江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2016年1月14日祈祷会(創世記24章、イサクの結婚)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.イサクの花嫁探し

・アブラハムは年老い、死が近づいて来た。彼は死を前に息子イサクに嫁を取らせ、一族の未来を確かなものにしたいと願い、同じ信仰の者を嫁に求めた。カナンの民はハム族であり、アブラハムは同じ民族(セム族)の嫁をめとるために、メソポタミヤに行くことを信頼している僕に命令した。
―創世記24:1-4「アブラハムは多くの日を重ね老人になり、主は何事においてもアブラハムに祝福をお与えになっていた。アブラハムは家の全財産を任せている年寄りの僕に言った『手を私の腿の間に入れ、天の神、地の神である主にかけて誓いなさい。あなたは私の息子の嫁を私が今住んでいるカナンの娘から取るのではなく、私の一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように』」。
・律法は異邦人との結婚を禁止する。神を知らない民との婚姻は、信仰の継承を難しくする恐れがあった。アブラハムが息子に当地の娘との結婚を望まなかったのも、信仰的配慮のためであった。
―申命記7:3-4「彼らと縁組みをし、あなたの娘をその息子に嫁がせたり、娘をあなたの息子の嫁に迎えたりしてはならない。あなたの息子を引き離して私に背かせ、彼らはついに他の神々に仕えるようになり、主の怒りがあなたたちに対して燃え、主はあなたを速やかに滅ぼされるからである」。
・アブラハムの命を受け、メソポタミヤに向かったのは、家令のエゼキエルであったと思われる(15:2)。彼は嫁を迎えるための条件を主人に確認する。
―創世記24:5-9「僕は尋ねた『もしかすると、その娘が私に従ってこの土地へ来たくないと言うかもしれません。その場合には、御子息をあなたの故郷にお連れしてよいでしょうか』。アブラハムは答えた『決して、息子をあちらへ行かせてはならない。天の神である主は、私を父の家、生まれ故郷から連れ出し、『あなたの子孫にこの土地を与える』と言って、私に誓い、約束してくださった。その方がお前の行く手に御使いを遣わして、そこから息子に嫁を連れて来ることが出来るようにしてくださる。もし女がお前に従ってこちらへ来たくないと言うならば、お前は私に対するこの誓いを解かれる』・・・ そこで、僕は主人アブラハムの腿の間に手を入れ、このことを彼に誓った」。

2.リベカの選び

・こうして召使はアブラハムの故郷、メソポタミヤに嫁を迎えるために旅立った。召使は嫁の選びを神に委ねた。その結果、アブラハムの親族ナホルの一族であるリベカに出会った。
―創世記24:10-14「僕は主人のらくだの中から十頭を選び、主人から預かった高価な贈り物を多く携え、アラム・ナハライムのナホルの町に向かって出発した。女たちが水くみに来る夕方、彼は、らくだを町外れの井戸の傍らに休ませて、祈った『主人アブラハムの神、主よ。どうか、今日、私を顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。私は今、御覧のように、泉の傍らに立っています。この町に住む人の娘たちが水をくみに来た時、その一人に『どうか、水がめを傾けて、飲ませてください』と頼んでみます。その娘が『どうぞ、お飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう』と答えれば、彼女こそ、あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください。そのことによって私は、あなたが主人に慈しみを示されたのを知るでしょう』」。
・そこにリベカが来て、召使は彼女が神の定めて下さったイサクの嫁にふさわしいかを試す。
―創世記24:15-21「僕がまだ祈り終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せてやって来た。彼女は、アブラハムの兄弟ナホルとその妻ミルカの息子ベトエルの娘で、際立って美しく、男を知らない処女であった。彼女が泉に下りて行き、水がめに水を満たして上がって来ると、僕は駆け寄り、彼女に向かい合って語りかけた『水がめの水を少し飲ませてください』。すると彼女は『どうぞ、お飲みください』と答え、すぐに水がめを下ろして手に抱え、彼に飲ませた。彼が飲み終わると、彼女は『らくだにも水をくんで来て、たっぷり飲ませてあげましょう』と言いながら、すぐにかめの水を水槽に空け、また水をくみに井戸に走って行った。こうして、彼女はすべてのらくだに水をくんでやった。その間、僕は主がこの旅の目的をかなえてくださるかどうかを知ろうとして、黙って彼女を見つめていた」。
・リベカこそイサクの嫁にふさわしいと見た召使は、彼女に贈り物として金の鼻輪と腕輪を与え、家に案内するように頼む。
−創世記24:22-25「らくだが水を飲み終わると、彼は重さ一ベカの金の鼻輪一つと十シェケルの金の腕輪二つを取り出しながら『あなたは、どなたの娘さんですか。教えてください。お父さまの家には私どもが泊めていただける場所があるでしょうか』と尋ねた。すると彼女は『私は、ナホルとその妻ミルカの子ベトエルの娘です』と答え、更に続けて『私どもの所にはわらも餌もたくさんあります。お泊まりになる場所もございます』と言った」。
・リベカの知らせで彼女の兄ラバンが来て、召使を家に案内し、召使は「リベカを主人の息子の嫁に迎えたい」と話し、リベカ同意の上に彼女の嫁入りが決まった。
−創世記24:58-61「リベカを呼んで『お前はこの人と一緒に行きますか』と尋ねた。『はい、参ります』と彼女は答えた。彼らは妹であるリベカとその乳母、アブラハムの僕とその従者たちを一緒に出立させることにし、リベカを祝福して言った『私たちの妹よ、あなたが幾千万の民となるように。あなたの子孫が敵の門を勝ち取るように』。リベカは、侍女たちと共に立ち上がり、らくだに乗り、その人の後ろに従った。僕はリベカを連れて行った」。
・こうしてリベカはイサクの許に嫁ぎ、やがてヤコブとエソウを生む。神の約束はリベカを通して、ヤコブに継承されていく(旧約において神は「アブラハム・イサク・ヤコブの神」と言われるようになる)。
−創世記24:62「イサクはネゲブ地方に住んでいた。そのころ、ベエル・ラハイ・ロイから帰ったところであった。夕方暗くなるころ、野原を散策していた。目を上げて眺めると、らくだがやって来るのが見えた。リベカも目を上げて眺め、イサクを見た。リベカはらくだから下り『野原を歩いて、私たちを迎えに来るあの人は誰ですか』と僕に尋ねた。『あの方が私の主人です』と僕が答えると、リベカはベールを取り出してかぶった。僕は、自分が成し遂げたことをすべてイサクに報告した。イサクは、母サラの天幕に彼女を案内した。彼はリベカを迎えて妻とした。イサクはリベカを愛して、亡くなった母に代わる慰めを得た」。

3.この物語から何を学ぶか

・アブラハムも召使もリベカも結婚を神の定めに従う出来事としてとらえている。人生が神の定めの許にあるとする生き方を私たちはここで学ぶべきであろう。神に従う生き方とはどのような生き方か。「夜と霧」を著し、アウシュビッツでの体験を記録に残したヴィクトール・フランクルは神の摂理について語る
-ヴィクトール・フランクルの言葉から「ウィーンにドイツ軍が入ってきてユダヤ人のシナゴーグ(礼拝堂)を片端からつぶしていった。ユダヤ人狩りだ。その時期に、たまたまアメリカに留学する話がまとまった。これ幸いに平和の国アメリカでしっかり勉強したいと思ったが、いざ出発の日が近づいてくると、どうにも気持ちがおさまらない。その時あるシナゴーグが爆破され、父親が爆破されたシナゴーグの破片を持ってきた。その破片は、十戒が納められている棺の、一から十までのナンバーの「五」という数字の石のかけらだった。十戒の五、「汝の父と母に従え」だ。その「五」という数字を見た時に、私は留学を断念して、どんなことがあっても父と母に従って収容所に行こう、という決心をした」。「その収容所で妻も子も両親も失くし、私だけが生き残った。父と母に従ったことによって、神の祝福が与えられたか。父も母も家族も皆、死んでしまった。しかし、すべてを失ったけれども、あの時、御言葉に従って、父と母に従い収容所に行く決断をしたことは決して間違っていなかったと思う。そのことを今、十戒の民の一人として誇りに思う」。
・結婚によって子が生まれ、子が約束を継承して行く。私たちにおいても、子の結婚の相手に信仰者を求める、ないしは信仰の誓いを求めることは信仰の継承という意味で、大事な事柄であろう。イエスも「結婚は神が定めたもの」と言われた。キリスト者は結婚をどのように考えるべきなのだろうか。
-マタイ19:3-6「ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、『何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか』と言った。イエスはお答えになった『あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった』。そして、こうも言われた『それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」。
・現代人は三組に一組が離婚する。2012年度人口動態調査によれば、年間の結婚数は668千組、離婚数は235千組、離婚率は35.1%である。結婚が信仰の事柄であるとすれば、キリスト者は離婚についてどう考えるべきなのだろうか。カトリック教会はイエスの教えを倫理として受取り、離婚を禁止する。他方、プロテスタントは離婚を容認する。イギリスの詩人ジョン・ミルトンは熱心なピュ-リタンであり、彼は「結婚とは夫婦が神によって霊的にも身体的にも一心同体となる結びつきだ」だと理解し、そのような結婚愛が全く失われている場合には、それは神からの結婚とは言えないがゆえに離婚が認められるべきだと考えた。離婚もまた信仰の事柄として考えるべきであろう。

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