・「コヘレトの言葉」は「ヨブ記」「箴言」と共に知恵文学に分類されている。「箴言」が道徳的格言による実践的教訓の書だとすれば、「ヨブ記」は人生における苦悩の克服と祝福の物語であり、「コヘレトの言葉」はコヘレトが自身の体験を軸に、若者を教えつつ自問自答を繰り返す。コヘレトは何を伝えようとしたのだろうか。4世紀の聖書学者でウルガタ(ラテン語聖書)の翻訳者であったヒエロ二ムスは「人の世の楽しみはまったく空しい。ゆえに禁欲を旨とし神に仕えるべきと教えるのが『コヘレトの言葉』の目的である」と言っている。最終章12章は若者への教えから始まる。
-コヘレト12:1−2「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。『年を重ねることに喜びは無い』という年齢にならないうちに。」
・若き日も過ぎ去れば、束の間の夢の如く儚いもの。それゆえ、若い日にあなたの造り主なる神を思い神に従え。老いと死の迫らぬうちに、「もう楽しいことは何もない」と言う前に造り主を信じて従い、悔いなき人生を送るべきである。
-コヘレト12:2−4「太陽が闇に変わらないうちに。月や星の光がうせないうちに。雨の後にまた雲が戻ってこないうちに。その日には、家を守る男も震え、力ある男も身を屈める。粉ひく女の数は減って行き、失われ、窓から眺める女の目はかすむ。通りだは門が閉ざされ、粉ひく音はやむ。鳥の声に起き上がっても、歌の節は低くなる。」
・明るい太陽の光、月や星の光が消える前に。雨が止んだ後、雲が出て再び雨にならぬ前に、神を思い神に従え。その日には家を守る逞しい男も身を屈めて震え、老いて目が霞んだ粉ひき女は職場を去り、粉を挽く音も止む。朝、鳥の声に目覚めても、鳥の歌に喜びは感じられない。終わりの時が来ぬうちに神を思い神に従え。
-コヘレト12:5−6「人は高い所を恐れ、道にはおののきがある。アーモンドの花は咲き、いなごは重荷を負い、アビヨナは実をつける。人は永遠の家に去り泣き手は町を巡る。白銀の糸は断たれ、黄金の鉢は砕ける。泉のほとりに壺は割れ、井戸車は砕けて落ちる。」
・老いて足腰の弱くなった者は、高所へ登ることを怖がり、平坦な道を歩くことさえ厭う。季節が来ればア−モンドの花は咲き、イナゴは飛ぶ力が衰え、アヒヨナの実がなるが人は死に葬列が町を巡る。燈を吊るした銀の糸は切れ、卓上の金の飾り鉢は砕け、水を汲む者がいなくなった泉の畔に忘れられた壺は割れ、井戸の滑車も壊れ落ちる。
-コヘレト12:7−8「塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る。なんと空しいことか。とコヘレトは言う。すべては空しいと。」
・人が死ぬと大地の塵となり、その霊は造り主なる神の元へ帰る。人の一生は短かくはかない。なんと空しい、人の世はすべて空しい。
-コヘレト12:9−11「コヘレトは知恵を深めるにつれて、より良く民を教え、知識を与えた。多くの格言を吟味し、研究し、編集した。コヘレトは望ましい語句を探し求め、真理の言葉を忠実に記録しようとした。賢者の言葉はすべて、突き棒や釘。ただひとりの牧者に由来し、収集家が編集した。」
・知恵の教師コヘレトは、多くの格言を吟味、探求し整理編集した。彼はよりよく知恵を伝えるため、真理の言葉を正確に記録する努力もした。知恵の言葉は、まるで突き棒のように人の心に刺さり、釘で打ちつけたようになる。知恵の言葉は、ただ一人の牧者なる神に由来し、収集家たちがそれらの言葉を収集し編集した。
-コヘレト12:12−14「それらよりもなお、わが子よ、心せよ。書物はいくら記してもきりがない。学びすぎれば体が疲れる。すべてに耳を傾けて得た結論。『神を畏れ、その戒めを守れ』これこそ、人間のすべて。神は、善をも悪をも、一切の業を、隠れたこともすべて、裁きの座に引き出されるであろう。
・わが子よ。言葉には限りがある。言葉を尽しても記しえない真理があることを心に留めよ。学びも過ぎれば体が疲れる。わたしが学んだすべてから得た結論は「神を怖れ、その戒めを守れ」である。これこそが人が生きて行くうえでの最優先課題である。神の前には人の善も悪もすべて隠し得ないと知れ。神は人のすべてを明るみに引き出し裁かれる。
・旧約時代の末、学びから世のすべてを空と感じたコヘレトは、神の存在を認めつつ、知恵の限りを尽して集約した、「コヘレトの言葉」は、旧約時代の限界を示している。コヘレトから二百余年後、彼が予想もできなかった、イエス・キリストの時代が到来、それは「旧約」の廃棄ではなく、「旧約」を新しい生命で繋ぐ「新約」時代の始まりだった。「コヘレトの言葉」は時代から時代への橋渡しをしているのではないだろうか。
2013年6月5日祈祷会(コヘレトの言葉12:1−14、神を畏れその戒めを守れ)
投稿日:2019年8月21日 更新日: