江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2016年1月7日祈祷会(創世記23章、サラの死と埋葬)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.サラの死

・サラは127歳で死んだ。サラの死をアブラハムは嘆いた。
−創世記23:1-2「サラの生涯は百二十七年であった。これがサラの生きた年数である。サラは、カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ」。
・アブラハムは、サラのためにカナンの地に墓地を購入しようとする。
―創世記23:4「私は、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです」。
・アブラハムは自分を寄留者と表現する。信仰者はこの世では寄留者、旅人である。
―ヘブル11:13「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです」。

2.墓地の購入

・寄留者が地上で持つ唯一のもの、それが家族と自分のための墓地である。アブラハムはそれを所有したいと申し出たが、土地の民は譲渡ではなく貸与を申し出て、婉曲にそれを断った。彼らは異国人に土地を所有させたくないと考えている。
―創世記23:5-6「ヘトの人々はアブラハムに答えた『どうか、御主人、お聞きください。あなたは、私どもの中で神に選ばれた方です。どうぞ、私どもの最も良い墓地を選んで、亡くなられた方を葬ってください。私どもの中には墓地の提供を拒んで、亡くなられた方を葬らせない者など、一人もいません』」。
・しかし、アブラハムはあくまでも譲ってほしいと交渉する。
―創世記23:7-9「アブラハムは改めて国の民であるヘトの人々に挨拶をし、頼んだ『もし、亡くなった妻を葬ることをお許しいただけるなら、ぜひ、私の願いを聞いてください。ツォハルの子、エフロンにお願いして、あの方の畑の端にあるマクペラの洞穴を譲っていただきたいのです。十分な銀をお支払いしますから、皆様方の間に墓地を所有させてください』」。
・所有者のエフロンはアブラハムに「差し上げる」という。贈与とは古代特有の売買の婉曲表現である。「差し上げると言ったのに、あくまでも買いたいと言うから、やむを得ず売却した」という形式をとるための交渉手続きであった。
―創世記23:10-15「エフロンはその時、ヘトの人々の間に座っていた。ヘトの人エフロンは、町の門の広場に集まって来たすべてのヘトの人々が聞いているところで、アブラハムに答えた『どうか、御主人、お聞きください。あの畑は差し上げます。あそこにある洞穴も差し上げます。私の一族が立ち会っているところで、あなたに差し上げますから、早速、亡くなられた方を葬ってください』。アブラハムは国の民の前で挨拶をし、国の民の聞いているところで、エフロンに頼んだ『私の願いを聞き入れてくださるなら、どうか、畑の代金を払わせてください。どうぞ、受け取ってください。そうすれば、亡くなった妻をあそこに葬ってやれます』。エフロンはアブラハムに答えた『どうか、御主人、お聞きください。あの土地は銀四百シェケルのものです。それがあなたと私の間で、どれほどのことでしょう。早速、亡くなられた方を葬ってください』」。
・相手の言い値は銀400シュケル、法外な値段であった。エレミヤが故郷アナトトの畑を買った時の価格は銀17シュケルであった(エレミヤ32:9)のに比べ、相場の数十倍の金額である。銀1シュケルが11.4gであるので、400シュケルは銀4500gにもなる。しかし、アブラハムは価格交渉をせず、そのまま受け入れる。こうしてアブラハムは妻のための墓地を購入した。
−創世記23:16-18「アブラハムはこのエフロンの言葉を聞き入れ、エフロンがヘトの人々が聞いているところで言った値段、銀四百シェケルを商人の通用銀の重さで量り、エフロンに渡した。こうして、マムレの前のマクペラにあるエフロンの畑は、土地とそこの洞穴と、その周囲の境界内に生えている木を含め、町の門の広場に来ていたすべてのヘトの人々の立ち会いのもとに、アブラハムの所有となった」。

3.墓地購入の意味

・これが約束の地でアブラハムに与えられた最初の土地であった。アブラハムは地上では寄留民であることを表明したが、この地上に死者のための墓地を購入した。アブラハムもイサクもヤコブもこの墓地に埋葬された。
―創世記25:7-10「アブラハムの生涯は百七十五年であった。アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。息子イサクとイシュマエルは、マクペラの洞穴に彼を葬った。その洞穴はマムレの前の、ヘト人ツォハルの子エフロンの畑の中にあったが、その畑は、アブラハムがヘトの人々から買い取ったものである。そこに、アブラハムは妻サラと共に葬られた」。
・アブラハムは満足して死んだと思われる。人はこの世では寄留者であり、自分を葬るための一片の土地があれば良い。トルストイは「人にはどれほどの土地がいるのか」という民話を書いた。少しでも広い土地を獲得しようとして、死にものぐるいの努力を続けて倒れた男が必要としたのは、その遺骸を葬るための身体の大きさの墓穴にすぎなかったという作品である。
−詩編49:11-13「人が見ることは、知恵ある者も死に、無知な者、愚かな者と共に滅び、財宝を他人に遺さねばならないということ。自分の名を付けた地所を持っていても、その土の底だけが彼らのとこしえの家、代々に、彼らが住まう所。人間は栄華のうちにとどまることはできない。屠られる獣に等しい」。
・旧約の人々は復活を知らない。彼らにとって死者の存在の唯一のしるしは遺骨である。自分の遺骨がどこに葬られるかは、重要な問題であった。だからアブラハムは価格交渉をせずに相手の言い分を飲み、やがてアブラハムのひ孫になるヨセフも、臨終に際して「自分の遺骨を約束の地に葬る」ように命じて死ぬ。
−創世記50:24-25「ヨセフは兄弟たちに言った。『私は間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます』。それから、ヨセフはイスラエルの息子たちにこう言って誓わせた。『神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、私の骨をここから携えて上ってください』」。
−出エジプト記13:19「モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、『神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、私の骨をここから一緒に携えて上るように』と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである」。

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