1.先祖の敵は子孫の敵
・モルデカイとハマンの確執は、モルデカイがハマンへの敬礼を拒み続けたことから始まった。彼が敬礼を拒む理由の記述はない。虫が好かないのだろうと言う意見もあるが、個人の好みが通用する現代ならとにかく、王の威光があまねく古代ペルシャで、そんな個人の感情は通用しない。ハマンに敬礼するよう命じたのは王なのである。ではモルデカイが王命に背いてまで敬礼を拒む理由は何か。答えは聖書にある。
・エステル3:1によれば、ハマンの出自は「アガグ人ハメダタの子」である。アガク人についてサムエル記上15:7−8に記録がある。「サウルはハビラからエジプト国境のシュルに至る地域でアマレク人を討った。アマレクの王アガグを生け捕りにし、その民をことごとく剣にかけて滅ぼした。」サウルが滅ぼしたアマレクの王アガグがハマンの祖なのである。では彼らを滅ぼさねばならぬ理由は何か。サムエル記は語る。
−サムエル上15:1−3「サムエルはサウルに言った。『主はわたしを遣わして、あなたに油を注ぎ、主の民イスラエルの王とされた。今、主が語られる御言葉を聞きなさい。万軍の主はこう言われる。イスラエルがエジプトから上って来る道でアマレクが仕掛けて妨害した行為を、わたしは罰することにした。行け、アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽せ。』」
・モルデカイがハマンへの敬礼を拒んだのは、先祖の敵の子孫だからである。ハマンとて同様モルデカイは先祖の敵の子孫である。アマレク人とユダヤ人は仇敵なのであり、その子孫ハマンとモルデカイもまた仇敵になる。
−エステル3:1−4「その後、クセルクセス王はアガグ人ハメダタの子ハマンを引き立て、同僚の大臣のだれよりも高い地位につけた。王宮の門にいる役人は皆、ハマンが来るとひざまずいて敬礼した。王がそのように命じていたからである。しかし、モルデカイはひざまずかず敬礼しなかった。王宮の門にいる役人たちはモルデカイに言った。『なぜあなたは王の命令に背くのか。』来る日も来る日もこう言われたが、モルデカイは耳を貸さなかった。モルデカイは自分はユダヤ人だと言っていたので、彼らはそれを確かめるようにハマンに勧めた。」
2.ハマンの策略
・モルデカイがハマンに敬礼しない理由は、彼がユダヤ人であるからと王宮の門番たちはすでに認識している。彼らの祖先の歴史的敵対関係は当時よく知られていたからである。
−エステル3:5−7「ハマンはモルデカイが自分にひざまずいて敬礼しないのを見て腹を立てていた。モルデカイがどの民族に属するのかを知らされたハマンは、モルデカイ一人を討つだけでは不十分だと思い、クセルクセスの国中にいる、モルデカイの民、ユダヤ人を皆、滅ぼそうとした。クセルクセス王の治世の第十二年の第一の月、すなわちニサンの月に、ハマンは自分の前でプルと呼ばれるくじを投げさせた。次から次へと日が続き、次から次と月が動く中で、第十二の月すなわちアダルの月がくじに当たった。」
・ハマンは知恵に長け、モルデカイへの復讐だけでなく、ペルシャ国内の先祖の宿敵ユダヤ人を一掃しようと企み、プルくじを投げさせた。プルはペルシャのサイコロで六面体に刻んだ数字で吉凶を占う。プルはスサ王宮の遺跡からも出土している。第十二のアダルの月は太陽歴の二月−三月にあたる。
−エステル3:8−11「ハマンはクセルクセスに言った。『お国のどの州にも、一つの独特の民がおります。諸民族の間に分散して住み、彼らはどの民族とも異なる独自の法律を有し、王の法律には従いません。そのままにしておくわけにはまいりません。もし御意にかないますなら、彼らの根絶を旨とする勅書を作りましょう。わたしは銀貨一万キカルを官吏たちに支払い、国庫に納ねるようにいたします。』王は指輪をはずし、ユダヤ人の迫害者、ハメダタの子ハマンに渡して言った。『銀貨はお前に任せる。その民族はお前が思うようにしてよい。』」
・ユダヤ人一掃の費用に自費1万キカルを、拠出するとハマンは王に申しでた。ユダヤ人がいなくなると税収が落ちるので、その分は個人負担するとの申し出である。(キカルは重さの単位で1キカルは34.2kgで、ハマンが言う1万キカルは、34万2千kgとなる。新共同訳聖書「度量衡および通貨」参照)。こうしてハマンは、言葉巧みに王を懐柔してしまった。
−エステル3:12−13「こうして第一の月の十三日に、王の書記官が召集され、総督、各州の長官、各民族の首長にあてて、ハマンの命じるままに勅書が書き記された。それは各州ごとにその州の文字で、各民族ごとにその民族の言語で、クセルクセス王の名で書き記され、王の指輪で印を押してあった。急使はこの勅書を全国に送り届け、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日に、しかもその日のうちに、ユダヤ人は老若男女を問わず一人残らず滅ぼされ、殺され、絶滅させられ、その持ち物は没収されることとなった。」
・第一の月の十三日をユダヤ人抹殺の日と定めた勅令が発布された。しかし、その日は過越しの祭りの前日であった。最も楽しいはずの日が、一転、最悪の日となってしまった。ただし、その日は一年後であるから、ユダヤ人が国外へ逃亡することは十分可能であった。そうできたとしても、ハマンの目的はユダヤ人一掃にあったのだから、彼の目の前からユダヤ人が、消え去ればそれでもよかったのである。
−エステル3:14−15「この勅書の写しは各州で国の定めとして全国民に公示され、人人はその日に備えた急使は王の命令を持って急いで出発し、要塞の町スサでもその定めが公布された。スサの都の混乱をよそに王とハマンは酒を酌み交わしていた。」
・クセルクセス王にはたして王者としての権能があるのだろうか。民の上に立つ王者の風格があるのだろうか。妻ワシュテイに権威を損なわれ、さらに大臣ハマンに丸めこまれ、そのうえ、スサの都の混乱をよそにハマンと酒を酌み交わしているのである。