2019年10月10日祈祷会(列王記上17章、本当の養い主はだれか)

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1.預言者エリヤの召命と養い

・イスラエル王アハブはサマリア王国にバアル礼拝を持ち込み、主を怒らせた。

-列王記上16:29-33「オムリの子アハブがイスラエルの王となったのは、ユダの王アサの治世第三十八年であった。オムリの子アハブは、サマリアで二十二年間イスラエルを治めた。オムリの子アハブは彼以前のだれよりも主の目に悪とされることを行った。彼はネバトの子ヤロブアムの罪を繰り返すだけでは満足せず、シドン人の王エトバアルの娘イゼベルを妻に迎え、進んでバアルに仕え、これにひれ伏した。サマリアにさえバアルの神殿を建て、その中にバアルの祭壇を築いた。アハブはまたアシェラ像を造り、それまでのイスラエルのどの王にもまして、イスラエルの神、主の怒りを招くことを行った」。

・主は背信の王を懲らしめるために旱魃をもたらせることを決意され、預言者としてエリヤが立てられる。彼はヨルダン川東岸ギレアド出身の預言者だが、アハブの悪政を戒めるために、北王国の首都サマリアまで行き、王に主の言葉を伝える。バアルは太陽と雨を司るとされた農業神だ。イスラエルの人々はパレスチナ入植と共に、豊穣の神バアルに惹かれていく。イスラエルに旱魃が与えられたのは、バアルがこの世を支配するのではないことが明らかになるためである。

-列王記上17:1「ギレアドの住民である、ティシュベ人エリヤはアハブに言った『私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私が告げるまで、数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう』」。

・アハブ王は怒り、エリヤを捕らえようとするが、エリヤは主によってヨルダン川の東に移される。主は彼を烏で養われた。へブル語の烏=クリビームは別の読み方ではアラビーム=アラブ人と通じる。おそらくは故郷のアラブ人(遊牧民たち)がエリヤをかくまった。しかし、干ばつが進み、そこでも川の水が枯渇してしまい、エリヤは別の地に移れと命じられる。

-列王記上17:2-6「主の言葉がエリヤに臨んだ。『ここを去り、東に向かい、ヨルダンの東にあるケリトの川のほとりに身を隠せ。その川の水を飲むがよい。私は烏に命じて、そこであなたを養わせる』。エリヤは主が言われたように直ちに行動し、ヨルダンの東にあるケリトの川のほとりに行き、そこに留まった。数羽の烏が彼に、朝パンと肉を、また夕べにもパンと肉を運んで来た。水はその川から飲んだ。しばらくたって、その川も涸れてしまった。雨がこの地方に降らなかったからである」。

・次にエリヤが命じられたのは、フェニキアの町、シドンであった。王妃イゼベルの出身地、バアル信仰の最も盛んな地、敵地の真ん中に行って生きよとエリヤは命じられる。

-列王記上17:8-9「また主の言葉がエリヤに臨んだ。『立ってシドンのサレプタに行き、そこに住め。私は一人のやもめに命じて、そこであなたを養わせる』」。

・最初は烏が、次にはやもめが養い手として与えられる。

-列王記上17:10-11「彼は立ってサレプタに行った。町の入り口まで来ると、一人のやもめが薪を拾っていた。エリヤはやもめに声をかけ『器に少々水を持って来て、私に飲ませてください』と言った。彼女が取りに行こうとすると、エリヤは声をかけ『パンも一切れ、手に持って来てください』と言った」。

・旱魃による飢饉はシリヤ地方にも及び、やもめは家の食糧備蓄が底を尽き、死を覚悟していた。そのやもめに養われよと主はお命じになった。主の養いは不思議である。

-列王記上17:12「彼女は答えた『あなたの神、主は生きておられます。私には焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけです。私は二本の薪を拾って帰り、私と私の息子の食べ物を作るところです。私たちは、それを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです』」。

 

2.主は約束を守られる

 

・エリヤはやもめに「恐れるな」と言った。主なる神は約束を守られる方だからだ。

-列王記上17:13-14「エリヤは言った『恐れてはならない。帰って、あなたの言った通りにしなさい。だが、まずそれで私のために小さいパン菓子を作って、私に持って来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。主が地の面に雨を降らせる日まで、壺の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない』」。

・やもめはエリヤの言葉を信じた。実際に壺の粉は尽きることなく、瓶の油はなくなることは無かった。どのようにして必要が満たされたのか、私たちにはわからないが、何らかの事実が基底にあって伝説化されたのであろう。

-列王記上17:15-16「彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事欠かなかった。主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった」。

・エリヤに新しい試練が与えられる。やもめの息子が病気で死んだ。

-列王記上17:17-18「その後、この家の女主人である彼女の息子が病気にかかった。病状は非常に重く、ついに息を引き取った。彼女はエリヤに言った。『神の人よ、あなたは私にどんなかかわりがあるのでしょうか。あなたは私に罪を思い起こさせ、息子を死なせるために来られたのですか』」。

・エリヤは主に祈り、その子を死からよみがえらせる。

-列王記上17:19-24「エリヤは、『あなたの息子をよこしなさい』と言って、彼女のふところから息子を受け取り、自分のいる階上の部屋に抱いて行って寝台に寝かせた。彼は主に向かって祈った。『主よ、わが神よ、あなたは、私が身を寄せているこのやもめにさえ災いをもたらし、その息子の命をお取りになるのですか』。主は、エリヤの声に耳を傾け、その子の命を元にお返しになった。子供は生き返った。エリヤは、その子を連れて家の階上の部屋から降りて来て、母親に渡した・・・女はエリヤに言った『今私は分かりました。あなたはまことに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です』」。

・これからエリヤはアハブ王と対決しなければならない。その時に恐れることがないように、3年間の主の守り、訓練の時が与えられた。エリヤはアハブ王との対決を行うためにサマリアへ行く。

-列王記上18:1-2「多くの日を重ねて三年目のこと、主の言葉がエリヤに臨んだ『行って、アハブの前に姿を現せ。私はこの地の面に雨を降らせる』。エリヤはアハブの前に姿を現すために出かけた。サマリアはひどい飢饉に襲われていた」。

・イエスご自身が、「預言者は故郷では敬われない」として、この物語に言及されている。故郷の人々はイエスを拒否した。人の耳に厳しい言葉は迫害を招く。しかし教会が語るべきは真実の言葉だ。

-ルカ4:25-26「エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた」。

 

3.列王記上17章の黙想

 

・神はエリヤを生かすために、何故「烏とやもめ」を用いられたのだろうか。烏は聖書では忌み嫌われた鳥であり、やもめは貧しい者の代表だ。おそらくは、力のない者に養われることを通して、エリヤを真の預言者とするためであった。預言者は神の言葉の伝達者ではなく、神の言葉を生きる者だ。「主は生きておられる」(17:1)、その信仰は経験から生まれる。御言葉を生きるためには、烏に養われ、やもめに養われるという、ある意味で人間の知恵を超える体験をして、自分の力ではなく、神によって生かされている事を知る必要があった。

・烏ややもめが人を養いうるのか。私自身の体験から見て、ありうる事柄だと思う。私は50歳の時に会社を辞めたが、その時息子は大学3年生、娘は高校2年生だった。退職して神学校に入ったが、それまでの蓄えを消費しながらの生活だった。いつまでお金が持つのだろうか、このままで息子や娘を養っていくことが出来るのだろうか、そういう不安の中で、神学の学びを続けた。卒業後、教会に招かれたが、当時は十分な牧師給を出せない状態だった。神が養って下さると信じながらも、大丈夫だろうかとの不安は消えなかった。荒野に導きだされた民は、水が与えられるとパンがないとつぶやき、パンが与えられると肉がないと叫んだ(詩編78:17-20)。それと同じ状況だった。

・それから18年の時が流れた。この18年間を振り返ってみると、「主は養って下さった」と思う。牧師給与は少しずつ増やしていただき、また神学校事務長の職が与えられ、給与の不足を補ってくれるようになった。牧師就任時には思ってもみなかった展開だ。「主は生きておられる」、それは私も経験した出来事だ。神は烏ややもめを用いてさえ人を養って下さる、列王記17章の記事は、信仰とは「思い煩いから解放される」ことを教える。イエスは言われた「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである」(マタイ6:31-32)。それを体験することによって人は信仰者に変えられていく。

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