1.エリヤの昇天
・列王記下2章はエリヤの召天を描く。エリヤはイスラエルに偶像の神を持ちこもうとするアハブ王とイゼベル妃の動きに対して戦ってきた。フェニキヤ王の娘だったイゼベルはイスラエルに来るや、イスラエルの神に仕える預言者たちを殺戮し、偶像神バアルを拝むように民に強制した(列王記上18:4)。それに対してエリヤは干ばつを預言して挑戦し(同17:1)、次にはバアルの預言者たちとカルメル山で対決し、鮮やかな勝利を収めて民の信仰を回復させる(同18:39)。
・しかしイザベルはエリヤの命を狙い、彼は逃れて主の山シナイに行き、そこで再度の召命をいただく。-列王記上19:15-18「あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ。そこに着いたなら、ハザエルに油を注いで彼をアラムの王とせよ。ニムシの子イエフにも油を注いでイスラエルの王とせよ。また・・・エリシャにも油を注ぎ、あなたに代わる預言者とせよ・・・私はイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である」。
・エリヤは年老い、後継者としてエリシャを召した。エリヤは天に上げられる前に、ベテルの預言者集団にエリシャを後継者として紹介していく。同じ出来事がエリコでも繰り返される。弟子たちと別れを告げたエリヤは、故郷ギルガルに戻り、死の準備をする。そのヨルダンでエリヤはエリシャに問う「あなたは何を求めるか」。エリシャはエリヤの預言者としての賜物の相続を願う。
-列王記下2:9「エリヤはエリシャに言った『私があなたのもとから取り去られる前に、あなたのために何をしようか。何なりと願いなさい』。エリシャは『あなたの霊の二つの分を私に受け継がせてください』と言った」。
・エリシャは「あなたの正式な後継者として霊の賜物を分け与えて下さい」と願った。それに対してエリヤは答える「私があなたのもとから取り去られるのをあなたが見れば願いはかなえられる」。あなたに霊の賜物を与えるのは私ではなく神だ。もしあなたが私の死を見てそこに主の霊が働いているのを見ることが出来れば、あなたが私の後継者に任じられたしるしになると彼は答えた。
-列王記下2:10「エリヤは言った。『あなたはむずかしい願いをする。私があなたのもとから取り去られるのをあなたが見れば、願いはかなえられる。もし見なければ、願いはかなえられない」。
・エリヤが天に取り去られる時が来た。火の戦車がエリヤを天に取り去った。
-列王記下2:11-12「彼らが話しながら歩き続けていると、見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。エリヤは嵐の中を天に上って行った。エリシャはこれを見て、『わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ』と叫んだが、もうエリヤは見えなかった。エリシャは自分の衣をつかんで二つに引き裂いた」。
・戦車や騎兵は当時の軍隊の主力であり、国を守るものだ。本当に国を守る者は王や王妃の進めた偶像礼拝ではなく、主に従って歩む預言者の活動であり、エリシャはエリヤの中に真の愛国者を見た。エリシャと共にいた他の預言者たちはこれを見ていないので(2:16)、この幻はエリシャだけに見えたのかもしれない。火の戦車の物語は「エリヤの生涯は死で終わったのではなく、天の神の御元で永遠に続いている」とのエリシャの信仰告白が伝承化したものと思われる。
2.新約聖書に継承されたエリヤ物語
・エリヤの昇天は人々に深い印象を残した。死なずに天に召されたエリヤは、終末に再び来るとの信仰を人々は持った。マラキはエリヤの再訪を預言した。
-マラキ3:23-24「見よ、私は大いなる恐るべき主の日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に子の心を父に向けさせる。私が来て、破滅をもってこの地を撃つことがないように」。
・福音書記者はイエスがバプテスマのヨハネをエリヤと理解されたと伝える。
-マタイ17:12-13「『エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる』。そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った」。
・こうしてエリシャがエリヤの後を継いで預言者として立たされていく。イエスは「預言者は故郷では敬われない」ことのしるしとして、エリシャに言及されている。
-ルカ4:27「預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった」。
3.火の戦車を巡って
・エリヤを天に連れ去った「火の戦車」は有名になり、黒人霊歌が生まれた。「火の戦車が来て、自分たちを故郷に連れ帰ってくれる」と叫んだ歌だ。
「Swing low, sweet chariot Coming for to carry me home Swing low, sweet chariot Coming for to carry me home ・・・ I looked over Jordan, what did I see Coming for to carry me home
A band of angels coming for me Coming for to carry me home」。
・またエリック・リデルの生涯を描いた映画は「CHARIOTS OF FIRE(日本名「炎のランナー」、1981年)と呼ばれた。列王記下2章のエリヤの昇天時に現れた「火の戦車」の意味である。
-エリック・リデル「1924年のパリ・オリンピックの陸上競技に出場したが、予選日が主の日である日曜日になったため、出場を辞退する。最後には予選日が変わって出場でき優勝する。彼は、「走るのは神様を称えるため、早い足が与えられたのはそのため」と人々に説いて回わった。
-オリンピック後、エリックは中国へ宣教師として向かう。第2次世界大戦が始まり、エリックは日本軍の強制収容所に送られ、彼は収容所において、親と離れ離れになった子どもたちの面倒をみる。その子供の一人がスティーブン・メティカフで、両親が宣教師として滞在していた中国で生まれ、大戦中は日本軍の収容所に入れられ、そこでエリックに出会う。収容所での日本兵のむごい仕打ちを見せつけられ、少年たちがその行為をどうしても赦すことが出来なかった時、エリックは言った「聖書には『迫害する者のために祈りなさい』と書いてある。ぼくたちは愛する者のためなら、頼まれなくても祈る。しかし、イエスは愛せない者のために祈れと言われた。だから君たちも日本人のために祈ってごらん。人を憎む時、君たちは自分中心の人間になる。でも祈る時、君たちは神中心の人間になる。神が愛する人を憎むことはできない。祈りは君たちの姿勢を変えるのだ」。
-「聖人のような人物だった」とメティカフはエリック・リデルを評する。リデルは収容所で43才という若さで死ぬ。メティカフはその時、「もし僕が生きてこの収容所を出られる日が来たら、きっと宣教師になって日本に行きます」と祈った。数年後、メティカフは宣教のために日本へと向かい、38年間を日本に捧げた。ここにも「エリヤと弟子エリシャ」がいた。