1.偶像礼拝と鞭としてのミディアン人の侵略
・士師記6−9章はギデオンの物語である。士師記の著書はイスラエルの罪のゆえに外敵が侵入したと繰り返す。外敵が神の鞭であり、国難は罪に対する裁きである。砂漠の民であるミディアン人は収穫期になると、他の部族と共にらくだの大部隊で襲い掛かり、全ての収穫を持ち去り、人々は平地には住めないほどの略奪を受けた。
−士師記6:1-3「イスラエルの人々は、主の目に悪とされることを行った。主は彼らを七年間、ミディアン人の手に渡された。ミディアン人の手がイスラエルに脅威となったので、イスラエルの人々は彼らを避けるために山の洞窟や、洞穴、要塞を利用した。イスラエルが種を蒔くと、決まってミディアン人は、アマレク人や東方の諸民族と共に上って来て攻めたてた。」
・カナンの土着神バアルは雷や雨を支配し、豊かな収穫を与えると信じられていた。配偶神アシュタロテは豊穰の女神である。農耕生活に移った民は、天からの恵みを与える豊穣の神々を拝んだ。
−士師記2:12-13「彼らは自分たちをエジプトの地から導き出した先祖の神、主を捨て、他の神々、周囲の国の神々に従い、これにひれ伏して、主を怒らせた。彼らは主を捨て、バアルとアシュトレトに仕えた」。
・偶像崇拝は先住民との婚姻を通してイスラエルの中に入ってきた(士師記3:5-6参照)。主を裏切った民に対する措置は、敵の手に民を放置することだった。
−士師記2:14-15「主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らを略奪者の手に任せて、略奪されるがままにし、周りの敵の手に売り渡された。彼らはもはや、敵に立ち向かうことができなかった。出陣するごとに、主が告げて彼らに誓われた通り、主の御手が彼らに立ち向かい、災いをくだされた。彼らは苦境に立たされた」。
・ギデオン時代に与えられた災いは、「砂漠の民ミディアン人の侵略」であった。イスラエルの人々は主に助けを求めて祈った。
−士師記6:4-6「彼らはイスラエルの人々に対して陣を敷き、この地の産物をガザに至るまで荒らし、命の糧となるものは羊も牛もろばも何も残さなかった。彼らは家畜と共に、天幕を携えて上って来たが、それはいなごの大群のようで、人もらくだも数知れなかった。彼らは来て、この地を荒らしまわった。イスラエルは、ミディアン人のために甚だしく衰えたので、イスラエルの人々は主に助けを求めて叫んだ。」
・主は救いを求めるイスラエルに預言者を遣わされた。災いの原因はミディアン人にあるのではなく、イスラエルにあることを知るように、である。
−士師記6:7-10「イスラエルの人々がミディアン人のことで主に助けを求めて叫ぶと、主は一人の預言者をイスラエルの人々に遣わされた。『私は・・・その地をあなたたちに与えた。私があなたたちの神、主であり・・・アモリ人の神を畏れ敬ってはならない、と私は告げておいた。だがあなたたちは、私の声に聞き従わなかった。』」
2.ギデオンの召命
・ギデオンが召命を受けたのは、彼がミディアン人を恐れて、隠れて小麦を打っていた時だった。彼は召命を受けても、主の言葉を信じない。臆病な、不信仰の人間が士師として立てられた。
−士師記6:11-13「ギデオンは、ミディアン人に奪われるのを免れるため、酒ぶねの中で小麦を打っていた。主の御使いは彼に現れて言った『勇者よ、主はあなたと共におられます』。ギデオンは彼に言った。『私の主よ、お願いします。主なる神が私たちと共においでになるのでしたら、何故このようなことが私たちに降りかかったのですか・・・今、主は私たちを見放し、ミディアン人の手に渡してしまわれました』」。
・主はギデオンを士師として立てると語られたが、ギデオンは信じない。
−士師記6:14-15「主は彼の方を向いて言われた。『あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。私があなたを遣わすのではないか。』彼は言った。『私の主よ、お願いします。しかし、どうすればイスラエルを救うことができましょう。私の一族はマナセの中でも最も貧弱なものです。それに私は家族の中でいちばん年下の者です。」
・ギデオンは主の召しを信じない。彼は繰り返し、しるしを求める。
−士師記6:16-18「主は彼に言われた。『私があなたと共にいるから、あなたはミディアン人をあたかも一人の人を倒すように打ち倒すことができる。』彼は言った。『もし御目にかないますなら、あなたが私にお告げになるのだというしるしを見せてください。どうか、私が戻って来るまでここを離れないでください。供え物を持って来て、御前におささげしますから。』主は、『あなたが帰って来るまでここにいる』と言われた。」
・主はギデオンにしるしを与えられ、それを見て、ギデオンは初めて自己の召命を信じた。
−士師記6:21-22「主の御使いは手にしていた杖の先を差し伸べ、肉とパンに触れた。すると、岩から火が燃え上がり、肉とパンを焼き尽くした。主の御使いは消えていた。ギデオンはこの方が主の御使いであることを悟った」。
・ギデオンはそこに主のための祭壇を築いた。ギデオンは召命を受け入れ、主に従うことを決心した。
−士師記6:24「ギデオンはそこに主のための祭壇を築き、『平和の主(アドナイ・シャロム)』と名付けた。それは今日もなお、アビエゼルのオフラにあってそう呼ばれている。」
3.偶像の破壊とギデオン軍の結成
・ギデオンの最初の仕事は、町のバアル神の祭壇を壊すことだった。しかしまだ、人の目を恐れながら行う臆病者ではあった。
−士師記6:25-27「その夜、主はギデオンに言われた『あなたの父のものであるバアルの祭壇を壊し、その傍らのアシェラ像を切り倒せ』。ギデオンは召し使いの中から十人を選び、主がお命じになった通りにした。だが、父の家族と町の人々を恐れて日中を避け、夜中にこれを行った」。
・偶像が破壊されたことを知った町の人々は、ギデオンを殺そうとする。人々は苦難の中で主を求め、主は預言者を通して、偶像崇拝こそ苦難の原因と示された。しかし偶像が壊されると人々はその犯人を殺そうとする。
−士師記6:30「町の人々はヨアシュに言った『息子を出せ。息子は殺さねばならない。バアルの祭壇を壊し、傍らのアシェラ像も切り倒した』」。
・ギデオンの父は祭司だった。彼は息子を弁護する「バアルが神であれば自分で報復すれば良い」。偶像崇拝の神は何も出来なかった。偶像であるからだ。
−士師記6:31-32「「あなたたちはバアルをかばって争うのか、バアルを救おうとでもいうのか。バアルをかばって争う者は朝とならぬうちに殺される。もしバアルが神なら、自分の祭壇が壊されたのだから自分で争うだろう。」
・ギデオンはバアル神の聖所を汚したが、何の罰も受けない。人はそれを見て、偶像神が無力であることを知り、これを契機に、出身のマナセ族だけでなく、他の部族も加わり、ミディアン人と対峙する軍が生まれた。
−士師記6:34-35「主の霊がギデオンを覆った。ギデオンが角笛を吹くと、アビエゼルは彼に従って集まって来た。彼がマナセの隅々にまで使者を送ると、そこの人々もまた彼に従って集まって来た。アシェル、ゼブルン、ナフタリにも使者を遣わすと、彼らも上って来て合流した」。
・それでもギデオンは、さらなるしるしを求め、主はそれを与えられた。このしるしを見て、ギデオンは信じる者とさせられていく。
−士師記6:36-37「ギデオンは神にこう言った。『もしお告げになったように、私の手によってイスラエルを救おうとなさっているなら、羊一匹分の毛を麦打ち場に置きますから、その羊の毛にだけ露を置き、土は全く乾いているようにしてください。そうすれば、お告げになったように、私の手によってイスラエルを救おうとなさっていることが納得できます。』すると、そのようになった・・・ギデオンはまた神に言った。『どうかお怒りにならず、もう一度言わせてください。もう一度だけ羊の毛で試すのを許し、羊の毛だけが乾いていて、土には一面露が置かれているようにしてください。』その夜、神はそのようにされた。羊の毛だけは乾いており、土には一面露が置かれていた。」
・玉川キリスト教会・福井誠牧師は、この物語は不信の私たちの物語だと語る。
−聖書通読一日一生から「五番目の士師ギデオンは、敵の攻撃を避けて、酒ぶねの中でこっそり麦を打つ臆病者であった。「勇士よ」と呼ばれるに値しない存在である。ギデオンの言葉は、私たちの率直な気持ちを代弁する。『主よ。もし主が私たちといっしょにおられるなら、なぜこれらのことがみな、私たちに起こったのでしょうか。』私たちの心もそうつぶやく。イエスの十字架も復活も高挙も、私たちの新しい人生には何の効果も現わさない、と。神が共におられるなら、なぜ自分たちは、このようにあまりにも惨めな状況に置かれ続けているのか、そんなのは嘘っぱちではないか、だから自分は、希望もなく、酒ぶねに『閉じこもって』生きる以外にないのだ・・・そんなギデオンに語られた神のことばに注目しよう。『あなたのその力で行き、イスラエルをミディアン人の手から救え。私があなたを遣わす』今あるあなたのその力で行き、自分が無であると思うなら、無のままで出て行けということであろう。自分が弱いと思うのならば、弱さのままに出て行けと言う。なぜなら力を与え、勝利をもたらされるのは主だからだ、というわけである。」
・神はギデオンに繰り返ししるしを与えられた。そのしるしに励まされて、ギデオンは立ち上がる。ギデオンの物語は「信じられない時には、しるしを求めても良い」ことに気づかせる。
−マルコ9:22-24「『霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、私どもを憐れんでお助けください。』イエスは言われた。『できればと言うか。信じる者には何でもできる。』その子の父親はすぐに叫んだ。『信じます。信仰のない私をお助けください。』」