1.祝福と呪い
・ヨシュアは年老い、死の時を迎え、イスラエル全部族の長老たちに告別の言葉を語る。
−ヨシュア記23:1-2「主が周囲のすべての敵を退け、イスラエルに安住の地を与えてから長い年月が流れ、ヨシュアは多くの日を重ね、老人となった。ヨシュアは、長老、長、裁判人、役人を含む全イスラエルを呼び寄せて、言った。『私は年を重ね、老人となった。』」
・ヨシュアは「約束の地は、主が自ら戦いとられ、あなたたちに与えられた」と説く。それゆえ、「未征服の土地もまた与えられるであろう」と。
―ヨシュア記23:3-5「あなたたちの神、主があなたたちのために、これらすべての国々に行われたことを、ことごとく、あなたたちは見てきた。あなたたちの神、主は御自らあなたたちのために戦って下さった。見よ、私はヨルダン川から、太陽の沈む大海に至る全域、未征服の国々も、既に征服した国々もことごとく、くじによってあなたたち各部族の嗣業の土地として分け与えた。主は、御自ら彼らをあなたたちのために押しのけ、あなたたちのために追い出される。主の約束された通り、あなたたちは彼らの土地を占領するであろう」。
・それはあなたたちが「主に従う」と約束したからだ。その約束をたがえて、あなたたちが異教の民と交わり、婚姻を結ぶなら、主は契約を破棄される。土地の保有はあなたたちの従順にかかっている。
―ヨシュア記23:6-8「右にも左にもそれることなく、モーセの教えの書に書かれていることをことごとく忠実に守りなさい。あなたたちのうちに今なお残っているこれらの国民と交わり、その神々の名を唱えたり、誓ったりしてはならない。それらにひれ伏し拝んではならない。今日までしてきたように、ただあなたたちの神、主を固く信頼せよ」。
・ヨシュアの最大の懸念は、残された民が異教の民と交わる、すなわち宗教的混交であり、それは主に対する姦淫であるとヨシュアは語る。もしあなたたちが異郷の民と交われば、あなたたちは偶像の神を拝むようになるだろう。知れ、そのとき、主はあなたと共にはおられない。
―ヨシュア記23:9-13「主が強大な国々をあなたたちのために追い払ってくださったから、あなたたちの行く手に立ちはだかる者は、今日まで一人もなかった。あなたたちは一人で千人を追い払える。あなたたちの神、主が約束されたとおり御自らあなたたちのために戦ってくださるからである。だから、あなたたちも心を込めて、あなたたちの神、主を愛しなさい。もしあなたたちが背いて離れ去り、あなたたちのうちに残っているこれらの国民となれ親しんで、婚姻関係を結び、向こうに行ったり、こちらに迎えたりするなら、あなたたちの神、主がもはや、これらの国民を追い払われないことを覚悟しなさい。彼らはあなたたちの罠となり、落とし穴となり、脇腹を打つ鞭、目に突き刺さるとげとなり、あなたたちは、あなたたちの神、主が与えられたこの良い土地から滅びうせる」。
・死を前にしたヨシュアの最後の言葉はイスラエルの長老や司たちを前に語られる。編集者(申命記記者)はその子孫、約束の地から追われ異国に捕囚となっている民だ。「主は何故、約束の地から私たちを追放されたのか」を、彼らはヨシュアを通して同時に聞く。
―ヨシュア記23:16「もし、あなたたちの神、主が命じられた契約を破り、他の神々に従い、仕え、これにひれ伏すなら、主の怒りが燃え上がり、あなたたちは与えられた良い土地から、速やかに滅び去る。」
2.豊かな土地の与えるもの=原罪
・荒野で信仰の鍛錬を受けた者も、豊かな地に入れば堕落する。ヨシュアもそれを知っていた。
―ヨシュア記23:14-15「あなたたちは心を尽くし、魂を尽くしてわきまえ知らねばならない。主があなたたちに約束されたすべての良いことは、何一つたがうことはなかった。何一つたがうことなく、全てあなたたちに実現した。あなたたちの神、主が約束された良いことが全て、あなたたちに実現したように、主はまた、あらゆる災いをあなたたちに下して、主があなたたちに与えられたこの良い土地からあなたたちを滅ぼされる」。
・主が民に下さった地は良い地だった。そこは蜜の流れる地、果物が豊かに実を結ぶ地であった。
−申命記8:7-10「あなたの神、主はあなたを良い土地に導き入れようとしておられる。それは、平野にも山にも川が流れ、泉が湧き、地下水が溢れる土地、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろが実る土地、オリーブの木と蜜のある土地である。不自由なくパンを食べることができ、何一つ欠けることのない土地であり、石は鉄を含み、山からは銅が採れる土地である。あなたは食べて満足し、良い土地を与えてくださったことを思って、あなたの神、主をたたえなさい。
・しかし、人は豊かな地に入り、豊かになれば偶像を拝む存在だ。偶像とは、自分の意のままになる神だ。病を癒し、災いから守り、幸いを与えてくれる神だ。荒野では人は偶像を拝まない、主なしには生存できないからだ。しかし、豊かになれば偶像に惹かれる。ここに人間の原罪がある。
―申命記31:16-21「主はモーセに言われた『あなたは間もなく先祖と共に眠る。するとこの民は直ちに、入って行く土地で、その中の外国の神々を求めて姦淫を行い、私を捨てて、私が民と結んだ契約を破るであろう・・・私がその先祖に誓った乳と蜜の流れる土地に彼を導き入れる時、彼は食べて満ち足り、肥え太り、他の神々に向かい、これに仕え、私を侮って私の契約を破るであろう』」。
3.人は失くした時、神の恵みがわかる
・失くして見ないと人は神の恵みがわからない。だから主はイスラエルに国の滅亡と捕囚という罰を与えられた。捕囚期の預言者エレミヤは語る「人は罪を犯して主に鞭打たれる。しかし、それは滅びではない。平和と希望の計画である。あなたたちが悔い改めれば主は赦して下さる」と。
―エレミヤ29:10-14「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、私はあなたたちを顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちが私を呼び、来て私に祈り求めるなら、私は聞く。私を尋ね求めるならば見いだし、心を尽くして私を求めるなら、私に出会うであろう、と主は言われる。私は捕囚の民を帰らせる。私はあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。」。
・聖書には「滅び」はない。あるのは「罪の償い」だけだ。罪の償いを果たした者は、新しく生まれて主のもとに帰ることが出来る。
―イザヤ40:1-2「慰めよ、私の民を慰めよとあなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ彼女に呼びかけよ。苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた、と」。
・井村一清兄は1947年に生まれ医者になるが、1979年32歳の若さで悪性腫瘍のために亡くなる。彼は亡くなる前に手記を著し(「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」)、その中に「あたりまえ」という詩がある。
−井村和清・あたりまえから「こんなすばらしいことを、みんなはなぜ喜ばないのでしょう。あたりまえであることを。お父さんがいる、お母さんがいる。手が二本あって、足が二本ある。行きたいところへ、自分で歩いてゆける。手をのばせば、なんでもとれる。音がきこえて、声がでる。こんな幸せはあるでしょうか。食事がたべられる、夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝がくる。空気を胸いっぱいにすえる、笑える、泣ける、叫ぶこともできる。走りまわれる。みんなあたりまえのこと。こんなすばらしいことを、みんなは決して喜ばない。そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ。なぜでしょう、あたりまえ」。