を考える
・主はヨアシュをアタルヤの手から守られたが、そのヨアシュもまた偶像礼拝に落ちていき、最後には暗殺される。当初ヨアシュは大祭司エホヤダと共に、宗教的政治的な契約を民に結ばせ、ユダの国民はバアルの宮と祭壇の像を破壊した。ヨアシュは、エホヤダと共に賢明な政治を行った。だが、エホヤダの死後、ヨアシュとユダの国民は神に背いて、アシェラと偶像に仕えた。エホヤダの子ゼカリヤがヨアシュの罪を責めたが、ユダの国民がヨアシュの命令によりゼカリヤを殺害した。直後、アラムの王ハザエルがユダ王国を侵略してエルサレムを陥落させ、主の宮の宝物を略奪した。ヨアシュはやがて家来達から信頼を失い、ついには謀反を起こされ、病床にあったところを殺害された。
・このヨアシュの生涯の意味は何だったのだろうか。空知教会・銘形秀則牧師は歴代誌の解説の中で、このヨアシュを「王という権威に弱かった王」と位置付ける。
-「歴代誌下 24章17節では『エホヤダが死んで後、ユダのつかさたちが来て、王を伏し拝んだ。それで、王は彼らの言うことを聞き入れた』とある。『王を伏し拝む』とは、ヨアシュは、ユダの高官たちによって神格化されたことを意味する。彼は自分をそのように扱ってくれる者たちに依存するようになり、『王は彼らの言うことを聞き入れた』。このことがもたらした結果は、主の宮を捨てて、偶像に仕えることだった。偶像に仕えるとは、自分の欲望を無限に肯定してくれる神に仕えるということを意味する。
・その結果、祭司階級との力のバランスが失われ、王権が独り歩きをする。主は、預言者を遣わして彼らを戒めるが、ヨアシュは耳を貸さず、預言した祭司エリヤダの子ゼカリヤを、石で打ち殺す。しかし、王としての実質的な資質を磨くことなく、ただ権力という媚薬に惑わされたヨアシュは外敵との戦いにおいては何の力もなかった。
-列王記下12:18-19「そのころ、アラムの王ハザエルが上って来てガトを攻略し、更にエルサレムに向かって攻め上って来た。ユダの王ヨアシュは、先祖であるユダの王ヨシャファト、ヨラム、アハズヤが聖別したすべての聖なる物、自分自身が聖別した物、および主の神殿の宝物庫と王宮にあるすべての金を取り出し、アラムの王ハザエルに送ったので、ハザエルはエルサレムを離れて行った」。
・ここに王とは神の代理者であるというイスラエルの王制の理念を知らずして王となった悲劇がある。彼は自分の家来によって暗殺され、王たちの墓には葬られなかったとある。これは彼の祖父ヨラムと同様、まったく人々から愛されることがなかったことを示している。
-歴代誌下24:24-25「ユダとエルサレムの人々が先祖の神、主を捨てたので、主は極めて大きな軍隊をアラム軍の手に渡された。こうして彼らはヨアシュに裁きを行った。彼らがヨアシュに重傷を負わせて去ると、家臣たちは、祭司ヨヤダの息子の血のゆえに、共謀し、ヨアシュを寝床で殺した。彼は死んで、ダビデの町に葬られたが、王の墓には葬られなかった」。
・権力はそれにふさわしくない者が継承したときに腐敗する。イエスが言われた通りである。
-マルコ10:42-45「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間ではそうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、一番上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」。
・列王記、歴代誌を初めとする歴史書は冷静に見る必要がある。どのような視点から書かれているかを判断する知恵が求められる。「感情の危険な独り歩き」と題する内山節氏の発言は傾聴に値する。
-東京新聞2020年2月9日朝刊から「物事を判断する時、私たちは感情でする時と、知性で判断するときとがある。例えば『新型肺炎ウィルスのニュースをみて、とりあえず怖い』と感じるのは感情による判断だし、『様々な情報を集めてみると、それほどあわてる必要はないかもしれないと思いはじめる』のは,知性による判断だ。人間たちは、感情と知性によるふたつの判断のバランスをとりながら、これまで暮らしてきた。近代的な社会が造られた時、この社会は感情をそのまま表に出すのではなく、その感情を知性で再検証する態度を人々に求めた。感情のままに動くのは恥ずかしいことであり、その感情が妥当なものであるかどうかを検証する知性を大事にしようとしたのである。だが最近では、この精神的態度は崩れてきているように感じる。感情的な判断をそのまま発信することが、インターネット上では可能になっている」。