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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2019年7月25日祈祷会(列王記上5:15-32、神殿とは何か)

投稿日:2019年8月22日 更新日:

2019年7月25日祈祷会(列王記上5:15-32、神殿とは何か)

1.神殿建設の準備

・ソロモン王の即位に際し、隣国ティルス(レバノン)の王ヒラムが祝福の使節を送ってきた。ヒラムはダビデ時代からイスラエルと親しかった。
−列王記上5:15「さて、ティルスの王ヒラムは、ソロモンが油を注がれ、父に代わって王となったことを聞き、家臣を遣わしてきた。ヒラムは常にダビデと友好関係にあったからである」。
・ソロモンは即位後4年目(前962年)に、神殿建設の準備を始めた。しかし、必要な資材と職人が国内に無かったため、ティルス(レバノン)の王ヒラムに支援を求めた。
−列王記上5:17-20「父ダビデは、主が周囲の敵を彼の足の下に置かれるまで戦いに明け暮れ、その神なる主の御名のために神殿を建てることができませんでした。今や、私の神、主は周囲の者たちから私を守って、安らぎを与えてくださり、敵対する者も、災いをもたらす者もいません・・・私は、私の神、主の御名のために神殿を建てようと考えています。・・・それゆえ、私たちのためにレバノンから杉を切り出すよう、お命じください。私の家臣たちもあなたの家臣たちと共に働かせます。あなたの家臣たちへは、仰せのとおりの賃金を私が支払います。ご存じのように、当方にはシドンの人のような伐採の熟練者がいないからです。」
・報酬としてソロモンが提供したのは、小麦年2万コル(460万リッター)、油20コル(4600リッター)という莫大なものであった(イスラエルの年間消費量の70%。後に払えなくなり、領地を割譲している)。
−列王記上5:24-25「ヒラムはソロモンの望みどおりレバノン杉と糸杉の木材を提供し、ソロモンはヒラムにその家のための食糧として、小麦二万コルと純粋のオリーブ油二十コルを提供した。ソロモンは同様のものを毎年ヒラムに提供した」。
−列王記上9:10−11「ソロモンは、二十年を費やして二つの建物、主の神殿と王の宮殿を建て終わったとき、ティルスの王ヒラムがソロモンの望みどおりにレバノン杉と糸杉の材木や金を提供してくれたので、ソロモンはヒラムにガリラヤ地方の二十の町を贈った」。
・また全国民に労役を課し、三ヶ月ごとに1ヶ月の労役を課し(税率33%の賦役)、石切や荷役のために、数万人を動員している。神殿建設7年、王宮建設13年、20年に及ぶ大規模工事の賦役の重さが後に王国の分裂を招く。
−列王記上5:27-32「ソロモン王はイスラエル全国に労役を課した。徴用された男子は三万人であった。王は彼らを一万人ずつ一か月交替でレバノンに送った。すなわち、一か月はレバノンに、二か月は自分の家にとどまるようにした。・・・またソロモンには、荷役の労働者が七万人、山で石を切り出す労働者が八万人いた。・・・ソロモンの石工たちは、ヒラムの石工たちやゲバル人と共同で石を切り出した。こうして、神殿建築用の木材も石材も整った」。
・神殿は7年の歳月を経て完成した。その大きさは横10メートル、縦30メートル、高さ15メートルの壮大なものであった。
−列王記上6:1-3「ソロモン王が主の神殿の建築に着手したのは、イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王になってから四年目のジウの月、すなわち第二の月であった。ソロモン王が主のために築いた神殿は、奥行きが六十アンマ、間口が二十アンマ、高さが三十アンマであった」。

2.ソロモンの神殿のその後

・神殿は元々幕屋であり、モーセの時代に荒野に移動式幕屋が立てられ、それがダビデの時まで継承されている。ダビデも主のために神殿を立てようとしたが、不要だと言われて、断念している。
−サムエル記下7:6-7「私はイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず・・・幕屋を住みかとして歩んできた。・・・何故私のためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか」。
・この神殿はやがて破壊される。それを知る列王記記者は神殿破壊預言をここに挿入している(列王記はバビロン捕囚後の悔い改めとして書かれた)。
−列王記上9:6-7「もしあなたたちとその子孫が私に背を向けて離れ去り、私が授けた戒めと掟を守らず、他の神々のもとに行って仕え、それにひれ伏すなら、私は与えた土地からイスラエルを断ち、私の名のために聖別した神殿も私の前から捨て去る。こうしてイスラエルは諸国民の中で物笑いと嘲りの的となる」。
・神殿崩壊の直前に、エレミヤは「悔い改めなければ主は神殿を壊される」と警告した。
−エレミヤ7:4-14「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない・・・お前たちはこのむなしい言葉に依り頼んでいるが、それは救う力を持たない。盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、知ることのなかった異教の神々に従いながら、私の名によって呼ばれるこの神殿に来て私の前に立ち、『救われた』と言うのか。お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか。私の名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。私にもそう見える、と主は言われる。シロの私の聖所に行ってみよ。かつて私はそこに私の名を置いたが、わが民イスラエルの悪のゆえに、私がそれをどのようにしたかを見るがよい・・・私の名によって呼ばれ、お前たちが依り頼んでいるこの神殿に、そしてお前たちと先祖に与えたこの所に対して、私はシロにしたようにする。私は、お前たちの兄弟である、エフライムの子孫をすべて投げ捨てたように、お前たちを私の前から投げ捨てる。」
・神殿は前587年バビロニア軍によって破壊された。
−列王記下25:8-15「第五の月の七日、バビロンの王ネブカドネツァルの第十九年のこと、バビロンの王の家臣、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、主の神殿、王宮、エルサレムの家屋をすべて焼き払った。大いなる家屋もすべて、火を放って焼き払った。親衛隊の長と共に来たカルデア人は、軍をあげてエルサレムの周囲の城壁を取り壊した・・・カルデア人は主の神殿の青銅の柱、台車、主の神殿にあった青銅の「海」を砕いて、その青銅をバビロンへ運び去り、壺、十能、芯切り鋏、柄杓など、祭儀用の青銅の器をことごとく奪い取った。また親衛隊の長は、火皿、鉢など、金製品も銀製品もすべて奪い取った」。

3.神殿の意味

・神殿は神の臨在または恩恵の絶対的な保証ではない。何故なら、神は人の造った神殿には住まわれないからだ。殉教者ステパノはソロモンによる神殿造営こそ背教だと糾弾した。
−使徒言行録7:44-48「私たちの先祖には、荒れ野に証しの幕屋がありました。・・・この幕屋は、それを受け継いだ先祖たちが、ヨシュアに導かれ・・・異邦人の土地を占領するとき、運び込んだもので、ダビデの時代までそこにありました。ダビデは神の御心に適い、ヤコブの家のために神の住まいが欲しいと願っていましたが、神のために家を建てたのはソロモンでした。けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません」。
・イエスは神殿よりも人の心が大事だと言われた。この時の神殿はヘロデ王が造営した第三神殿であった。この神殿も紀元70年のユダヤ戦争時にローマにより破壊され、今日神殿はない。神殿の一部が嘆きの壁として残っている。
−マルコ13:2「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」
・モーセが荒野で幕屋を造営した時、民の献げ物が多すぎて余った。ソロモンは神殿を建てるために外国の援助を求め、人々を強制徴用した。教会堂建設はどのように行うべきかをこの記事は教える。会堂は聖なる宮ではない。教会の実情に見合った会堂建築こそが必要なのではないか。
−出エジプト記36:4-6「聖所のあらゆる仕事に携わる知恵のある者は皆、それぞれの仕事場を離れて来て、モーセに言った『この民は、主がお命じになった仕事のために、必要以上の物を携えて来ます』。モーセが宿営に『男も女も、聖所の献納物のためにこれ以上努める必要はない』との命令を伝えさせたので、民は携えて行くのをやめた」。

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