1.信仰と家族
・イスラエルの民がレフィディムの地に来た時、アマレク人たちは水を巡ってイスラエルと争った。しかし、一行がミディアンの地に入ると、ミディアンの祭司である舅エトロは娘と二人の孫を連れて、モーセを迎えた。
−出エジプト記18:1-3「モーセの舅で、ミディアンの祭司であるエトロは、神がモーセとその民イスラエルのためになされたすべてのこと、すなわち、主がイスラエルをエジプトから導き出されたことを聞いた。モーセの舅エトロは、モーセが先に帰していた妻のツィポラと、二人の息子を連れて来た。」
・かつてモーセはエジプトを逃れてミディアンの荒野に行き、そこで部族の長であり、祭司でもあったエトロの家に世話になり、その娘ツィポラと結婚し、息子ゲルショムとエリエゼルをもうけた。その後召命を受けたモーセは妻子たちをミディアンの地に残してエジプトに行き、今出エジプトを成し遂げて、この地で家族と再会した。
−出エジプト記18:3b-7「(息子の)一人は、モーセが、『私は異国にいる寄留者だ』と言って、ゲルショム(他国の者)と名付け、もう一人は、『私の父の神は私の助け、ファラオの剣から私を救われた』と言って、エリエゼル(神は私の助け手)と名付けた。モーセの舅エトロは、モーセの息子たちと妻を連れて荒れ野に行き、神の山に宿営しているモーセのところに行った。彼はモーセに、『あなたの舅である私、エトロがあなたの妻と二人の子供を連れて来た』と伝えると、モーセは出て来て舅を迎え、身をかがめて口づけした。彼らは互いに安否を尋ね合ってから、天幕の中に入った。」
・「神の山」とはシナイ山であり、モーセたちはそこに野営していた。主がイスラエルのためにエジプト軍を壊滅させたうわさは、諸国に伝わっていた。エトロは天幕の中でモーセから出来事の一部始終を聞いて、主を讃美した。
−出エジプト記18:8-11「モーセは舅に、主がイスラエルのためファラオとエジプトに対してなされた全てのこと・・・主が彼らを救い出されたことを語り聞かせると、エトロは、主がイスラエルをエジプト人の手から救い出し、彼らに恵みを与えられたことを喜んで言った。『主を讃えよ、主はあなたたちをエジプト人の手から、ファラオの手から救い出された・・・今、私は知った、彼らがイスラエルに向かって、高慢にふるまった時にも、主はすべての神々にまさって偉大であったことを。』」
・異教の祭司であるエトロが、イスラエルの神を賛美し、献げ物をモーセと共に捧げた。異邦人エトロが、「主はイスラエルだけの神ではなく、全地の神である」ことを認め、共同体に加わった。
−出エジプト記18:12「モーセの舅エトロは焼き尽くす献げ物といけにえを神にささげた。アロンとイスラエルの長老たちも皆来て、モーセの舅と共に神の御前で食事をした。」
2.共同体の指導と権限の委譲
・モーセは民の全ての争いを自分一人で仲裁していた。エトロはそれを見て、その非効率を忠告する。
―出エジプト記18:13-15「翌日になって、モーセは座に着いて民を裁いたが、民は朝から晩までモーセの裁きを待って並んでいた。モーセの舅は、彼が民のために行っているすべてのことを見て、『あなたが民のためにしているこのやり方はどうしたことか。なぜ、あなた一人だけが座に着いて、民は朝から晩まであなたの裁きを待って並んでいるのか』と尋ねた。」
・エトロはモーセに、すべてを一人で判断するのは無理ではないかと語る。お互いが疲れるばかりだと。
−出エジプト記18:17-18「『彼らの間に何か事件が起こると、私のところに来ますので、私はそれぞれの間を裁き、また、神の掟と指示とを知らせるのです』と答えた。モーセの舅は言った。『あなたのやり方は良くない。あなた自身も、あなたを訪ねて来る民も、きっと疲れ果ててしまうだろう。このやり方ではあなたの荷が重すぎて、一人では負いきれないからだ。』」
・そして部下の長老たちに権限を委譲するように勧める。
−出エジプト記18:19-23「私の言うことを聞きなさい。助言をしよう。神があなたと共におられるように。あなたが民に代わって神の前に立って事件について神に述べ、彼らに掟と指示を示して、彼らの歩むべき道となすべき事を教えなさい。あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい。平素は彼らに民を裁かせ、大きな事件があったときだけ、あなたのもとに持って来させる。小さな事件は彼ら自身で裁かせ、あなたの負担を軽くし、あなたと共に彼らに分担させなさい。もし、あなたがこのやり方を実行し、神があなたに命令を与えてくださるならば、あなたは任に堪えることができ、この民も皆、安心して自分の所へ帰ることができよう。』」
・モーセはエトロの勧めを受け入れ、70人の長老を選び、世俗のことは彼らに任せた。
−出エジプト記18:24-26「モーセは舅の言うことを聞き入れ、その勧めの通りにし、全イスラエルの中から有能な人々を選び、彼らを民の長、すなわち、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長とした。こうして、平素は彼らが民を裁いた。難しい事件はモーセのもとに持って来たが、小さい事件はすべて、彼ら自身が裁いた。」
・宗教的事柄と世俗的事柄の分離は、信仰共同体においても必要である。初代教会も同じ方法をとった。今日の教会が牧師と執事の役割分担を設けるのも同じである。
−使徒行伝6:1-4「弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。『私たちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。私たちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。』」
・エトロがモーセに伝えたのは、「民の代表として神の前に立つこと」、「民に掟と教えを与えて、神の民として生きるべき指針を与えること」、「民の中から、神を恐れる者、能力のある者、不正を憎む誠実な者を選び出して、彼らに権威を分与すること」であった。これを今日の教会に当てはめれば、牧師は教会のコーディネーターとして、それぞれの教会員の方に賜物に応じた職分を与え、調整する役割を果たせば良いのではないか。教会員を代表する執事は、牧師と共に教会に仕える協働者なのだ。
−エペソ4:11-13「そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、私たちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」