1.戦うことをためらう部族への叱責
・12部族のうち、ルベン・ガド・マナセはすでにヨルダン川東岸の割り当てを受け、ユダとエフライムも土地の配分を受けた。しかし他の7部族はまだ配分を受けていなかった。ヨシュアは全部族をシロに集めた。
−ヨシュア記18:1-2「イスラエルの人々の共同体全体はシロに集まり、臨在の幕屋を立てた。この地方は彼らに征服されていたが、イスラエルの人々の中にはまだ嗣業の土地の割り当てを受けていない部族が七つ残っていた」。
・全パレスチナは既に嗣業の地としてイスラエルに与えられていたが、ほとんどは未占領地であり、これから戦いとるべき地であった。7部族は戦うことをためらっていた。ヨシュアは彼らを叱責する。
−ヨシュア記18:3「ヨシュアはイスラエルの人々に言った。『あなたたちは、いつまでためらっているのだ。あなたたちの先祖の神、主が既に与えられた土地を取りに行くだけなのだ』」。
・この個所は、原文では「あなた方はいつまで弛んで、緩んでいくのか」とある。土地を戦い取ることは血と汗を流すことだ。エフライムが土地を与えられるとは、山林を切り開き、平地の戦車を持つカナン人と戦うことだ(17:15-16)。7部族にはその覚悟がなかった。彼らは困難が予想されるから、あえて土地配分を要求しなかった。
−伝道の書11:4「風向きを気にすれば種は蒔けない。雲行きを気にすれば刈り入れはできない」。
・ヨシュアは彼らに配分されるべき土地を見に行くように命じる。そして「何故見もしないでためらうのか」と彼らを激励する。
−ヨシュア記18:4-6「各部族から三人ずつ出しなさい。私は彼らを派遣し、この地方を巡回させ、嗣業の土地の記録を作り、戻って来てもらおう。そして、彼らにそれを七つに分割させよう・・・土地を七つに分割したら、その記録を私のところに持って来なさい。私たちの神、主の前で、私はあなたたちのためにくじを引く」。
・ヨシュアの励ましで彼らは行動を起こす。彼らは土地を測量し、ヨシュアはそれに基づき、土地の配分のためのくじ引きを行った。
−ヨシュア記18:8-10「土地の記録を作るため出発する者たちにヨシュアが、『土地を巡回し、記録を作り、戻って来なさい。このシロで、主の前に私はあなたたちのためにくじを引こう』と命じ終わると、その人たちは出発し、その地方を巡回し、町々を七つの割り当て地に分けて、記録に書き留め、シロの宿営にいるヨシュアのもとに帰った。ヨシュアは、主の前で彼らのためにくじを引き、イスラエルの人々に決められた割り当てに従って土地を分配した」。
2.ためらう者を励ますヨシュア
・このようにして、7部族へ土地が配分された。ベニヤミンにはユダとエフライムの中間の地が、シメオンにはユダ南部の地が、ゼブルン、イサカル、アシエル、ナフタリ、ダンにはガリラヤの地が、それぞれに配分された。
−ヨシュア記19:51「以上は、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュアおよびイスラエル諸部族の家長たちが、シロの臨在の幕屋の入り口で、主の前においてくじを引き、受け継いだ嗣業の土地である。土地の割り当ては、こうして終わった」。
・この物語は、私たちに、教会をどのようにして形成していけばよいかを考えさせる。全ての教会形成の基本は開拓伝道だ。自分で汗を流し、開拓しない限り、土地は与えられない。ヨシュアがエフライムに言った通りだ。
−ヨシュア記17:18「山地は森林だが、開拓してことごとく自分のものにするがよい。カナン人は鉄の戦車を持っていて、強いかもしれないが、きっと追い出すことができよう」。
・その時、ためらう人もいよう。カナン人と戦っても勝てるとは思えない、山地を開拓するには自分は年を取りすぎている、と。その時、私たちはカレブの言葉に注目すべきだ。
−ヨシュア記14:10-12「今日私は八十五歳ですが、今なお健やかです。モーセの使いをしたあのころも今も変わりなく、戦争でも、日常の務めでもする力があります。どうか主があの時約束してくださったこの山地を私に下さい。あの時、あなたも聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々がありますが、主が私と共にいてくださるなら、約束どおり、彼らを追い払えます」。
・私たちはこの地にいる「主の民」を探すために、教会を立てた。この地には主の民がいて、私たちに見出されることを待っているのだ。
−使徒16:9-10「その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、私たちを助けてください』と言ってパウロに願った。パウロがこの幻を見たとき、私たちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神が私たちを召されているのだと、確信するに至ったからである。」
・私たちの教会の土地はアメリカ・南部バプテスト連盟からいただき、私たちはそこに素晴らしい会堂を立てた。しかし借入金返済負担の重さに心を乱している。私たちも雄々しく立ち上がる必要がある。
−ヘブル12:4-7「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません・・・『わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。」。
・もう一度主の言葉に耳を傾けよう。
−ヨシュア記13:1「ヨシュアが多くの日を重ねて老人となったとき、主は彼にこう言われた。『あなたは年を重ねて、老人となったが、占領すべき土地はまだたくさん残っている』」。
3.嗣業の地
・聖書では相続の地を「嗣業の地」と呼ぶ。ヘブル語ナハラーは「受け継ぐ,相続する」 を意味する。 父の遺産は子に受け継がれる。旧約聖書の重要な概念の一つとして、カナンの地は神がイスラエルに与えると定めた相続地であることが強調される。この思想は詩篇にも浸透している。この地に異教徒の存在は許されないし、またこの地を罪で汚してはならない。不信仰を続けると,相続地は取り上げられると言われている。この相続地は,人数に応じて,くじで12部族に分配され、さらに個人に委託された。それぞれ分配された者は,その相続地の確保に努める必要があった。
−ヨシュア記24:11-15「あなたたちがヨルダン川を渡り、エリコに達した時、エリコの人々をはじめ、アモリ人、ペリジ人、カナン人、ヘト人、ギルガシ人、ヒビ人、エブス人があなたたちに戦いを挑んだが、私は彼らをあなたたちの手に渡した・・・私は更に、あなたたちが自分で労せずして得た土地、自分で建てたのではない町を与えた。あなたたちはそこに住み、自分で植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑の果実を食べている。』あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい・・・私と私の家は主に仕えます。」
・私たちの嗣業は子どもたちだ。子どもたちに信仰を伝えたいと心から願う。上尾キリスト教会の秋山牧師は語る。
−「信仰者は子供に何を遺したいと考えるか。内村鑑三は『後世への最大遺物』の中で、事業や財産を遺すことではなく、信仰を遺すこと(継承)こそ、勇ましく高尚な生涯を送ることだと語る。事業や財産は地上に宝を積むことにすぎないが、信仰は天に宝を積むことになり、永遠の命に至るからである。しかし、信仰を遺すことは、財産を遺すように簡単にはいかない。信仰の継承で苦闘している親の何と多いことか。」
−「信仰を継承するためには、先ず「祈り」から始めることである。アウグスティヌスの母モニカは生ける神を見失って、放浪生活をしていた息子のために、「涙の子は亡びない」と毎日文字通り熱心に彼の名前を挙げてその救いを祈った・・・次に、信仰の継承のために、「主との出会いの機会」を一度でも多く作ることである。受浸される方の中に、「クリスチャンの母に連れられて礼拝に行ったことがあります」「子供の頃、教会学校へ行っていました」「ミッション・スクールに行っていました」という方が何と多いことか。すでに、幼少時代に主との出会いがあり、福音の種が撒かれていたのである。子供が、教会に行ったという経験は、いつか必ず実を結ぶことになる。
−「信仰は両親や兄弟姉妹、先輩から自分に委ねられたものである。その信仰のバトンを、今度は自分の子供や孫や全ての人に手渡す責任がある。もし、私たちがこの責任を果たさなければ、その結果、ひどい損害をこうむるのは子供たちであり、次の世代の人々である。本日の「母の日」、お母さんへプレゼントをしたいと願っている子供も多いだろう。そんな子供に向かって、『最高のプレゼントは、あなたが信仰をもって生きてくれることよ』と、ためらわずに勧めてみてはいかがだろうか。」(「母の日の最高のプレゼント」(上尾キリスト教会・週報巻頭言から2008年5月から)