2019年8月22日祈祷会(列王記上8章、ソロモンの祈り)
- 神殿奉献
・神殿が完成し、ソロモンは国中の指導者を集め、神殿奉献の祭儀を執り行う。神殿の至聖所に納められたのは、十戒の二枚の石板を納めた主の契約の箱であった。
-列王記上8:3-9「イスラエルの全長老が到着すると、祭司たちはその箱を担ぎ、主の箱のみならず臨在の幕屋も、幕屋にあった聖なる祭具もすべて担ぎ上った・・・祭司たちは主の契約の箱を定められた場所、至聖所と言われる神殿の内陣に運び入れ、ケルビムの翼の下に安置した・・・ 箱の中には石の板二枚のほか何もなかった。この石の板は、主がエジプトの地から出たイスラエル人と契約を結ばれたとき、ホレブでモーセがそこに納めたものである」。
・ソロモンと民は神殿奉献を記念して多くの生贄を捧げた。旧約時代の礼拝の中核は、犠牲の動物を捧げることによる「贖罪」の儀式である。
-列王記上8:62-64a「王はすべてのイスラエル人と共に主の御前にいけにえをささげた。ソロモンは和解の献げ物として牛二万二千頭、羊十二万匹を主にささげた。こうして、王はイスラエルのすべての人と共に主の神殿を奉献した。その日、王は主の神殿の前にある庭の中央部を聖別して、そこで焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、和解の献げ物である動物の脂肪をささげた」。
・ソロモンは神殿奉献の祈りをささげる。それは神がイスラエルと共にいて下さるようにとの祈りである。
-列王記上8:23-26「イスラエルの神、主よ、上は天、下は地のどこにもあなたに並ぶ神はありません。心を尽くして御前を歩むあなたの僕たちに対して契約を守り、慈しみを注がれる神よ、あなたはその僕、私の父ダビデになさった約束を守り、御口をもって約束なさったことを今日この通り御手をもって成し遂げてくださいました。イスラエルの神、主よ、今後もあなたの僕ダビデに約束なさったことを守り続けてください。あなたはこう仰せになりました。『あなたが私の前を歩んだように、あなたの子孫もその道を守り、私の前を歩むなら、私はイスラエルの王座につく者を断たず、私の前から消し去ることはない』と。イスラエルの神よ、あなたの僕、私の父ダビデになさった約束が、今後も確かに実現されますように」。
・8:27より祈りの基調が変わる。神殿はやがてバビロン軍により滅ぼされ、その時、契約の箱は失われ、捕囚帰還後に再建された神殿の至聖所は空白であった。神は人の造った神殿に住まわれないし、契約の箱もご神体ではない。祭壇や祭具に価値があるのではなく、人々の祈りこそ献げ物である。
-列王記上8:27-30「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。私が建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、今日僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。そして、夜も昼もこの神殿に、この所に御目を注いでください。ここはあなたが、『私の名をとどめる』と仰せになった所です。この所に向かって・・・僕とあなたの民イスラエルがこの所に向かって祈り求める願いを聞き届けてください。どうか、あなたのお住まいである天にいまして耳を傾け、聞き届けて、罪を赦してください」。
・神殿はやがて祈りの家ではなく、犠牲の動物や献げ物を捧げる場所になる。その時、神殿は神の家ではなくなる。神が求められるのは、犠牲の動物や献げ物ではなく、私たちの祈り、神に従う生き方だ。
-アモス5:21-24「私はお前たちの祭りを憎み、退ける。祭りの献げ物の香りも喜ばない。焼き尽くす献げ物を私にささげても、穀物の献げ物をささげても、私は受け入れず、肥えた動物の献げ物も顧みない。お前たちの騒がしい歌を私から遠ざけよ・・・正義を洪水のように、恵みの業を大河のように尽きることなく流れさせよ」。
2.ソロモンの祈り
・ソロモンは主に七つの嘆願の祈りを行う。祈りの中核は「罪を犯した者も悔い改めれば赦したまえ」との願いだ。ここには国を滅ぼされ、バビロンに捕囚となっている列王記読者の祈りがある。
-列王記上8:33-34「あなたの民イスラエルが、あなたに罪を犯したために敵に打ち負かされた時、あなたに立ち帰って御名をたたえ、この神殿で祈り、憐れみを乞うなら、あなたは天にいまして耳を傾け、あなたの民イスラエルの罪を赦し、先祖たちにお与えになった地に彼らを帰らせてください」。
・イスラエルは罪を犯し、神はイスラエルを滅ぼし、神殿を破壊された。列王記は国の滅亡、異国への捕囚という悲惨の中で書かれている。捕囚の民は破壊された神殿にいます神に祖国への帰国を祈っている。「自分たちは何故このような悲惨の中にあるのか。罪を悔い改めれば主は私たちを赦してくださるのか」。列王記読者の必死の祈りがここにある。
-列王記上8:46-50「もし彼らがあなたに向かって罪を犯し・・・あなたが怒って彼らを敵の手に渡し、遠くあるいは近くの敵地に捕虜として引いて行かれたときに、彼らが捕虜になっている地で自らを省み、その捕らわれの地であなたに立ち帰って憐れみを乞い、『私たちは罪を犯しました。不正を行い、悪に染まりました』と言い、捕虜にされている敵地で、心を尽くし、魂を尽くしてあなたに立ち帰り、あなたが先祖にお与えになった地、あなたがお選びになった都、御名のためにわたしが建てた神殿の方に向かってあなたに祈るなら、あなたはお住まいである天にいましてその祈りと願いに耳を傾け、裁きを行ってください。あなたの民があなたに対して犯した罪、あなたに対する反逆の罪のすべてを赦し、彼らを捕らえた者たちの前で、彼らに憐れみを施し、その人々が彼らを憐れむようにしてください」。
3.列王記上1-11章の内容と構成
・列王記の主たる内容は,イスラエル王国(とユダ王国)の歴史で、イスラエル第二代の王ダビデの死去とその息子ソロモンの即位(前965年頃)から、ソロモンの死後の王国分裂(前926年頃)、北王国イスラエルの滅亡(前722年頃)を経て、かろうじて単独で存続していた南王国ユダが結局は滅ぼされ、いわゆるバビロン捕囚が始まる時代(前586年頃)、ないし,捕囚地で幽閉されていたかつてのユダの王ヨヤキンが解放された時代(前561年頃)までの約400 年間を扱う。
・したがって、列王記全体は、いま素描したような歴史の流れに沿って、おのずからから次の三つの部分に分かれる。
Ⅰ統一王国時代(ソロモンの治世)列王記上1-11章
Ⅱ南北王国並立時代(イスラエル北王国の滅亡まで) 列王記上12章-列王記下17章
Ⅲユダ単立王国時代(ユダ王国滅亡まで)列王記下18-25章
・第Ⅰ部のソロモン時代の記述では,ソロモンの最大の事績と言えるエルサレム神殿の建設(王上6-8章)を中心に,この王の知恵と,彼の治世における国際交易等に基づく統一王国の繁栄と安泰ぶりが描かれるが,最後の部分では,ソロモンの死後の王国分裂の遠因となる,老齢に至ったソロモンの宗教的な堕落と背教の罪が描かれ,それに対する神ヤハウェの罰が予告される(王上11章)。
・列王記は、捕らえられてバビロンで37年間獄中にあったユダヤ王ヨヤキンがバビロン王の恩赦で釈放され、王の食卓につく者となったことで筆を置く。この出来事の中に列王記記者は祖国回復の望みをいだく。歴史を支配される主への信仰がそこにある。
-列王記下25:27「ユダの王ヨヤキンが捕囚となって三十七年目の第十二の月の二十七日に、バビロンの王エビル・メロダクは、その即位の年にユダの王ヨヤキンに情けをかけ、彼を出獄させた」。
・このヨヤキン(エコンヤ)の末としてイエスが生まれられたとマタイは記述する。マタイは「神は滅ぼしても再び生かされる方だ」とその系図を通して証言する。
-マタイ1:12-16「バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを・・・マタンはヤコブを、ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」。