2019年12月19日祈祷会(列王記下3章、人身御供の禁止)

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1.イスラエル王ヨラムのモアブへの戦い

 

・列王記3章はエリシャの記事を中断して、戦いの記録を載せる。アハブ王は主の怒りにより、シリヤとの戦闘で死に、後継のアハズヤも不慮の事故で死ぬ。ヨラムが後を継ぐが、アハブ一族は呪いの中にあった。

-列王記上21:21「見よ、私はあなたに災いをくだし、あなたの子孫を除き去る。イスラエルにおいてアハブに属する男子を、つながれている者も解き放たれている者もすべて絶ち滅ぼす」。

・アハブ王を継いだヨラムについて、列王記は短く、「彼もまた先祖の罪を継承した」と記す。

-列王記下3:1-3「ユダの王ヨシャファトの治世第十八年に、アハブの子ヨラムがサマリアでイスラエルの王となり、十二年間王位にあった・・・彼は、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を自分も犯し続け、それを離れなかった」。

・モアブはアハブ王時代にはイスラエルの支配下にあったが、アハブの死後息子たちが王になると、モアブ王メシャは、独立を目指して反乱を起こした。

-列王記下3:4-5「モアブの王メシャは羊を飼育しており、十万匹の小羊と雄羊十万匹分の羊毛とを貢ぎ物としてイスラエルの王に納めていた。アハブが死ぬと、モアブの王はイスラエルの王に反旗を翻した」。

・イスラエル王ヨラムは反乱を鎮圧するため、ユダ王ヨシャファトと同盟を結び、モアブに出兵する。戦いには、ユダ王国の支配下にあったエドムも参加した。しかし、途中で時間をとり、モアブに到着する前に部隊の水がなくなり、イスラエル連合軍は窮地に陥る。

-列王記下3:9-10「イスラエルの王は、ユダの王およびエドムの王と共に出発したが、迂回するのに七日を費やし、部隊と連れて来た家畜のための水が底をついてしまった。イスラエルの王は『ああ、主はこの三人の王をモアブの手に渡すために呼び集められたのか』と言った」。

・窮地に陥ったイスラエル王は、預言者エリシャを通して神の助力を請う。エリシャは最初断るが、ユダ王ヨシャファトに敬意を表して預言する。

-列王記下3:13-14「エリシャはイスラエルの王に言った。『私はあなたとどんな関りがあるのですか。あなたの父の預言者たちや母の預言者たちのもとに行きなさい』。イスラエルの王は答えた『いいえ、モアブの手に渡そうとしてこの三人の王を呼び集められたのは主だからです』。エリシャは言った『私の仕えている万軍の主は生きておられる。私は、ユダの王ヨシャファトに敬意を抱いていなければ、あなたには目もくれず、まして会いもしなかった』」。

・エリシャは主に祈り、託宣を得た「主はモアブをあなたたちの手にお渡しになる」、イスラエル軍は聖戦としてこの戦いを戦った。

-列王記下3:15-19「主の御手がエリシャに臨み、彼は言った『主はこう言われる。この涸れ谷に次々と堀を造りなさい・・・風もなく、雨もないのに、この涸れ谷に水が溢れ、あなたたちは家畜や荷役の動物と共にそれを飲む・・・主はモアブをあなたたちの手にお渡しになる。あなたたちはすべての砦の町、すべてのえり抜きの町を打ち破り、すべての有用な木を倒し、すべての泉をふさぎ、すべての優れた耕地を石だらけの荒れ地とする』」。

 

2.イスラエルを敗退させる主

 

・預言通り、砂漠の地に水があふれ、イスラエル軍はそれを飲み、元気を回復し、モアブ軍を打ち破った。

-列王記下3:24-25「(モアブは)イスラエルの陣営に突入したが、イスラエルは立ち上がってモアブを迎え撃ち、モアブは敗走した。イスラエルは彼らに襲いかかり、モアブを討った。彼らは町を破壊し、すべての肥沃な耕地を皆がそれぞれ投げ込んだ石で満たし、すべての泉をふさぎ、すべての有用な木を切り倒した。残ったのは、キル・ハレセトの石だけであった。それも投石器を持つ者に囲まれ、攻撃された」。

・モアブの首都キル・ハレセトは包囲された。モアブ王は自分たちの神ケモシュに祈り、城壁の上で自分の長子を生贄として捧げた。その時、イスラエルに対して激しい怒りが起こり、イスラエル軍は撤退する。

-列王記下3:26-27「モアブの王は戦いが自分の力の及ばないものになってきたのを見て、剣を携えた兵七百人を引き連れ、エドムの王に向かって突進しようとしたが、果たせなかった。そこで彼は、自分に代わって王となるはずの長男を連れて来て、城壁の上で焼き尽くす生贄としてささげた。イスラエルに対して激しい怒りが起こり、イスラエルはそこを引き揚げて自分の国に帰った」。

・「イスラエルに対して激しい怒りが起こった」とは何かわからない。人身御供に対する怒りなのか、あるいはイスラエル軍に疫病が発生して軍が引き揚げたか、また北方で対峙するアラム軍が動き始めたのかもしれない。いずれにせよ、イスラエル軍は撤退し、戦いはモアブの勝利になった。モアブのメシャはこのことを碑文で誇っている。

-メシャ碑文「1868年発見され、モアブ王メシャがいかにイスラエルの王から独立を勝ち取ったかが記されている。現在はフランスのルーブル博物館に復元されたメシャ碑文と拓本とが展示されている。碑文は言う『しかし私は彼と彼の家を見下ろし、そしてイスラエルは敗北した。それは永久に敗北した』」

・預言にもかかわらず、イスラエルは負けた。宗教的にはイスラエルの神「ヤハウェ」が、モアブの神「ケモシュ」に破れたことを意味する。バビロン捕囚民は「自分たちの神がバビロンの神に負けたから自分たちは捕囚された」と文句を言った。第三イザヤはその民に「そうではない」と言葉を尽くした。

-イザヤ59:1-9「主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。むしろお前たちの悪が、神とお前たちとの間を隔て、お前たちの罪が神の御顔を隠させ、お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ・・・それゆえ、正義は私たちを遠く離れ、恵みの業は私たちに追いつかない。私たちは光を望んだが、見よ、闇に閉ざされ、輝きを望んだが、暗黒の中を歩いている」。

 

3.モアブ王が行った「初子を捧げる犠牲」をどう考えるか

 

・旧約聖書では繰り返し、占いや人の犠牲を行ってはならないと禁止されている。従ってモアブ王の行った「初子を捧げる犠牲」は許容できない行為だった。

-申命記18:10~12「あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。これらのことを行う者をすべて、主はいとわれる。これらのいとうべき行いのゆえに、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるであろう」。

・しかし、創世記22章にはアブラハムが子イサクを焼き尽くす捧げものとして捧げる場面がある。また出エジプト記22章28節に初子犠牲の記述が見られる。モロク祭儀の影響から初子犠牲の習慣が古代イスラエルにも紀元前8世紀前半まであったとされている。「イサク奉献」の一つの解釈は、神が「初子犠牲」を止めさせるために、アブラハムに犠牲を命じたとする。

-創世記22:9-12「神が命じられた場所に着くと、アブラハムは祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。アブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。 そのとき、天から主の御使いが、『アブラハム、アブラハム・・・その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者である・・・自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった』」。

・キリスト教はこの物語を「アブラハムの信仰」として語る。ヘブル11章はアブラハムを称賛する。

-ヘブル11:17-19 「信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。・・・アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいました」。

・しかし、ユダヤ教の伝承では、この物語は「イサクの犠牲」として語られる。イサクの側から見れば、物語は「アブラハムの奉献」ではなく、「イサクの縛り(アケダー(ヘブル語で縛る)」になって行く。アブラハムへの無条件の賞賛は一方的であろう。ユダヤ人はアウシュヴィッツまで続く2000年の「民族迫害」を、自らが「焼き尽くす捧げもの」(ラテン語ホロコースト)として神に捧げられたと歴史理解をするようになった。

・シリヤ支配時代に書かれたマカベア記もアブラハムを批判する。アンティオコス・エピファネス治世下に為されたユダヤ人迫害は,極限の苦悩のただ中で神に忠実なユダヤ人を物語る独特な作品をいくつも生んだ。旧約外典第二マカバイ記7章が語る母親は,自分の目の前で残酷な殉教の死を遂げていく7人の息子たちを励まし,最後に彼女自身も殺されながら、父祖アブラハムを批判する。

-「母親は泣きながら息子たちに言った「子供たちよ,悩んではいけない。なぜなら,あなたたちはこのために,この世で聖なる方の御名を聖別するために創造されたのだからです。さあ,父祖アブラハムのもとに行ってこう伝えなさい。「あなたは思い上がってはならない。あなたは祭壇を一つ造りましたが,私〔たちの母〕は7つ造り,その上で自分の7人の息子を献げました」。さらに,こう言いなさい,「あなたの献供はただの試練でしたが,私の場合は事実起きた献供なのです」(ラビの解釈集ミドラシュから)。

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