1. エルサレムの復興の遅れを嘆くネヘミヤ
・前589年ユダはバビロニア帝国に国を滅ぼされ、指導者たちはバビロンに捕囚となった。50年後の前538年、バビロニアはペルシャ帝国に滅ぼされ、ペルシャ王キュロスはユダ捕囚民の帰還と神殿再建を許した。神殿は前515年に再建されたが国の復興は進まず、バビロンに残っていた祭司エズラが前458年帰国し、律法の布告を行った。しかし、社会の復興は遅々として進まず、前445年行政官としてペルシャ王アルタクセルクセスに仕えていたネヘミヤが帰国し、エルサレムの城壁再建と国家体制の立て直しを行う。それがネヘミヤ記であり、エズラ書と並行関係にある。
・ペルシャ帝国はギリシャとの度重なる戦争の敗北やエジプトでの叛乱等、領域内は不安定で、パレスチナの安定のためのユダ再建に好意的であった。しかし、現地の支配者であるサマリヤ人たちは帰還民を敵視し、エルサレム復興を阻害してきた。その中でネヘミヤが帰国し、城壁再建に取り組むが、前途は困難であった。
・物語はペルシャ王の側近として仕えるネヘミヤの元に、エルサレムから復興支援を求める使いが来たことから始まる。第二十年=アルタクセルクセス王の20年=前445のことである。
-ネヘミヤ1:1-3「ハカルヤの子、ネヘミヤの記録。第二十年のキスレウの月、私が首都スサにいたときのことである。兄弟の一人ハナニが幾人かの人と連れ立ってユダから来たので、私は捕囚を免れて残っているユダの人々について、またエルサレムについて彼らに尋ねた。彼らはこう答えた『捕囚の生き残りで、この州に残っている人々は、大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています。エルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです』」。
・ネヘミヤはこれを聞いて衝撃を受ける。彼は残留ユダヤ人であるが、故国のことはいつも心配していた。また捕囚の出来事を民族の罪の故と理解している(申命記28:62-64)。どこにいてもユダヤ人の祖国はエルサレムなのである。
−ネヘミヤ1:4-7「これを聞いて、私は座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげた。私はこう祈った『おお、天にいます神、主よ、偉大にして畏るべき神よ、主を愛し、主の戒めを守る者に対しては、契約を守り、慈しみを注いでくださる神よ。耳を傾け、目を開き、あなたの僕の祈りをお聞きください。あなたの僕であるイスラエルの人々のために、今私は昼も夜も祈り、イスラエルの人々の罪を告白します。私たちはあなたに罪を犯しました。私も、私の父の家も罪を犯しました。あなたに反抗し、あなたの僕モーセにお与えになった戒めと掟と法を守りませんでした』」。
・神は裁きの故に民を散らされる。しかし、その神は民が悔い改めれば再び約束の地に戻すと言われる(申命記30:1-3)。ネヘミヤは神の憐れみを求めて祈る。
−ネヘミヤ1:8-11「『どうか、あなたの僕モーセにこう戒められたことを思い起こしてください。“もしも背くならば、お前たちを諸国の民の中に散らす。もしも私に立ち帰り、私の戒めを守り、それを行うならば、天の果てまで追いやられている者があろうとも、私は彼らを集め、私の名を住まわせるために選んだ場所に連れて来る”。彼らはあなたの僕、あなたの民です。あなたが大いなる力と強い御手をもって贖われた者です。おお、わが主よ、あなたの僕の祈りとあなたの僕たちの祈りに、どうか耳を傾けてください。私たちは心からあなたの御名を畏れ敬っています。どうか今日、私の願いをかなえ、この人の憐れみを受けることができるようにしてください』。この時、私は献酌官として王に仕えていた」。
2.ネヘミヤにみるリーダーシップ
・ネヘミヤの改革はまず祈りから始まった(1:5-11)。その後も繰り返し祈りの言葉がネヘミヤ記に記される(3:36-37,5:19,6:14,13:14)。ネヘミヤの改革は祈りなしでは出来なかった。ネヘミヤの手記の最後も祈りで締めくくられる。
−ネヘミヤ13:29-31「私の神よ、祭司職を汚し、祭司とレビ人の契約を汚した者のことを覚えていてください。私はすべての異民族から彼らを清め、祭司とレビ人に守るべき務めを定め、それぞれその任務に就かせました。また定められた時に薪を奉納し、初物を捧げるように定めました。私の神よ、私を御心に留め、お恵みください」。
・ネヘミヤは王の献酌官、側近であった。彼は地位と名誉を得ていた。しかし彼は安定した地位を捨てて、困難な道を選ぶ。彼の目的は自分の栄誉ではなく、ユダの復興であった。彼はそれから12年間無報酬で働く(ネヘミヤ5:14)。私欲を棄てたリーダーには民は従う。
−マルコ10:42-44「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」。
・ネヘミヤは明確なビジョンを持っていた。そのビジョンを民と共有することにより、城壁再建を果たし、その後の社会改革に取り組んでいく。ビジョンこそ神から与えられた賜物である。ペンテコステも神が弟子たちにビジョンを与えた日であった。
−使徒2:17-18「神は言われる。終わりの時に、私の霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。私の僕やはしためにも、そのときには、私の霊を注ぐ。すると、彼らは預言する」。
・パウロがローマ教会に手紙を書いた目的の一つはスペイン宣教のための支援と協力を、ローマの人々に依頼するためであった。パウロは福音が地の果て(当時の理解ではスペイン)までに伝えられた時に神の国が到来し、同胞ユダヤ人も救いに預かると信じていた。その熱意がローマ書を書かせ、その書が後世の人々を励まし、変革してきた。
−ローマ15:22-24「あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです」。
−ローマ11:25 -27「一部のイスラエル人が頑なになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、こうして全イスラエルが救われるということです。次のように書いてある通りです『救う方がシオンから来て、ヤコブから不信心を遠ざける。これこそ、私が、彼らの罪を取り除くときに、彼らと結ぶ私の契約である』」。