1.ユダ王国の罪
・列王記上は15章から南ユダ王国の諸王、北イスラエルの諸王の物語が交互に語られる。ユダではソロモンの子レハブアムが死に、子アビヤムが王位についたが、3年で死んだ。
-列王記上15:1b-3「アビヤムがユダの王となり、エルサレムで三年間王位にあった。・・・彼もまた父がさきに犯したすべての罪を犯し、その心も父祖ダビデの心のようには、自分の神、主と一つではなかった」。
・アビヤムは主の期待に添えない王であったが、主はダビデへの約束ゆえに、ダビデ王朝を維持された。
-列王記上15:4-5「彼の神、主は、ただダビデのゆえにエルサレムにともし火をともし、跡を継ぐ息子を立てて、エルサレムを存続させられた。ダビデが主の目にかなう正しいことを行い、ヘト人ウリヤの一件のほかは、生涯を通じて主のお命じになったすべてのことに背くことがなかったからである」。
・アビヤの後はアサが継いだ。彼は正しい人で偶像を破壊したが、その改革は中途で終わった。
-列王記上15:9-14「ユダの王としてアサが王位につき、エルサレムで四十一年間、王位にあった。・・・アサは父祖ダビデと同じように主の目にかなう正しいことを行い、神殿男娼をその地から追放し先祖たちの造った偶像をすべて取り除いた・・・聖なる高台は取り除かれなかったが、アサの心はその生涯を通じて主と一つであった」。
2.イスラエル王国の罪
・ユダ王国ではダビデ王朝が続いたが、イスラエル王国では、王は次から次に倒され、新しい王朝が立った。どの王朝も神の目に正しいものではなかった。ヤロブアムの子ナダブは即位2年で部下に殺された。
-列王記上15:25-28「ヤロブアムの子ナダブ・・・は主の目に悪とされることを行って、父と同じ道を歩み、イスラエルに罪を犯させた父の罪を繰り返した・・・バシャがナダブを殺し、代わって王となった」
・バシャは24年間王位にあったが、主はこのバシャもその罪の故に捨てられる。
-列王記上16:1-4「私はあなたを塵の中から引き上げて、わが民イスラエルの指導者としたが、あなたはヤロブアムと同じ道を歩み、わが民イスラエルに罪を犯させ、彼らの罪によって私を怒らせた。それゆえ、今私はバシャとその家を一掃し、あなたの家もネバトの子ヤロブアムの家と同様にする」。
・バシャの子エラはジムリに殺され、ジムリはオムリに殺された。オムリの子アハブの時に、イスラエルの悪はその頂点に達した。主はアハブをいさめるために、預言者エリヤを遣わされる。
-列王記上16:29-33「オムリの子アハブは、サマリアで二十二年間イスラエルを治めた・・・彼以前のだれよりも主の目に悪とされることを行った。彼はネバトの子ヤロブアムの罪を繰り返すだけでは満足せず、シドン人の王エトバアルの娘イゼベルを妻に迎え、進んでバアルに仕え、これにひれ伏した・・・アハブはまたアシェラ像を造り、それまでのイスラエルのどの王にもまして、イスラエルの神、主の怒りを招くことを行った」。
・物語に繰り返し出てくるのは「ヤロブアムの罪」である。北王国最初の王ヤロブアムはエルサレム神殿に対抗するためにベテルに祭壇を築き、金の子牛を拝むようにさせた。ヤロブアムの罪、それは神を自己の利得のための手段とする偶像礼拝の罪であった。私たちも願いが適わず、「神などいない」とうそぶく時に私たちもヤロブアムの罪を犯す。
-イザヤ40:27「ヤコブよ、なぜ言うのか、イスラエルよ、なぜ断言するのか。私の道は主に隠されている、と。私の裁きは神に忘れられた、と」。
3.イスラエルとユダの滅びから何を学ぶのか
・ダビデ・ソロモンの王国は、北イスラエルと南ユダに分裂した。両国とも、西オリエントの大国の狭間にあって、ほとんど政治的重要性を持たない小国家として存在していく。その中でユダ王国は、ダビデの子孫が王位を継承していくが、イスラエル王国は次々と王朝が交替していく。歴史的にはダビデ王朝を継承するユダ王国では、王位継承の問題は、世襲的王権の原理によって、決着がついていた。他方、北王国では数十年間にわたって安定した王朝が建てられることはなかった。ダビデ王やエルサレム神殿のような信仰の中核を持たなかったために選任王制をとらざるを得なかった。北王国の政情は極めて不安定なものとなった。北王国の王19人のうち、8人までが暗殺され、三代以上にわたって王位が継承されたのはオムリ王朝とエヒウ王朝だけであった。
・列王記は、神がイスラエルを滅ぼされ、その後ユダをも滅ぼされた歴史を描く。彼らの関心は王たちが「神の前でどう生きたか」であり、ユダ王アビヤムの評価も彼が神に対してどう生きたかが焦点となる。
-列王記上15:3「彼もまた父が先に犯したすべての罪を犯し、その心も父祖ダビデの心のようには、自分の神、主と一つではなかった」。
・イスラエル王オムリの時代にイスラエルは首都をサマリアに移し、王国はこの世的には繁栄の頂点を極めた。しかし、列王記記者は評価しない。正典文書としての列王記は、歴史を動かすものは決して経済的・軍事的な力ではなく、神への忠実さの問題であると主張する。
-列王記上16:25-26「オムリは主の目に悪とされることを行い、彼以前のだれよりも悪い事を行った。彼は、ネバトの子ヤロブアムのすべての道を歩み、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を繰り返して、空しい偶像によってイスラエルの神、主の怒りを招いた」。
・私たちにとっても最も大切なことは、主の前にどう生きるかである。人は70年か80年の短い時間を生きるに過ぎない。「死ねば主の前に出て最後の審判を受ける」とイエスは語られた。
-マタイ25:31-36「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、私の父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、私が飢えていた時に食べさせ、のどが渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれた・・・私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」。
・別の者は呪いを受ける。祝福と呪いの差は、「隣人にどう関わったか」である。憐れみを自分で行わない者は、神の憐れみを期待するわけにはいかないのである。
-マタイ25:41-45「王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、私から離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、私が飢えていた時に食べさせず、のどが渇いた時に飲ませず、旅をしていた時に宿を貸さず、裸の時に着せず、病気の時、牢にいた時に、訪ねてくれなかった・・・この最も小さい者の一人にしなかったのは、私にしてくれなかったことなのである」。
- 歴史書としての列王記と歴代誌を考える(山我哲雄論文から)
・列王記は「申命記から列王記下」までの大きな枠組みの一部として成立したとされる(申命記史書)。それは単独個人の著作ではなく、ユダ王国末期からユダ王国滅亡後のバビロン捕囚の時代にかけて活動した多数の書記たちによる学派的文書と見られる。その基層的部分はユダ王国とダビデ王朝の双方が存在していることを前提にしており、明らかにユダ王国滅亡以前に成立していた。前7世紀後半のヨシヤ王による宗教改革に関連して、これを神学的に正当化するために同時代の書記たち(第一申命記史家たち)によって書かれたものと考えられる。
・他方で,申命記史書には明らかに王国滅亡とエルサレムの破壊を前提にしている部分も何箇所かに見られる。これらの部分は、王国滅亡とエルサレムの破壊(前586年)というその後の歴史的展開を受けて、第一申命記史家たちの精神を引き継ぐ「第二申命記史家たち」により、それらの破局がイスラエルの神ヤハウェへの背教の結果としての神罰であるという歴史の意味を明らかにする形で、書き加えられたものと考えられる。
・もう一つの歴史書である歴代誌は、多くの部分はサムエル記、列王記と重複し、それらを改訂したものである。その改訂作業の大きな原理として、正しい行為を行った王には幸いが下り、悪を行った王には災いが下るという、応報思想が重要な役割を果している。エズラ記、ネヘミヤ記、と同じ祭司グループによって書かれたものではないかと考えられている。内容としてはサムエル記、列王記を基にしながらも、独自の資料も用いてイスラエルの歴史を再構成している。特徴としては神殿についての記述や職制の人名リストが多いこと、北イスラエル王国の歴史を完全に無視していることなどがあげられる。