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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年2月20日祈祷会(列王記下10章、イエフの血の粛清)

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1.イエフの徹底した血の粛清

 

・イエフはエリシャによって油を注がれ、王となり、主君ヨラム王に反乱を起こす。「主はアハブ王家を滅ぼすためにイエフを用いられる」とエリシャは語った。

-列王記下9:6-7「イスラエルの神、主はこう言われる。『私はあなたに油を注ぎ、あなたを主の民イスラエルの王とする。あなたはあなたの主君アハブの家を撃たねばならない。こうして私はイゼベルの手にかかった私の僕たち、預言者たちの血、すべての主の僕たちの血の復讐をする』。

・イエフはアハブの子ヨラムを殺し、その母イゼベルを殺して王になった。彼は王権を確立するために、首都サマリアに残るアハブ家の子供たち70人を殺せと指示する。

-列王記下10:1-6「アハブの子供が七十人サマリアにいた。イエフは手紙を書いてサマリアに送り、町の指導者、長老たちとアハブの子供の養育者たちにこう伝えた・・・『もしあなたたちが私の味方をし、私の命令に従うなら、あなたたちの主君の子供たちの首を取り、明日の今ごろ、イズレエルにいる私のもとに持って来なさい』」。

・イエフはアハブの子どもたちの首が届くと、それを町の入り口にさらし、民に対して、「主が命じられたことが、実現した」と宣告した。

-列王記下10:8-11「使者が『王子の首が届けられました』と知らせに来ると、イエフは『その首は二つの山に積んで、明朝まで町の入り口にさらしておけ』と命じた。翌朝、彼はそこに出て行って立ち、すべての民に言った『あなたたちに罪はない。私は主君に対して謀反を起こし、彼を殺した。だが、この者たちすべてを打ち殺したのは誰か。ただ、このことだけは知っておくがいい。『主がアハブの家に対してお告げになった主の言葉は一つも地に落ちることがない。主はその僕エリヤによってお告げになったことを実現された』。こうしてイエフは、イズレエルに残っていたアハブの家の者およびアハブについていた有力者、親友、祭司を皆打ち殺し、一人も残さなかった」。

・イエフはユダ王国アハズヤや彼の縁者たちも殺した。アハズヤはアハブとイゼベルの孫であった。彼はまたバアルを信じる者たちを次々に殺し、国内からバアル信徒を滅ぼし去った。

-列王記下10:25-27「イエフは近衛兵と侍従たちに言った『入って、彼らを討て。一人も外に出すな』。近衛兵と侍従たちは彼らを剣にかけて殺し、そこに投げ捨て、更にバアルの神殿の奥まで踏み込み、バアルの神殿にある石柱を運び出して焼き捨てた。バアルの石柱を破壊してから、バアルの神殿を破壊し、これを便所にした」。

 

2.なぜこのような出来事が起きたのか

 

・列王記はイエフの暴力革命を肯定する記事を書く。列王記は記す「主はイエフが御心を行った故に、4代にわたる王家の存続を約束された」と。イエフの創始した王朝は、五代、百年続き、北イスラエルでは最も長命な王朝となった(前842―745年)。

-列王記下10:30「主はイエフに言われた『あなたは私の目にかなう正しいことをよく成し遂げ、私の心にあった事をことごとくアハブの家に対して行った。それゆえあなたの子孫は四代にわたってイスラエルの王座につく』」。

・しかし列王記記者はイエフを無条件には賛美しない。暴力は改革を完成できないからだ。

-列王記下10:31「しかしイエフは、心を尽くしてイスラエルの神、主の律法に従って歩もうと努めず、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を離れなかった」。

・ヤロブアムの罪とは、南王国に対抗するために、ベテルに金の子牛を置き、これを拝ませたことだ。

-列王記上12:25-28「ヤロブアムはエフライム山地のシケムを築き直し、そこに住んだ・・・ヤロブアムは心に思った『今、王国は、再びダビデの家のものになりそうだ。この民が生贄をささげるためにエルサレムの主の神殿に上るなら、この民の心は再び彼らの主君、ユダの王レハブアムに向かい、彼らは私を殺して、ユダの王レハブアムのもとに帰ってしまうだろう』。彼は・・・金の子牛を二体造り、人々に言った『あなたたちはもはやエルサレムに上る必要はない。イスラエルよ、これがあなたをエジプトから導き上ったあなたの神である』」

・その行為は具体的には、民衆よりも自分の地位や権力や名誉や財産を重視することになる。ナボトのブドウ畑を王の権力で取り上げた行為はまさにそれを示す。

-列王記上21:19「彼に告げよ『主はこう言われる。あなたは人を殺したうえに、その人の所有物を自分のものにしようとするのか。』また彼に告げよ。『主はこう言われる。犬の群れがナボトの血をなめたその場所で、あなたの血を犬の群れがなめることになる。』」

 

3.暴力革命に主は関与されるのか

 

・イエフの徹底した流血は、今日の私たちには、反対派を粛清する政争にしか見えない。主は聖バーソロミューの虐殺をも肯定されるのだろうか。

-聖バーソロミューの虐殺「1527年カトリックのカトリーヌ・デ・メデッチは対立する新教徒4000人を殺したが、時のローマ法王グレゴリウス13世はこの報を聞いて、テ・デウム (Te Deum) 『われら神であるあなたを讃えん』と神を賛美した」。

・ホセア書は「主なる神はこの暴力を肯定されず、イエフにも責任を求められる」という預言者の言葉を記す。ホセアは暴力によって生まれたイエフ王家もまた「ヤロブアムの道」を歩んだ流血の王家に過ぎず、神の厳しい裁きのもとにあると言っている。

-ホセア1:4-5「主は彼に言われた。『その子をイズレエルと名付けよ。間もなく、私はイエフの王家に、イズレエルにおける流血の罰を下し、イスラエルの家におけるその支配を絶つ。その日が来ると、イズレエルの平野で、私はイスラエルの弓を折る」。

 

4.歴史に見るエヒウ(イエフ)王朝の評価(History of Israel : Ch.6北イスラエルの歴史から)

 

・エリシャは、その弟子を将軍エヒウ(イエフ)のもとに遣わして、彼に油を注ぎ(王への任命のしるし)、アハブの子や孫たちを殺し、オムリ王朝を断絶するように命じた。そこでエヒウは、オムリ王朝最後の王ヨラムに謀反を起こし、彼及び共にいたユダの王アハジヤを殺した(列王紀下9章)。オムリ王朝はユダの王家とも友好関係を結び、特にアハブとイゼベルの娘アタリヤは、ユダの王ヨラムの妃となっていた。このエヒウの革命の時に殺されたアハジヤは、アタリヤの息子であった。アタリヤは、自分の息子アハジヤが殺された後、ダビデ王家の者をことごとく殺して、自ら王位に即いた。アタリヤは、ユダ王国においてダビデ王家の者でない唯一の王である。

・革命に成功したエヒウは、イゼベルをはじめオムリ王家に属するものをことごとく殺した。この粛正は余りにも残酷なものであって、後の預言者ホセアはこのことを非難している。さらにエヒウは、ヤハウェ宗教に熱心であったレカブ人ヨナダブと協力して、偶像礼拝を一掃した(10章)。しかしこの時代、アッシリア帝国の勢力が次第にパレスチナに及んで来、イスラエルもその影響を受けずにはおれなかった。アッシリアの資料には、エヒウがアッシリアの王シャルマネセル三世に服従して貢を収めている浮き彫りがある。北のシリアとの争いも絶えず、イスラエルはかつての領土をかなり失ったようである。

・そういう中で、ヤラベアム二世時代は、北イスラエルは最後の繁栄を享受した。ヤラベアム二世は、政治的に優れた王であり、四一年の長きにわたって支配し、列王紀下14章25節によると「ハマテの入口からアラバの海まで、イスラエルの領域を回復した」とある。近隣の諸国に奪われていた領地をかなり奪回したようである。それはしかし、ヤラベアム二世の手腕もさることながら、アッシリア帝国の力がまだパレスチナには本格的に伸ばされず、むしろ北隣のシリアに及んだため、シリアの力がイスラエルに及ばなかったからである。この時代、イスラエルは表面的には平和と繁栄の時代であったが、階級的な差別が大きくなった時でもある。この時代に活躍したアモス書に、貧しい者を犠牲にして繁栄を享受していた支配者階級に対する痛烈な非難の言葉が残されている。ヤラベアム二世時代以降、北イスラエルは滅亡の一途をたどる。

-アモス5:10-12「彼らは町の門で訴えを公平に扱う者を憎み、真実を語る者を嫌う。お前たちは弱い者を踏みつけ、彼らから穀物の貢納を取り立てる・・・お前たちは正しい者に敵対し、賄賂を取り、町の門で貧しい者の訴えを退けている」。

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