1.ヤコブの埋葬
・ヤコブは死に臨んで、約束の地にある父祖の墓に葬って欲しい旨を伝え、ヨセフはこれを承諾した。
―創世記49:29-33「ヤコブは息子たちに命じた。『間もなく私は、先祖の列に加えられる。私をヘト人エフロンの畑にある洞穴に、先祖たちと共に葬ってほしい。それはカナン地方のマムレの前のマクペラの畑にある洞穴で、アブラハムがヘト人エフロンから買い取り、墓地として所有するようになった。そこに、アブラハムと妻サラが葬られている。そこに、イサクと妻リベカも葬られている。そこに、私もレアを葬った・・・』。ヤコブは、息子たちに命じ終えると、寝床の上に足をそろえ、息を引き取り、先祖の列に加えられた。」
・ヨセフは父を葬るためにカナンに戻ることをエジプト王に願い、許可された。
―創世記50:10-12「一行はヨルダン川の東側にあるゴレン・アタドに着き、そこで非常に荘厳な葬儀を行った。父の追悼の儀式は七日間にわたって行われた・・・それは、ヨルダン川の東側にある。それから、ヤコブの息子たちは父に命じられたとおりに行った。」
2.ヤコブの死と兄弟たちの不安
・ヨセフの兄弟たちは父ヤコブが死んだ後、ヨセフが復讐するのではないかと恐れ、ヨセフの前に出た。
―創世記50:15-17「ヨセフの兄弟たちは、父が死んでしまったので、ヨセフがことによると自分たちをまだ恨み、昔ヨセフにしたすべての悪に仕返しをするのではないかと思った。そこで、人を介してヨセフに言った。『お父さんは亡くなる前に、こう言っていました。「お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい。」お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください。』これを聞いて、ヨセフは涙を流した。」
・ヨセフはヤコブの11番目の子として生まれたが、父ヤコブの偏愛により、ヨセフは兄達を見下し、兄達はヨセフを憎み、エジプトに奴隷として売り飛ばした。ヨセフ17歳の時であった。エジプトへ売られたヨセフは、多くの試練を与えられ、宮廷役人の家に仕えるが、やがて無実の罪で投獄され、苦しめられる。しかし、獄中で王の給仕役と知り合い、その知遇を得て、エジプト王の前に出る機会を与えられ、「穀物を備蓄して飢饉に備えるよう」王に進言し、これが容れられて、国の司に取り立てられた。ヨセフ30歳の時である。数年後に、大飢饉が中東を襲った時、エジプトはヨセフの政策により食糧を備蓄していたため、この災害を逃れることが出来た。多くの国々では食物が底をつき、人々は食糧を求めて、エジプトに来た。その中にヤコブとその息子達もいた。こうしてヨセフは自分を奴隷として売った兄弟たちと再会する。しかし、今のヨセフは、前のヨセフではない。エジプトでの苦難の日々がヨセフを変え、自分の力で生きているのではなく、神によって生かされている事を知る者とさせられた。飢饉を通して、兄弟達と再会したヨセフは、兄弟達に言った。
-創世記45:7-8「神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神が私をファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。」
・しかし、父ヤコブが死んだ時、兄弟たちはヨセフの心変わりを懸念した。それに対し、ヨセフは、全ては神の導きであり、何も恨むところはない旨を兄弟たちに伝える。
―創世記50:19-21「ヨセフは兄たちに言った。『恐れることはありません。私が神に代わることができましょうか。あなたがたは私に悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください。この私が、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。』ヨセフはこのように、兄たちを慰め、優しく語りかけた。」
・悪をたくらむの「たくらむ」はヘブル語「カシャブ」であり、神はそれを「善に変え」の「変え」も同じ「カシャブ」という言葉だ。あなたたちは私をエジプトに売ると言う悪を「カシャブ」したが、神はあなたたちの悪をあなたたちの救いという善に「カシャブ」された。神がそうされたことを知った以上、あなたたちに報復するという悪を私が出来ようかとヨセフは言った。苦難はその理由がわからない時は、これに耐えることは出来ない。しかし、その苦難が神から与えられた試練であることを知った時、苦難は福音になる。苦難を通して、神が共におられることを知るからだ。自分たちに罪を犯したものに報復されるのは神の業であり、人間は赦されているから赦すのだという信仰がヨセフを謙遜にしている。
―ローマ12:19「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐は私のすること、私が報復する』と主は言われる」と書いてあります」。
3.ヨセフの赦しの意味
・ヨセフは、自分の歩んだ道は神の導きによることを知る故に、兄弟たちを裁かなかった。ヨセフは神の導きを信じて兄弟達を赦した。そのことによってイスラエル民族はエジプトに住み、そこで増え、モーセに率いられてエジプトを出る時には、一つの国民を形成するまでになった。もし、ヨセフが神を信じず、感情のままに兄弟達に報復していたならば、イスラエル民族はなかったであろう。悪を行うのは人間だ。しかし、その悪の中にも神の導きがあることを信じる時、その悪は善に変わる。
―詩篇105:16-24「主はこの地に飢饉を呼び、パンの備えをことごとく絶やされたが、あらかじめひとりの人を遣わしておかれた。奴隷として売られたヨセフ。主は、人々が彼を卑しめて足枷をはめ、首に鉄の枷をはめることを許された。主の仰せが彼を火で練り清め、御言葉が実現するときまで。王は人を遣わして彼を解き放った。諸国を支配する王が彼を自由の身にし、彼を王宮の頭に取り立て、財産をすべて管理させた。彼は大臣たちを思いのままに戒め、長老たちに知恵を授けた。イスラエルはエジプトに下り、ヤコブはハムの地に宿った。主は御自分の民を大いに増やし、敵よりも強くされた。」
・2001年9月11日にテロリストによってハイジャックされた飛行機がビルに突入し、3000人が死んだ時、アメリカの指導者達はそれが神の導きであると信じなかった。アメリカ人は、自分達は悪者に囲まれており、自分達の力で守らなければ、自分達は滅んでしまうと恐れた。ヨセフの兄弟たち感じたものと同じ恐怖だ。だから、テロリスト達の本拠地と思われていたアフガニスタンを攻撃し、テロリスト達はイラクにもいるかも知れないとして、イラクに侵攻した。
・ニューヨーク貿易センタービルが破壊された時、アメリカは報復のためにアフガニスタンやイラクを攻撃する他に、もう一つの選択肢があった。「何故、イスラムの人々はアメリカを憎むのか。私たちの何に怒っているのか」、もしアメリカの指導者がそう考えたならば、2001年9月11日以降の歴史は異なったものになったであろう。歴史を形成するのは人間である。人間が決断の時に、神の声を求めれば、歴史は開いた平和の道になり、自分達の思いで行動するならば、歴史は閉じた憎みあいの道をたどる。歴史は、あるいは人生は、神の赦しに支えられている。彼らがその時、創世記50章を読み直していれば、歴史は変わったのではないか。
4.ヨセフの死
・ヨセフは死を迎える時、自分の遺骸を、将来、民族がエジプトを離れる時には携えて行くように命じる。
―創世記50:24-25「ヨセフは兄弟たちに言った。『私は間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。』それから、ヨセフはイスラエルの息子たちにこう言って誓わせた。『神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、私の骨をここから携えて上ってください。』」
・500年後、イスラエルの民はモーセに率いられてエジプトを出る。モーセはヨセフの遺骸を携えて行った。
―出エジプト13:19「モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、『神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、私の骨をここから一緒に携えて上るように』と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。」
・その遺骸は父祖アブラハム・イサク・ヤコブの眠るシケムの地に葬られた。創世記は50章をもって終るが、神の救済の業は続き、それは「出エジプト記」に記されている。
―出エジプト1:6-7「ヨセフもその兄弟たちも、その世代の人々も皆、死んだが、イスラエルの人々は子を産み、おびただしく数を増し、ますます強くなって国中に溢れた。」