2019年2月21日祈祷会(サムエル記下1章、報復を神に委ねたダビデ)
1.サウルの死の知らせ
・サウルの死をもってサムエル記上は終わり、下巻に入る。しかし元々、サムエル記は一つの書で、後代に上下に分けられた。下巻はサウルの死をダビデが知るところから始まる。サウルから逃れてペリシテの地にいたダビデに、サウルと息子たちの戦死の知らせが届けられた。
−サムエル記下1:1-4「ダビデはアマレク人を討ってツィクラグに帰り、二日過ごした。三日目に、サウルの陣営から一人の男がたどりついた。衣服は裂け、頭に土をかぶっていた。男はダビデの前に出ると、地にひれ伏して礼をした。ダビデは尋ねた『どこから来たのだ』。『イスラエルの陣営から逃れて参りました』と彼は答えた。『状況はどうか。話してくれ』とダビデは彼に言った。彼は言った『兵士は戦場から逃げ去り、多くの兵士が倒れて死にました。サウル王と王子のヨナタンも亡くなられました』」。
・ダビデは知らせをもたらした若者にさらに詳細を語るように求める。若者は話す。
−サムエル記下1:6-10「私はたまたまギルボア山におりました。そのとき、サウル王は槍にもたれかかっておられましたが、戦車と騎兵が王に迫っていました。王は振り返って私を御覧になり、お呼びになりました。『はい』とお答えすると、『お前は何者だ』とお尋ねになり、『アマレクの者です』とお答えすると、『そばに来て、とどめを刺してくれ。痙攣が起こったが死にきれない』と言われました。そこでおそばに行って、とどめを刺しました。倒れてしまわれ、もはや生き延びることはできまいと思ったからです。頭にかぶっておられた王冠と腕につけておられた腕輪を取って、御主人様に持って参りました。これでございます」。
・若者の話は実際の話と異なる。傷を受けたサウルは自らを刀の上に身を投げて死んだ。男は戦場でサウルの遺体を見つけ、王冠と腕輪を盗み、報償目当てにダビデのところに来たのであろう。しかし、ダビデはうそを見抜き、この男を殺す。
−サムエル記下1:14-16「ダビデは彼に言った『主が油を注がれた方を、恐れもせず手にかけ、殺害するとは何事か』。ダビデは従者の一人を呼び、『近寄って、この者を討て』と命じた。従者は彼を打ち殺した」。
・サウルは自害して果てた。聖書の記す自害者はサウルとイスカリオテのユダの二人だ。人は誰も罪を、過ちを犯す。その過ちを悔いた者には命が開け、悔いぬ者には死がある。絶望の果てに神を見るかが運命を分ける。
―第二コリント7:10「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします」。
2.新しい時代の始まり
・サウル王の遺品を届けた男は、ダビデが宿敵サウルの死を喜ぶだろうと思った。しかし、ダビデはサウルの死を悲しんだ。
−サムエル記下1:11-12「ダビデは自分の衣をつかんで引き裂いた。共にいた者は皆それに倣った。彼らは、剣に倒れたサウルとその子ヨナタン、そして主の民とイスラエルの家を悼んで泣き、夕暮れまで断食した」。
・それにもかかわらず、サウルの死はダビデに新しい道を与えた。サウルが死なない限り、ダビデに王になる機会はなかった。しかし、彼は自らの手でサウルを殺すことをせず、神の審きを待った。
−サムエル記上24:11-13「今日、主が洞窟であなたを私の手に渡されたのを、あなた御自身の目で御覧になりました。そのとき、あなたを殺せと言う者もいましたが、あなたをかばって、『私の主人に手をかけることはしない。主が油を注がれた方だ』と言い聞かせました・・・主があなたと私の間を裁き、私のために主があなたに報復されますように。私は手を下しはしません」。
・こうしてダビデはユダの王となり、後には全イスラエルの王となって行く。
−サムエル記下2:3-7「ダビデは彼に従っていた兵をその家族と共に連れて上った。こうして彼らはヘブロンの町々に住んだ。ユダの人々はそこに来て、ダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした。ギレアドのヤベシュの人々がサウルを葬ったと知らされた時、ダビデはギレアドのヤベシュの人々に使者を送ってこう言わせた。『あなたがたが主に祝福されますように。あなたがたは主君サウルに忠実を尽くし、彼を葬りました。今、主があなたがたに慈しみとまことを尽くしてくださいますように。私も、そうしたあなたがたの働きに報いたいと思います。力を奮い起こし、勇敢な者となってください。あなたがたの主君サウルは亡くなられましたが、ユダの家はこの私に油を注いで自分たちの王としました』」。
3.ダビデの哀歌
・ダビデはサウルと息子ヨナタンを悼んで哀歌を歌う。サウルは王としてダビデの命を付け狙う存在だったが、ダビデはサウル王を、イスラエルを守る勇士として戦ったと賞賛する。王に対する恨みはここにはない。
−サムエル記下1:19-22「イスラエルよ、『麗しき者』は、お前の高い丘の上で刺し殺された。ああ、勇士らは倒れた・・・刺し殺した者たちの血、勇士らの脂をなめずには、ヨナタンの弓は決して退かず、サウルの剣がむなしく納められることもなかった」。
・ダビデは哀歌を続ける。二人は国のために勇敢に戦い、国のために死んで行った。特にヨナタンは父王サウルからダビデの命を守ってくれた恩人でもあった。
−サムエル記下1:23-27「サウルとヨナタン、愛され喜ばれた二人、鷲よりも速く、獅子よりも雄々しかった。命ある時も死に臨んでも、二人が離れることはなかった・・・ああ、勇士らは戦いのさなかに倒れた。ヨナタンはイスラエルの高い丘で刺し殺された。あなたを思ってわたしは悲しむ、兄弟ヨナタンよ、まことの喜び、女の愛にまさる驚くべきあなたの愛を。ああ、勇士らは倒れた。戦いの器は失われた」。
4.サムエル記下1章の黙想(自らの手で報復するな)
・「主が油を注がれた方を私は殺さない」、ダビデは主の導きを信じ続けた。自分が油を注がれたのであれば、やがて王になるであろうと彼は時を待った。主が支配されておられることを信じる者は、審きを主に委ね、自らの手で報復しない。そこにダビデのダビデたるゆえんがある。
−ローマ12:18-21「すべての人と平和に暮らしなさい。自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐は私のすること、私が報復すると主は言われる』と書いてあります。『あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる』。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」。
・2001年9月11日に無差別テロがアメリカを襲い、NY貿易センタービルが破壊され、2973人が殺された。アメリカ大統領G.ブッシュは「テロとの戦い」を宣言し、アメリカ国内では「仕返しと報復を立法化せよ」と要求する怒りの声が巻き起こり、町には星条旗があふれ、アメリカに忠誠を誓わない者はアメリカの敵だとの大統領声明が出された。その中で教会は、「国が自らの手で報復しない」ことを祈った。
−グランド・ゼロからの祈り「復讐を求める合唱の中で、『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい』と促されたイエスの御言葉に聞くことが出来ますように。キリストは全ての人のために贖いとして御自身を捧げられました。キリストはアフガニスタンの子供や女や男のために死なれました。神はアフガニスタンの人々が空爆で死ぬことを望んでおられません。国は間違っています。神様、為政者のこの悪を善に変えて下さい」(「グランド・ゼロからの祈り」、ジェームズ・マグロー)。
・しかし怒りにかられた者は自分の手で報復する。無差別テロにより3000人が殺されたアメリカは、報復でアフガン・イラクを攻めた。その結果、米軍死者は6000人を超え、アフガン・イラクに住む10万人以上の人々が戦争で亡くなった。また報復戦争の結果、アメリカは数十万人単位の戦争後遺症に悩む自国民を抱えた。同時にアメリカへの怒りからイスラム国が生まれ、多くの人が殺されていった。3千人の報復のために数十万人が死に、後遺障害に苦しんだ。人は愚かである。復讐は復讐する人を滅ぼすのだ。
・マルティン・ルーサー・キングは「汝の敵を愛せよ」という説教を1963年に行った。当時、キングはアトランタ・エベニーザ教会の牧師だったが、黒人差別撤廃運動の指導者として投獄され、教会に爆弾が投げ込まれ、子供たちがリンチにあったりしていた。その中で行われた説教だ。アフガン・イラク戦争の結末を考えた時、まさに「神の言葉」がここに語られていると思える。
−キング「汝の敵を愛せ」から「イエスは汝の敵を愛せよと言われたが、どのようにして私たちは敵を愛することが出来るようになるのか。イエスは敵を好きになれとは言われなかった。我々の子供たちを脅かし、我々の家に爆弾を投げてくるような人をどうして好きになることが出来よう。しかし、好きになれなくても私たちは敵を愛そう。何故ならば、敵を憎んでもそこには何の前進も生まれない。憎しみは憎しみを生むだけだ。また、憎しみは相手を傷つけると同時に憎む自分をも傷つけてしまう悪だ。自分たちのためにも憎しみを捨てよう。愛は贖罪の力を持つ。愛が敵を友に変えることの出来る唯一の力なのだ」