2019年5月9日祈祷会(サムエル記下15章、子アブサロムの反乱)
1. アブサロムの反乱
・兄アムノンを殺害した弟アブサロムを赦すことの出来ない父ダビデに対して、アブサロムの心も離れて行き、彼は父王転覆を狙って、人心獲得のための活動を開始する。具体的には、人気取りのための利益誘導活動を行った。
−サムエル記下15:1-5「その後、アブサロムは戦車と馬、ならびに五十人の護衛兵を自分のために整えた。アブサロムは朝早く起き、城門への道の傍らに立った。争いがあり、王に裁定を求めに来る者をだれかれなく呼び止めて・・・アブサロムはその人に向かって言った『いいか。お前の訴えは正しいし、弁護できる。だがあの王の下では聞いてくれる者はいない』。アブサロムは、こうも言った『私がこの地の裁き人であれば、争い事や申し立てのある者を皆、正当に裁いてやれるのに』。また、彼に近づいて礼をする者があれば、手を差し伸べて彼を抱き、口づけした」。
・アブサロムは第一王位継承者で、待てば王位は彼に来るはずなのに待てなかった。父ダビデとの信頼関係が崩れ、ダビデは自分以外の者を王にすると邪推したからだ。彼は人気獲得の活動を4年間行い、人心は次第にアブサロムに傾いた。聖書はこれを「人々の心を盗んだ」と記述する。アブサロムの行為は自己のためであり、主のためではない。
−サムエル記下15:6「アブサロムは、王に裁定を求めてやって来るイスラエル人すべてにこのようにふるまい、イスラエルの人々の心を盗み取った」。
・アブサロムはヘブロンに宮廷の主要人物を連れて行き、そこで王に対する反乱を宣言する。
−サムエル記下15:10-12「アブサロムはイスラエルの全部族に密使を送り、角笛の音を合図に、『アブサロムがヘブロンで王となった』と言うように命じた。このときエルサレムから二百人の者がアブサロムと共に出かけたが、招きに応じて同行しただけで、何も知らされてはいなかった。いけにえをささげるにあたって、アブサロムは使いを送り、ダビデの顧問であるギロ人アヒトフェルを彼の町ギロから迎えた。陰謀が固められてゆき、アブサロムのもとに集まる民は次第に数を増した」。
・「時良し」と見たアブサロムはヘブロンで挙兵する。これを聞いたダビデは直ちに王宮を出てヨルダンに逃れた。内戦とエルサレムでの流血を避けるためであった。
―サムエル記下15:13-14「イスラエル人の心はアブサロムに移っているという知らせが、ダビデに届いた。ダビデは、自分と共にエルサレムにいる家臣全員に言った。『直ちに逃れよう。アブサロムを避けられなくなってはいけない。我々が急がなければ、アブサロムがすぐに我々に追いつき、危害を与え、この都を剣にかけるだろう』」。
・多くの忠実な部下たちがダビデに従った。人望はダビデにあった。しかし、ダビデは自己の勝利よりも、イスラエルの平和を願い、助力を申し出た傭兵にも都に帰るよう説得し、祭司たちも帰らせた。
―サムエル記下15:19-26「王はガト人イタイに言った『なぜあなたまでが、我々と行動を共にするのか。戻ってあの王のもとにとどまりなさい・・・私は行けるところへ行くだけだ。兄弟たちと共に戻りなさい』・・・ツァドクをはじめレビ人全員が神の契約の箱を担いで来ており、兵士全員が都を去るまで神の箱を降ろしていた。アビアタルも来ていた。王はツァドクに言った。『神の箱は都に戻しなさい。私が主の御心に適うのであれば、主は私を連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう。主が私を愛さないと言われる時は、どうかその良いと思われることを私に対してなさるように』」。
・戦場に担ぎ出された神の箱は、陣営を守り勝利を与えてくれるという「信仰」があったが、ダビデはそれをエルサレムに戻すよう命じ、神を戦いに利用しなかった。「主が私を愛さないと言われる時は、どうかその良いと思われることを私に対してなさるように」と語る言葉に、神を畏れる姿勢が表れている。バト・シェバ事件の後、「剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう」(下12章10節)と預言者ナタンによって伝えられた神の言葉が、ダビデの心から消え去ることはなかった。神を後ろ盾に、息子と戦うことなどできなかった、そこに「神の御心に自分を委ねている」ダビデの姿が描かれている。
2.ダビデの悔い改め
・ダビデはエルサレムを追われて旅立つ。信頼していた将軍アヒトフェルさえダビデを裏切り、彼は泣きながらオリーブ山を越えていく。
−サムエル記下15:30-31「ダビデは頭を覆い、はだしでオリーブ山の坂道を泣きながら上って行った。同行した兵士たちも皆、それぞれ頭を覆い、泣きながら上って行った。アヒトフェルがアブサロムの陰謀に加わったという知らせを受けて、ダビデは、『主よ、アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください』と祈った」。
・ダビデは泣いた。アヒトフェルはバテシバの祖父だ。全ては彼がバテシバを欲してウリヤを殺したことから生じている。詩篇41編はその時にダビデが歌った。その歌を1000年後にダビデの子孫イエスもユダの裏切りを見て歌われた(ヨハネ13:18)。
−詩篇41:2-11「いかに幸いなことでしょう。弱い者に思いやりのある人は。災いのふりかかる時、主はその人を逃れさせてくださいます・・・私の信頼していた仲間、私のパンを食べる者が、威張って私を足げにします。主よ、どうか私を憐れみ、再び私を起き上がらせてください」。
・ダビデは王位を追われて、初めて神の前にへりくだる。15章25-26節はダビデの悔い改めの言葉だ。
―サムエル記下15:25-26「私が主の御心に適うのであれば、主は私を連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう。主が私を愛さないと言われる時は、どうかその良いと思われることを私に対してなさるように。」
・ダビデのすばらしさは、罪を犯さなかったことではなく、罪を犯しても悔い改めることが出来たことだ。同時に彼はやるべきことを行う。アヒトフェルに対抗するためにフシャイをエルサレムの王宮に送る。神の箱を後ろ盾に息子と戦うことは避けたダビデが、アブサロム側の情報を得るルートを残した。こうした聖書の伝承は迫真的で、後代の歴史家(申命記史家)がそれを叙事詩に組み込んでいる。信仰者にはこの二つ(鳩のような素直さと蛇のような賢さ=マタイ10:16)が必要だ。
―サムエル記下15:34-37「『お前は私のためにアヒトフェルの助言を覆すことができる。都には祭司ツァドクとアビアタルもいて、お前と共に行動する。王宮で耳にすることはすべて祭司のツァドクとアビアタルに伝えてほしい。また、そこには彼らの二人の息子も共にいる・・・耳にすることは何でもこの二人を通して私の元に伝えるようにしてくれ』。こうしてダビデの友フシャイは都に入った。アブサロムもエルサレムに入城した」。
・ダビデがバテシバを力づくで犯すことをしなければ、アムノンもタマルに対して、暴力的な性関係を強要しなかっただろう。ダビデがアムノンの罪をきちんと処罰すればアブサロムがアムノンを殺すことはなかったであろう。さらにダビデが罪を犯したアブサロムを赦せば、アブサロムが反乱を起こすこともなかった。まさに不倫や情欲は家族から平和を奪い取る悪である。
−ヤコブ1:14-15「人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」。