2019年1月31日祈祷会(サムエル記上28章、サウルの苦境と死)
1.戦いを前に恐怖するサウル
・ダビデは敵地ペリシテに逃げ、当地に滞在するが、ペリシテ軍がイスラエルと戦うことになり、ダビデも出陣を命じられる。イスラエル王となるべく油注がれた者が、イスラエルを敵として戦う事を迫られた。
−サムエル記上28:1「ペリシテ人はイスラエルと戦うために軍を集結させた。アキシュはダビデに言った『あなたもあなたの兵も私と一緒に戦陣に加わることを、よく承知していてもらいたい』」。
・他方、サウルはペリシテ軍の来襲に備えて軍を集めるが、圧倒的な敵軍を見て怯える。彼は主に託宣を求めるが、主は彼に答えられない。彼自身が、反対する祭司たちを殺しており、とりなす祭司もいなかった。
−サムエル記上28:4-6「ペリシテ人は集結し、シュネムに来て陣を敷いた。サウルはイスラエルの全軍を集めてギルボアに陣を敷いた。サウルはペリシテの陣営を見て恐れ、その心はひどくおののいた。サウルは主に託宣を求めたが、主は夢によっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかった」。
・預言者サムエルは既に亡くなっていたが、サウルは口寄せ女を用いて、サムエルの霊を呼び出し、主へのとりなしを求める。口寄せ、霊媒は禁止されていたが、恐怖に迫られたサウルは律法を破ってまでも、サムエルのとりなしを求めた。
―サムエル記上28:14-15「サウルにはそれがサムエルだと分かったので、顔を地に伏せ、礼をした。サムエルはサウルに言った『何故私を呼び起こし、私を煩わすのか』。サウルは言った『困り果てているのです。ペリシテ人が戦いを仕掛けているのに、神は私を離れ去り、もはや預言者によっても、夢によってもお答えになりません。あなたをお呼びしたのは、なすべき事を教えていただくためです』」。
・陰府から呼び出されたサムエルは答える「主はあなたを離れられ、敵となられた。戦いは敗れ、あなたも息子も明日死ぬ」。
―サムエル記上28:16-19「何故私に尋ねるのか。主があなたを離れ去り、敵となられたのだ。主は、私を通して告げられた事を実行される。あなたの手から王国を引き裂き、あなたの隣人、ダビデにお与えになる。あなたは主の声を聞かず、アマレク人に対する主の憤りの業を遂行しなかったので、主はこの日、あなたに対してこのようにされるのだ。主はあなたのみならず、イスラエルをもペリシテ人の手に渡される。明日、あなたとあなたの子らは私と共にいる。主はイスラエルの軍隊を、ペリシテ人の手に渡される」。
・サウルは「なすべき事を教えていただく」ために霊媒を通じてサムエルに会った。しかし与えられた答えは「戦いは敗れ、あなたも息子も明日死ぬ」という預言であった。サウルは戦いに臨むしか道はなかった。
−サムエル記上28:20「サウルはたちまち地面に倒れ伏してしまった。サムエルの言葉におびえたからである。また彼はこの日、何も食べていなかったため、力が尽きていたのである」。
2.サウルの死
・サウルはこれまで数々の戦いを勝ってきた。その勝利の喜びがこれまでは彼を支えてきた。
−サムエル記14:47-52「サウルはイスラエルに対する王権を握ると、周りのすべての敵、モアブ、アンモン人、エドム、ツォバの王たち、更にはペリシテ人と戦わねばならなかったが、向かうところどこでも勝利を収めた。彼は力を振るい、アマレク人を討ち、略奪者の手からイスラエルを救い出した・・・サウルの一生を通して、ペリシテ人との激戦が続いた。サウルは勇敢な男、戦士を見れば、皆召し抱えた」。
・しかしサウルは主を頼らず自らの強さに頼り、そのため主の霊はサウルを離れた。
−サムエル記上13:13-14「サムエルはサウルに言った。『あなたは愚かなことをした。あなたの神、主がお与えになった戒めを守っていれば、主はあなたの王権をイスラエルの上にいつまでも確かなものとしてくださっただろうに。しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人を御自分の民の指導者として立てられる。主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ』」。
・サウルはペリシテ人の戦いで戦死する。息子のヨナタンも共に死んだ。
−サムエル記上31:1-4「ペリシテ軍はイスラエルと戦い、イスラエル兵はペリシテ軍の前から逃げ去り、傷ついた兵士たちがギルボア山上で倒れた。ペリシテ軍はサウルとその息子たちに迫り、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを討った。サウルに対する攻撃も激しくなり、射手たちがサウルを見つけ、サウルは彼らによって深手を負った・・・サウルは剣を取り、その上に倒れ伏した」。
・こうしてサウルは滅んだ。ダビデは主の守りを信ぜずに自己の才覚に頼り、ペリシテ軍の中で生きようとした。ダビデもサウルと同じく罪人だ。しかし、主はダビデを守り、サウルを捨てられた。ダビデは罪を犯しても悔い改めたからだ。罪の赦しを信じるかどうかが二人を分けた。
・サウルが悔い改めて主の名を呼べば、主はサウルを助けられたであろう。悔い改めた者を主は滅ぼされない。滅びを宣告されたニネベでさえ、悔い改めれば赦された。
−ヨナ3:6-10「ニネベの王に伝えられると、王は王座から立ち上がって王衣を脱ぎ捨て、粗布をまとって灰の上に座し、王と大臣たちの名によって布告を出し、ニネベに断食を命じた・・・人も家畜も粗布をまとい、ひたすら神に祈願せよ。おのおの悪の道を離れ、その手から不法を捨てよ。そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない』。神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた」。
3.サムエル記上28章の黙想
・福井誠・聖書一日一生から
−サウルの問題は、王位に伴う権威と権力に執着し過ぎたことである。真の権威が、神にあることを忘れていく時に、人間は、権力がらみのことで失敗していく。権力を自分のものと思い込み、その地位から退くことができない。サウルは、自らの地位も権力も与えられたものであり、いつでも潔くそれを返さなくてはならないことをわきまえていなくてはならなかったし、神に地位と権力を与えられた以上、神の預言者を通じて語られる神のことばには徹底して聞き従わなければならなかった。だが、サウルは預言者に全面的に聞くことができず、自分を主張しようとした。自分を神としたのである。そこにサウル破滅の根本問題がある。
−サウルに神の答えがなかったというのは、もはや神は十分語っており、これ以上語るべきことはなかった、ということだ。このサウルの結末に教えられることは、私たちは、いつでも究極の権威者である神を覚え、神に従い、神に与えられたものはいつでも返す心備えをしておくべきことだろう。自分ではなく、神に聞き従う謙虚な心を持ち、神の僕としてあることを忘れてはならないことだ。そのような心が失われる時に、私たちは本来敵とすべきではないものを敵として、ある日、突如本当の敵に直面させられる結果となる。
・カール・バルト「バルメン宣言第五項」から
−権力は神が統治者に与えられるものだ。統治者がその委託に応えない時、権力は次の人に与えられる。カール・バルトが見出した真理もそうであった。バルトはナチス支配に従わない自由を聖書に求めた。
−バルメン宣言第五項から
「国家は、教会もその中にあるいまだ救われぬこの世にあって、人間的な洞察と人間的な能力の量に従って、権力の威嚇と行使を為しつつ、正義と平和のために配慮するという課題を、神の定めによって与えられているということを、聖書はわれわれに語る。教会はこのような神の定めの恩恵を、神に対する感謝と畏敬の中に承認する。教会は、神の国を、また神の誡命と義を想起せしめ、そのことによって統治者の責任を想起せしめる。教会は、神がそれによって一切のものを支え給う御言葉の力に信頼し、服従する。国家がその特別な委託を超えて、人間生活の唯一にして全体的な秩序となり、従って教会の使命をも果すべきであるとか、そのようなことが可能であるとかいうような誤った教えを、われわれは斥ける」。
・サウルが最後まで引退できなかった(ダビデに平和的に王位を継承できなかった)ことの中に、神の思いと人の思いの揺れを感じる。2008年3月「牧師の退職をめぐる宣教シンポジウム」(宣教研究所)が開催された。その時の記録の一部は下記の通りである。
−牧師はいつ引退すべきかについての明確な基準はない。多くの牧師たちは引退の時期を、神の「召命」がなくなった時、または会衆の指示がなくなった「招聘の途切れた時」と考えている。
−連盟の退職年金規定では65歳を引退年齢と定め、年金支給を開始する。但し主任牧師を継続し、牧師館に住む間は支給は繰り延べられる。実際を見ると65歳引退は少なく、多くの牧師は70〜75歳で引退し、少数の牧師はその後も職務を継続する。召命と招聘の途切れを引退の時期と考えても、その基準は明確ではない。