1. いなごの天災を前にして
・ヨエル書は捕囚から帰還した人々を襲ったいなごと干ばつの災害を前にして、ヨエルが語った言葉だとされている。イスラエルは前538年許されてバビロンから故郷に帰国するが、帰国後の生活は楽ではなかった。先住の人々は帰国民を喜ばず、神殿再建を妨害し、激しい旱魃がその地を襲い、穀物が不足し、飢餓や物価の高騰が帰国の民を襲った。ヨエルが預言したのはそのような状況の中であったと推測される。
−イザヤ59:9-11「私たちは光を望んだが、見よ、闇に閉ざされ、輝きを望んだが、暗黒の中を歩いている・・・救いを望んだが、私たちを遠く去った」。
・ヨエル時代にユダを襲ったいなごの害は史上まれに見る悲惨なものだった。数億匹のいなごが大量発生し、地上の穀物や木々を手当たり次第に食べ尽くした(1889年に発生したいなごの害では24兆匹のいなごが発生したという。それは卵を生み、孵化し、成虫になり、手当たり次第に植物を食べ尽くし、緑は何も残らなかったという)。
−ヨエル1:2-4「老人たちよ、これを聞け。この地に住む者よ、皆耳を傾けよ。あなたたちの時代に、また、先祖の時代にも、このようなことがあっただろうか。これをあなたたちの子孫に語り伝えよ。子孫はその子孫に、その子孫は、また後の世代に。かみ食らういなごの残したものを移住するいなごが食らい、移住するいなごの残したものを若いいなごが食らい、若いいなごの残したものを食い荒らすいなごが食らった」。
・ぶどうの実はもちろん、その樹皮さえも食われ、ぶどうの木は立ち枯れた。もうぶどう酒を作ることもできず、小麦や大麦等の畑の実りも食い尽くされ、農夫たちは泣き叫んだ。それは軍隊の侵略以上の悲惨な光景であった。
−ヨエル1:6-12「一つの民が私の国に攻め上って来た。強大で数知れない民が。その歯は雄獅子の歯、牙は雌獅子の牙。私のぶどうの木を荒らし、私のいちじくの木を引き裂き、皮を引きはがし、枝を白くして投げ捨てた・・・献げ物の穀物とぶどう酒は主の宮から断たれ、主に仕える祭司は嘆く。畑は略奪され、地は嘆く。穀物は略奪され、ぶどうの実は枯れ尽くし、オリーブの木は衰えてしまった。農夫は恥じ、ぶどう作りは泣き叫ぶ。小麦と大麦、畑の実りは失われた。ぶどうの木は枯れ尽くし、いちじくの木は衰え、ざくろも、なつめやしも、りんごも野の木はすべて実をつけることなく、人々の楽しみは枯れ尽くした」。
2.祝福としての災い
・ヨエルはこの荒涼たる災いを見て、人々に悔い改めを迫る。それは神がいなごを通してイスラエルに飢餓を送られたからだ。それは来るべき「主の日」の前触れだ。だから断食をし、聖会を招集せよと。
−ヨエル1:13-15「祭司よ、粗布を腰にまとって嘆き悲しめ。祭壇に仕える者よ、泣き叫べ。神に仕える者よ、粗布をまとって夜を明かせ。献げ物の穀物とぶどう酒は、もはやあなたたちの神の宮にもたらされることはない。断食を布告し、聖会を召集し、長老をはじめこの国の民をすべて、あなたたちの神、主の神殿に集め、主に向かって嘆きの叫びをあげよ。ああ、恐るべき日よ、主の日が近づく。全能者による破滅の日が来る」。
・その災の中で人々は絶望の声を上げる。その絶望の中で「主の名を呼び求めよ」とヨエルは言う。
−ヨエル1:16-20「私たちの目の前から食べ物は断たれ、私たちの神の宮からは喜びも踊ることもなくなったではないか。種は乾いた土の下に干からび、穀物は枯れ尽くし、倉は荒れ、穀物倉は破壊された。なんという呻きを家畜はすることか。牛の群れがさまよい、羊の群れが苦しむのは、もはや、牧草がどこにもないからだ。主よ、私はあなたを呼びます。火が荒れ野の草地を焼き尽くし、炎が野の木をなめ尽くしたからです。野の獣もあなたを求めます。流れの水は涸れ、火が荒れ野の草地を焼き尽くしたからです」。
・人は痛まなければ神を求めない。だから人に「災い」という痛みが送られる。人はその痛みの中で、初めて「主の名」を呼び始める。そして主の名を呼び求める者に神は応えて下さる。
−ヨエル2:12-14「主は言われる『今こそ、心から私に立ち帰れ、断食し、泣き悲しんで。衣を裂くのではなく、お前たちの心を引き裂け』。あなたたちの神、主に立ち帰れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに富み、くだした災いを悔いられるからだ。あるいは、主が思い直され、その後に祝福を残し、あなたたちの神、主にささげる穀物とぶどう酒を、残してくださるかもしれない」。
・災いは私たちが悔い改め、祝福を受けるために与えられる。私たちが災いに含まれる神からのメッセージを正しく受け止めた時、災いは人を生かすメッセージとなる。東北大震災も、私たちがその中に込められた神のメッセージを正しく受け止めた時に、祝福に変わるのではないか(参照:村上春樹「非現実的な夢想家として」)。
-2コリント7:10「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします」。
*ヨエル1章参考資料
〜村上春樹・カタルーニャ国際賞スピーチ「非現実的な夢想家として」(2011年6月10日)要約
・原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、3カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、2度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。何故そんなことになったのか? 戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう? 我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?理由は簡単です。「効率」です。
・原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で3番目に原発の多い国になっていたのです。
・そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋(ふた)を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。
・原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それば当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。
・我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。我々は技術力を結集し、持てる叡智(えいち)を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。